現実的悪意

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現実的悪意(げんじつてきあくい、: actual malice)は、アメリカ合衆国連邦最高裁の判例上、名誉毀損に基づく損害賠償請求を認めるにあたって要求される要件としての、表現者の認識。現実の悪意とも訳され、この概念を用いた上記判例法理のことを、現実の悪意の法理又は現実的悪意の法理という。

定義[編集]

現実の悪意の法理とは、公人が表現行為(典型的にはマスメディアによる報道)の対象である場合、行為者が、その表現にかかる事実が真実に反し虚偽であることを知りながらその行為に及んだこと、又は、虚偽であるか否かを無謀にも無視して表現行為に踏み切ったこと[1]原告が立証しない限り、当該表現行為について私法上の名誉毀損の成立を認めない、とするものである。


歴史[編集]

米国では元々、名誉毀損的表現は表現の自由(憲法修正第1条)で保護されないが、表現の真実性を被告が証明する(真実性の抗弁)か、被告に特権がある場合には損害賠償を免れることができる、という枠組みがとられていた[2]。しかし、1964年のニューヨーク・タイムズ対サリヴァン事件英語版連邦最高裁判所判決により「現実的悪意の基準」が確立し、被告が故意に虚偽の表現をしたか真実性を不遜にも無視したと証明することが原告に求められるようになった[3]。日本では現在でも真実性の証明義務は被告にある[2]

これはあくまで、公人(public figure)に関する表現行為についてのみ適用される法理とされている(Gertz v.RovertWelch,Inc.,418 U.S.323(1974年))。

アメリカにおいて当該法理が採用された背景としては、名誉毀損による損害賠償額が非常に高額であるという事情が指摘されている[要出典]

根拠[編集]

元来、名誉権などといった類の人権は、時の権力者が自身への反論を封じ込めるために用いられてきた経緯がある(例えば自分自身にとって都合の悪い記事を封じ込めるために侮辱罪や名誉毀損を用いたりするなど)。ゆえに殊更に、とくに公人の名誉権が一方的に強く主張されることは、民主制にとって大きな打撃となりうる。

自由な言論においては、誤った陳述が不可避であることを認め、しかしそうであったとしても自由な言論の息づくスペースを残すため、その誤りの存在さえも許した。これにより「被害者」が被害を立証し、勝訴するためには、以下のいずれかを証明しなければならなくなった。

  • 発表者が嘘と知りつつ公表した。
  • 嘘かどうかも考えずに発表した。

参考文献[編集]

  • 松井茂記 『表現の自由と名誉毀損』、2013年 

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  1. ^ 北方ジャーナル事件における谷口正孝裁判官の定義に依拠する。
  2. ^ a b 松井茂記 2013, pp. 198-200.
  3. ^ 松井茂記 2013, pp. 63-92.

関係項目[編集]