カントリー・ショーダウン

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カントリー・ショーダウン(Country Showdown)はアメリカ合衆国で30年続くまだデビューしていないカントリー・ミュージック歌手を探すコンテストである。年間10万人の参加があり、アメリカ国内で最大のカントリー・ミュージック・タレント・コンペティションとされている。

コンペティション[編集]

歴史およびスポンサー[編集]

1982年、年に一度のイベントとして最初の回がスタートした。当時はラングラーがスポンサーであった。ラングラーのスポンサーは4年間続いたが、True Valueなどに譲り渡した。GMCダッジコカ・コーラジミー・ディーンなどが共同スポンサーとなった。2010年、Colgateが単独スポンサーとして招かれるまでTrue Valueは14年間このイベントのスポンサーであった。2011年はテキサコが協賛した。毎年、アメリカの国内中から市町村、州、地方、国と勝ち上がった人から選ばれると、カントリー音楽界でのキャリアを上げるチャンスとなる上に10万ドルの賞金が与えられる。

選考方法[編集]

参加者は過去18ヶ月以内にビルボードのカントリー部門の100位以内に入ったことがある者は参加できない。このコンテストは毎年春に市町村レベルのコンテストから始まる。市町村のコンテストは450以上のカントリー音楽の放送局の提供で行われ、市町村代表が決められる。この代表者は州の大会に出場する。州の最終選考に進むと、地方のコンテストに選考される。南西部、南東部、中西部、北東部、西部の5地方から1人ずつ選考される。毎年1月、テネシー州ナッシュビルライマン公会堂において最終選考会が行われる。このナショナル・ファイナルは観客を入れて行われ、録画の上、3月と4月に1時間のテレビ番組として放送される。優勝者には賞金10万ドルと『ベスト・ニュー・アクト・イン・カントリー・ミュージック』の称号が与えられ、キャリアアップの援助の機会が設けられる。

審査[編集]

優勝者を決めるには5つの側面がある。第一に市場価値があるか。審査員はボーカル力だけでなく演奏技術も審査する。舞台上の存在感、全体的なカリスマ性も見られる。才能や出場者のオリジナリティは審査の重要なポイントである。同様にオリジナル曲も探している。2010年1月14日の最終選考会の審査員はフレッド・フォスター、クリス・レイシー、ブライアン・マンズフィールド、ジム・カティーノ、フレッチャー・フォスター、ロブ・エサイであった。この審査員たちはソニー・ミュージックアトランティック・レコードワーナー・ミュージック、CAAの音楽業界の重役たちである。ブライアン・アンズフィールドは音楽業界の重役ではないが、USAトゥデイの記者としてナッシュビルで働いている。過去の審査員にはオータム・ハウス、キャロル・アン・モブレー、パティ・ペイジ、ビバリー・キールがいる。

過去のコンテスト[編集]

2008年[編集]

過去の出場者であったリアン・ライムスが司会で最終選考会が行われ、キャリー・ジョイ、トレヴァー・パンザック、クリスティ・サゲット、ナッシュ・ストリート、エルドン・ジョンソンが出場した。優勝者はキャリー・ジョイ。

2009年[編集]

リアン・ライムスが司会で最終選考会が行われ、マット・リーヴス、ライヴウィア、レンス・リピンスキー、ジョニー・バルフォード、コリー・ブレイクが出場した。優勝者はジョニー・バルフォード。

2010年[編集]

4年連続でリアン・ライムスの司会で最終選考会が行われ、ケンドール・フィリップス、ケイシー・リー・スミス、ウィスキー・ロウ、テリー・リー・スペンサー、カーラ・デイヴィスが出場した。自身もこのコンテスト出身であるカントリー歌手のガース・ブルックスを含め、過去の出場者へのトリビュートとして行われた。優勝者はカーラ・デイヴィス。

著名な出場者[編集]

多くの出場者は現在も音楽歴、特にカントリー音楽においての経歴を上げている。トレイシー・バードトレイシー・ローレンスキャリー・アンダーウッドマーク・チェスナットジェイソン・アルディーンアシュトン・シェファードジェフ・ベイツカトリーナ・エラムトビー・キース(イースト・マネーのメンバー)、ブラッド・ペイズリーは市町村代表であり、ニール・マッコイビリー・ディーンサラ・エヴァンスビリー・レイ・サイラスクリス・ヤングエリカ・ジョーミランダ・ランバートジョン・マイケル・モンゴメリーボビー・ピンソンチャド・ブロックリアン・ライムスモンゴメリー・ジェントリートロイ・ジェントリーリック・トレヴィノは州または地方の代表者である。他の出場者にガース・ブルックスティム・マクグロウマルティナ・マクブライドなどがいる。

『カントリー・ショーダウン』と『アメリカン・アイドル』の繋がり[編集]

アメリカン・アイドル』の出場者は『アメリカン・アイドル』を落ちると同じ『タレント・コンテスト』であるということで『カントリー・ショーダウン』に挑戦する傾向がある。また『カントリー・ショーダウン』に出場するために『アメリカン・アイドル』を離れる者もいる。『カントリー・ショーダウン』は『アメリカン・アイドル』に比べ知名度に劣るが、『カントリー・ショーダウン』はカントリー音楽に特化しており、基本的にラジオでのプロモーションのみである。『カントリー・ショーダウン』での勝敗は視聴者の投票ではなく、審査員のみで決まる。『カントリー・ショーダウン』から『アメリカン・アイドル』に出演をした者にシェルビー・ドレゼルがいる。彼女のバンドが『カントリー・ショーダウン』の第5審査に進んだ時、彼女は『アメリカン・アイドル』のシーズン9に出場していて、トップの24人まで進んだが断念した。2010年7月17日、テネシー州ナッシュビルで行われたシーズン10のオーディションに参加し、第二審査に進んだ。他に『カントリー・ショーダウン』と『アメリカン・アイドル』の両方に出演した者に2010年の最終選考出場者のケンドール・フィリップスがいる。ドレゼルと違い、フィリップスは『カントリー・ショーダウン』に出場する前に『アメリカン・アイドル』に出場した。フィリップスは『アメリカン・アイドル』は『カントリー・ショーダウン』に出場するための準備練習だと感じていた。彼女は「『アメリカン・アイドル』での私の経験は良かった。確かに学ぶ過程だった。人々が知らない舞台裏での『テレビでの審査』、夜遅くまでかかること、撮り直し、インタビューなど多くのことを知ることができた。私は本当に何も知らない16歳だったが、テレビのリアリティ・ショーや音楽業界の多くのことを学んだ。私は今も『アメリカン・アイドル』に出会えたことを感謝しているが、人生の賭けのようなものでもあり、厳しい道でもある。音楽業界がなかったらストレスもなかったかもしれない。」と言った。フィリップスは地方の最終選考に残ったが、『カントリー・ショーダウン』の賞はカーラ・デイヴィスが得た。両方の番組に関わった他の者にキャリー・ジョイ・アンドリースディアーナ・フリーマンがいる。

2011年の優勝者、ジャクリン・ノースも『アメリカン・アイドル』シーズン9の出演者で、ハリウッドまで行ったが落選した。

外部リンク[編集]