キャシー・デービス

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キャシー・デービス
基本情報
通称 キャット
階級 ライト級
身長 178cm[1]
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1959年
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ポキプシー
プロボクシング戦績
総試合数 11
勝ち 10
KO勝ち 10
無効試合 1
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キャシー・“キャット”・デービス(Cathy "Cat" Davis、1959年 - )は、アメリカ合衆国の女子プロボクサーである。ニューヨーク州ポキプシー出身。

経歴[編集]

アマチュアフェンシングルイジアナ州タイトルを5度獲得した後、ボクシングに転向。元北米ジュニアライト級王者のサル・アルジエリがマネージャーおよびトレーナーを務めた[1]

1976年、メイン州ポートランドでデビュー。デービスの試合はNBC及びABCで放送もされた。

1978年、女子ボクシング連盟 (Woman's Boxing Federation) に世界ライト級王者として認定された[1][2]。同年3月には全勝の戦績を誇示し、自分はモハメド・アリレオン・スピンクスよりも強いと豪語していたが[3]、6月7日にジョージア州アトランタでキャリアの浅いアーネスティン・ジョーンズとノンタイトルマッチで対戦すると、試合中に足首を骨折、3回に3度のダウンを奪われて壮絶なKO負けを喫し、脆さを露呈した[4][5][6]。しかし、この試合は女子ボクシング連盟の判断により、ジョーンズがヘッドロックなどのレスリング行為でダウンをとったとして無効試合となった。ジョーンズのマネージャーのランディ・ティドウェルは、3度のダウンはいずれも顎へのクリーンヒットによるものであったとしているが、デービスと婚約中であったアルジエリは、ティドウェルらがデービスの飲み物にストリキニーネを混入したのだと言い、後には何らかの幻覚剤、たぶんエンジェルダストだろうと決めつけ、ティドウェルとジョーンズは6か月の資格停止処分となった。ティドウェルとジョーンズが受け取った535ドルの小切手不渡りとなり、ジョーンズのファイトマネーは女子ボクシング連盟に没収されたが、電話回線によると同連盟の本部はニュージャージー州ローダイにあるアルジエリの自宅に置かれていた[4][5]

この年、デービスは女子ボクサーとして初めて『リング』誌8月号の表紙を飾った。2013年現在、女子ボクサーが表紙となった例は他にない[7][8]

1978年9月9日、マリアン・トリミアーらとともに、ニューヨーク州初の女子プロボクサーとしてライセンスを取得[1][7]。デービスは同州で女子のライセンス認可を求める法廷闘争の第一人者であったことから最初にライセンスを受け取った[9]アメリカ法曹協会の『ABAジャーナル』1979年2月号によれば、裁判費用は8,000ドルだった[2]。1979年には公共放送サービスなどでデービスを特集する30分のドキュメンタリー番組が組まれ、モハメド・アリフロイド・パターソン女子ボクシングについての見解を問うインタビューなども盛り込まれた[1]。デービスは女子ボクシングの先駆者であったが、その数試合の結果が不正に操作されていたことから競技全体が信頼を失い、女子ボクシングの発展を遅らせる要因にもなった[10]

1981年4月引退。

1982年には男性誌の『ハイソサエティ』がトップレスでポーズをとるボクサーに扮した女性の写真、また同じく男性誌の『セレブリティースキン』もトップレスの女性2人を写した写真を掲載し、いずれも読者にこれらがデービスの写真であると思い込ませるような説明を加えていた。デービスは両出版社に対し損害賠償を求めて控訴したが、被告の現実的悪意を立証できなかったことから第一審判決で棄却された[11]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e “Lady wins a round in N.Y.” (英語). The Virgin Islands Daily News: p. 24. (1979年5月24日). http://news.google.com/newspapers?nid=757&id=BuxLAAAAIBAJ&pg=6360,3671382 2013年7月22日閲覧。 
  2. ^ a b “Beats lady boxing champ, Connie wants a title shot” (英語). ABA Journal (アメリカ法曹協会): p. 186. (1979年2月号). http://books.google.co.jp/books?id=1s5fjlVffOoC&pg=PA186 2013年7月22日閲覧。. 
  3. ^ “Flynt's condition worsens” (英語). Star-News: p. 2-A. (1978年3月15日). http://news.google.com/newspapers?nid=1454&id=rbosAAAAIBAJ&pg=6952,3135904 2013年7月22日閲覧。 
  4. ^ a b “Beats lady boxing champ, Connie wants a title shot” (英語). Jet (Johnson Publishing Company) (1978年6月29日号): p. 55. http://books.google.co.jp/books?id=AsADAAAAMBAJ&pg=PA55 2013年7月22日閲覧。. 
  5. ^ a b Norman O. Unger. “"Queen Steen" eyes boxing crown, not scandal scrap” (英語). Jet (Johnson Publishing Company) (1978年8月10日号): p. 49. http://books.google.co.jp/books?id=8L8DAAAAMBAJ&pg=PA49 2013年7月22日閲覧。. 
  6. ^ Christensen, Karen; Guttmann, Allen; Pfister, Gertrud (2001). “The Twentieth Century” (英語). International encyclopedia of women and sports. 1. [A–G]. Macmillan Reference. p. 172. ISBN 0028649516. 
  7. ^ a b 女子ボクシングの歴史 第二章 33年前にはNYに初の女性ジャッジ誕生”. 日本プロボクシング協会. 2013年7月14日閲覧。
  8. ^ Women's Boxing - Cathy Cat Davis” (英語). Women Boxing Archive Network. 2013年7月22日閲覧。
  9. ^ “New York issues boxing licences to three women” (英語). The Leader-Post. AP. (1978年9月20日). p. 25. http://news.google.com/newspapers?id=5YFVAAAAIBAJ&sjid=PD8NAAAAIBAJ&pg=1030,1291639 2013年7月22日閲覧。 
  10. ^ Stratton, William Kip (2009). “Chapter five” (英語). Boxing Shadows. University of Texas Press. p. 82. ISBN 0292721293. http://books.google.co.jp/books?id=loPQ0-9xSfEC&pg=PA82 2013年7月1日閲覧。. 
  11. ^ Joni Greenberg (1984年). “Libel and Privacy” (英語). Loyola Marymount University and Loyola Law School. pp. pp. 259–266. 2013年7月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]