カルナック (フランス)

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Carnac

Blason ville fr Carnac (Morbihan).svg
Carnac 2008 PD 05.JPG

地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏Blason region fr Bretagne.svg
(département) モルビアン県
(arrondissement) ロリアン郡
小郡 (canton) キブロン小郡
INSEEコード 56034
郵便番号 56340
市長任期 ミシェル・グラル(UMP
2008年 - 2014年
人口動態
人口 4 444人
1999年
人口密度 136人/km2
地理
座標 北緯47度35分05秒 西経3度04分46秒 / 北緯47.5847度 西経3.0794度 / 47.5847; -3.0794座標: 北緯47度35分05秒 西経3度04分46秒 / 北緯47.5847度 西経3.0794度 / 47.5847; -3.0794
標高 平均:?m
最低:0m
最高:45 m
面積 32.71km2 (3 271ha)
Carnacの位置(フランス内)
Carnac
Carnac
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カルナックCarnacブルトン語: Karnag)は、フランスブルターニュ地域圏モルビアン県コミューン。先史時代のメンヒルであるカルナック列石や、夏の海水浴場として知られている。

地理[編集]

カルナック列石

カルナックは大西洋に面した町である。東はモルビアン湾、西はキブロンである。コミューンの標高は高くないが、高原には2,934体の列石が並ぶ[1]

カルナックの基盤は、本質的に花崗岩層となっている。このわずかに薄片状の岩は、隆起するとたちまち平板状の塊となり、先史時代のメンヒルをつくるのに最適であった。

歴史[編集]

カルナックという名前は、ケルト語のCairnまたはCarn(塚、小高い丘)から生じた。これは45万年前に人が定住地を築いていたことを意味する。サン=ミシェルにある古墳は、紀元前5000年から3400年の間につくられたとされている。基本的に石は、長さが124m、幅60m、高さ12mである。これは特権階級の墓を示していたのではないかと考えられている。伝説では、ローマ兵に迫害された聖コルネリが、兵士たちを石に変えてしまったと伝えられている。

1864年、カルナックからラ・トリニテ=シュル=メールが分離し、独自の教区をつくった。漁師たちは港から遠くない場所にサン=コルネリ教会を建てた。現在、ラ・トリニテ=シュル=メールは別のコミューンであるが、同じ教区である。

1903年、かつての塩田跡に海辺のリゾートが開かれ、1950年代に現在のカルナックをつくった:旧市街はカルナック=ヴィル、海辺の新市街はカルナック=プラージュという。第二次世界大戦後、コートダジュールが観光地となると、次に観光客らが発見したのがブルターニュの海岸であった。1974年、ツール・ド・フランスを三度制した自転車競技選手、ルイゾン・ボベが引退後に出資して、カルナックにハイドロテラピー・センターをつくった。

2007年度の調査で、初等学校に通う子供の10.3%がブルトン語との2言語学校に通っている。

みどころ[編集]

聖コルネリ教会
  • 聖コルネリ教会(Église Saint-Cornély) - 17世紀から18世紀。王冠をかたどった花崗岩製の天蓋は、ブルターニュでは例がない。
  • サン=コロンバン(Village de Saint-Colomban) - カルナックの南西にある、古い集落。花崗岩でできた家が残る。住民たちは長く漁業と農業で暮らしてきた。礼拝堂は、聖コラムバに捧げられている。

脚注[編集]

  1. ^ 鶴岡真弓松村一男『図説ケルトの歴史 文化・美術・神話をよむ』河出書房新社、2017年、15頁。ISBN 978-4-309-76263-0 

参考文献[編集]

関連書籍[編集]

  • 渡邉浩司「カルナックの巨石群ー日仏民俗旅日記4」『中央評論』(中央大学)238号、2001年12月、p.88-92.

外部リンク[編集]