ジョージ・シュルツ

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ジョージ・シュルツ
George Shultz
George Pratt Shultz.jpg
ジョージ・シュルツ(1989年)
生年月日 (1920-12-13) 1920年12月13日(99歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of New York City.svg ニューヨーク州ニューヨーク
出身校 プリンストン大学
マサチューセッツ工科大学
現職 経済学者
教授
実業家
公務員
所属政党 アメリカ共和党
配偶者 ヘレナ・マリア・オブライエン
シャーロット・マリアード・シュルツ

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
60代目国務長官
在任期間 1982年7月16日 - 1989年1月20日
大統領 ロナルド・レーガン

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
62代目財務長官
在任期間 1972年6月12日 - 1974年5月8日
大統領 リチャード・ニクソン

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
19代目行政管理予算局局長
在任期間 1970年7月1日 - 1972年6月11日
大統領 リチャード・ニクソン

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
11代目労働長官
在任期間 1969年1月22日 - 1970年7月1日
大統領 リチャード・ニクソン
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ジョージ・プラット・シュルツ英語: George Pratt Shultz, 1920年12月13日から)はアメリカ合衆国の政治家。リチャード・ニクソン政権で11代目アメリカ合衆国労働長官・62代目アメリカ合衆国財務長官・19代目アメリカ合衆国行政管理予算局局長・ロナルド・レーガン政権1期目と2期目で60代目アメリカ合衆国国務長官を歴任した。

経歴[編集]

ドイツ系アメリカ人で、先祖の姓は「Schultz」と表記。

1942年にシュルツはプリンストン大学経済学の学位を得る。同年にアメリカ海兵隊に入隊し、1945年まで軍務に就き大尉まで昇進した。その後1949年にはマサチューセッツ工科大学から産業経済学の博士号を得る。彼はマサチューセッツ工科大学の経済学部及び同大のスローン経営大学院で1948年から1957年まで教鞭を執り、1955年にはアメリカ合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーの経済諮問委員会の委員に就任した。1957年には労働関係学の教授としてシカゴ大学のビジネス大学院に加わり、その後1962年に学部長に就任した。

シュルツは1969年から1970年までリチャード・ニクソン大統領の下で11代目アメリカ合衆国労働長官を務めた。その後彼は19代目アメリカ合衆国行政管理予算局局長に就任し、1972年5月から1974年5月まで62代目アメリカ合衆国財務長官を務めた。この期間中にポール・ボルカー及びアーサー・バーンズと共に金本位制ブレトン・ウッズ体制の終了を決定した[1]

アメリカ合衆国国務長官時代[編集]

1974年にシュルツは政府を離れ、ベクテル社の社長に就任した。その後1982年7月16日にシュルツはロナルド・レーガン大統領から60代目アメリカ合衆国国務長官に指名された。シュルツはタカ派が多数派を占めるレーガン政権において穏和な外交政策を主張し、しばしば対立した。シュルツはイラン・コントラ事件における「人質のための武器」問題に対して反対意見を述べたことでアメリカ合衆国世論の大きな注目を集めた。シュルツはニカラグアへの侵攻に積極的な立場をとり、1983年には議会において「我々はニカラグアの癌を切除しなければならない」と証言した。また1985年にニカラグアのダニエル・オルテガ大統領との政府間交渉に反対し、「交渉のテーブルの上に強制力の影がちらつかないのであれば、『交渉』という言葉は『降伏』を遠回しに表現しているに過ぎない」と述べた。そして国際連合世界法廷といった外部の仲介による「理想的・法的」解決を提唱して「方程式における力の項」を無視する人々を、厳しく批判した。

引退後[編集]

1989年1月20日にシュルツはアメリカ合衆国国務長官を辞任した。しかしながら引き続きアメリカ共和党の政治参謀として活動した。その一方でシュルツはドラッグの合法化を主張する共和党員の急先鋒となり、多くの保守派の党員を驚かせた。そして1998年6月8日にはニューヨーク・タイムズ紙に「今日、世界的規模によるドラッグとの戦いが薬物乱用よりも多くの問題を引き起こしているだろう」という広告を署名付きで掲載した。

2000年アメリカ合衆国大統領選挙ではジョージ・W・ブッシュの選挙参謀を務め、その後ディック・チェイニーポール・ウォルフォウィッツコンドリーザ・ライスらが所属するブッシュの政策顧問団バルカンズでは上級顧問も務めた。2003年のイラク戦争では支持を表明した。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

学職
先代:
W・アレン・ウォリス
シカゴ大学ブースビジネススクール学長
1962–1969
次代:
シドニー・デヴィッドソン
公職
先代:
ウィラード・ウィッツ
アメリカ合衆国労働長官
Served under: リチャード・ニクソン

1969–1970
次代:
ジェームズ・ホジソン
先代:
ロバート・メイヨー
アメリカ合衆国行政管理予算局局長
1970–1972
次代:
キャスパー・ワインバーガー
先代:
ジョン・コナリー
アメリカ合衆国財務長官
Served under: リチャード・ニクソン

1972–1974
次代:
ウィリアム・サイモン
先代:
アレクサンダー・ヘイグ
アメリカ合衆国国務長官
Served under: ロナルド・レーガン

1982–1989
次代:
ジェイムズ・ベイカー