ウィダー
ウィダー Ouidah | |
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ウィダーの中心部(2019年撮影) | |
位置 | |
座標 : 北緯6度22分0秒 東経2度5分0秒 / 北緯6.36667度 東経2.08333度 | |
行政 | |
国 | ベナン |
県 | アトランティック県 |
コミューン | ウィダー |
地理 | |
面積 | |
コミューン域 | 364 km2 |
人口 | |
人口 | (2013年5月11日現在) |
コミューン域 | 162,034人 |
人口密度 | 445人/km2 |
市街地 | 47,616人 |
その他 | |
等時帯 | 西アフリカ時間 (UTC+1) |
夏時間 | なし |
ウィダー(フランス語: Ouidah)は、ベナンのアトランティック県の都市・コミューン。ベニン湾に面する昔からの貿易港である。コミューン(基礎自治体)としてのウィダーはPahouなどの都市を含み、面積は364平方キロメートル、人口は162,034人(2013年国勢調査[1])。都市としてのウィダーのみの人口は47,616人(2013年国勢調査[2])。
歴史
[編集]ウィダーは、サヴィーを王都とするウィダー王国(英語: Kingdom of Whydah、英語: Hueda - フエダ王国、サヴィー王国とも)の貿易港であった。16世紀末には交易地としてすでに成立しており、1680年にはポルトガルがサン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダ砦を立てて交易の拠点とした。
1727年にウィダー王国は内陸のダホメ王国のアガジャ王によって占領された。この街は特に奴隷貿易の拠点として栄えた。19世紀前半には、ここに拠点をおいたポルトガルの奴隷商人フランシスコ・フェリックス・ダ・スーザとダホメ国王ゲゾの間で奴隷の取引が盛んにおこなわれ、ここからアメリカへと奴隷が輸出されていった。
1960年にフランス領西アフリカからダホメ共和国として独立すると、1961年にはサン・ジョアン・バプティスタ・デ・アジュダ砦はダホメ政府によって接収された。
1999年よりアトランティック県の県都であったが、2016年にアラダへ変更された[3][4]。
世界遺産
[編集]現在では奴隷貿易時代の遺構がいくつか残り、また奴隷貿易のモニュメントが複数立てられている。1995年には奴隷が積み出された浜辺に還らずの門(Door of No Return)と呼ばれるモニュメントが立てられた。また、この奴隷貿易の遺構は1996年に世界遺産の暫定リストに加えられた。
ヴードゥー教の聖地
[編集]ウィダーはヴードゥー教(ベナンではヴォドゥンと呼ばれる)の聖地であり、この地から世界中に散った奴隷たちによってヴードゥー教が世界に広まった。現在でも年に一度ヴードゥーの信徒国際会議がウィダーで開かれている。また、1992年には当時のニセフォール・ソグロ大統領とベナン政府によってウィダー92というヴードゥー芸術・文化祭が開催された。[5]
文学作品
[編集]- ブルース・チャトウィン(Bruce Chatwin)著 『ウィダの総督(The Viceroy of Ouidah)』 めるくまーる (1989), ISBN 4839700478 , 全国書誌番号:90041881
脚注
[編集]- ^ “Benin/Departments and Communes”. Citypopulation.de (2017年7月19日). 2021年11月16日閲覧。
- ^ “Benin/Departments”. Citypopulation.de (2018年8月2日). 2021年11月16日閲覧。
- ^ “Bénin : liste des 12 nouveaux préfets et des chefs-lieux de départements”. La Nouvelle Tribune (2016年6月). 2021年11月16日閲覧。
- ^ “Décret n°2016-397 du 07 juillet 2016 portant fixation des chefs-lieux des départements de la République du Bénin.”. 国際連合食糧農業機関 (2016年7月7日). 2021年11月16日閲覧。
- ^ 「朝倉世界地理講座 アフリカⅡ」池谷和信、佐藤廉也、武内進一編、朝倉書店、2008年4月 p714