ウィリアム・ミラー

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ジョージ・ウイリアム・ミラー
Portrait of G. William Miller.jpg

任期 1979年8月6日 – 1981年1月20日

任期 1978年3月8日 – 1979年8月6日
元首 ジミー・カーター

出生 1925年3月9日
オクラホマ州サプルパ
死去 2006年3月17日(81歳)
政党 民主党
配偶者 アリアダナ・ロゴジャースキー

ジョージ・ウイリアム・ミラーGeorge William Miller, 1925年3月9日 - 2006年3月17日)は、アメリカ政治家実業家ジミー・カーター政権下で、第11代アメリカ連邦準備制度理事会FRB)議長(在任、1978年3月8日から1979年8月)、第65代アメリカ合衆国財務長官(在任、1979年8月6日から1981年1月20日)を歴任した。

生い立ち、青年時代[編集]

1925年3月9日オクラホマ州サプルパに生まれる。その後、テキサス州ボージャーに移る。1945年沿岸警備隊アカデミー卒業。同アカデミーで海洋工学を学んだミラーは、1949年まで沿岸警備隊士官として極東及びアメリカ西海岸で勤務した。

その後、カリフォルニア大学バークレー校に学び、1952年同校のボールトホール法科大学院卒業後は、ニューヨークの米国きっての法律事務所であるクラバス・スウェイン・アンド・ムーア(enに所属する。

実業家時代[編集]

1956年テクストロン社に入社し、1957年副社長を経て、1960年社長に就任。1968年テクストロン社最高経営責任者CEO)に就任。1974年最高経営責任者兼会長に就任。FRBに移るまでこの地位にいた。また、この間、1963年から1965年にかけて、雇用機会均等に関する大統領産業諮問委員会議長。1966年から1967年まで全米慈善会議の委員を務めた。

ミラーのFRBでの最初のポストは、ボストン連邦準備銀行頭取である。また、この時期にビジネス評議会やビジネス・ラウンド・デーブルのメンバー、全米事業家同盟協議会議長も務めた。

FRB議長、財務長官時代[編集]

1978年3月8日アーサー・バーンズの後任として、カーター政権のFRB議長に就任する。就任当初、実業界出身ということもあり、悪性インフレ撲滅のために、積極的な利上げを行った。しかし、翌1979年年明け以降早急な利上げに反対する議員から議会でつるし上げにあい、利下げに転じてしまった。1979年8月にポール・ボルカーに後任を譲り、FRB議長としては1年5ヶ月余りという極めて短期間の在任であった。政治的圧力に屈して利下げに転じたことから、FRB議長として低く評価されているが、前議長バーンズと違い積極的に利上げを行ったことにより、次期ボルカー議長による利上げの地均しになったと評価する人もいる。他の多くの議長と違い中央銀行出身者でなく、政治経験もなかったため、金利政策以外の政策の重要性を看過し、金利政策にのみ固執してしまい適切な金融政策を実効できず、また政界工作の重要性を認識していなかったため、短命に終わってしまった。

1979年8月マイケル・ブルーメンソールの後任として財務長官に転じる。財務長官としては、経営危機に陥っていた米自動車大手クライスラーを救済するため、同社に対して15億ドルの政府融資保証を取りまとめた。クライスラーはこの融資によって回復し、1980年代始めには、政府融資を完全返却するまでになった。

2006年3月17日夜、特発性肺線維症のため、ワシントン州の自宅で死去した。81歳。

参照[編集]

外部リンク[編集]


官職
先代:
アーサー・バーンズ
FRB議長
1978年3月8日 - 1979年8月6日
次代:
ポール・ボルカー
公職
先代:
マイケル・ブルーメンソール
アメリカ合衆国財務長官
Served under: ジミー・カーター

1979年8月7日 - 1981年1月20日
次代:
ドナルド・リーガン