アンドレア・ドウォーキン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
イギリスのテレビ討論番組に出演するアンドレア・ドウォーキン(1988年

アンドレア・リタ・ドウォーキン(Andrea Rita Dworkin、1946年11月26日 - 2005年4月9日)は、アメリカ合衆国法哲学者、ノンフィクション作家。ニュージャージー州カムデン生まれ。ユダヤ系。

概要[編集]

1960年代から平和運動やアナーキズムに関わるが、左翼の中にもひそむ女性への暴力に気づく。オランダに渡り、結婚生活を送るが、夫からの暴力を受け、1970年代初頭よりラディカル・フェミニストとして活発に活動するようになる。ポルノや売春の暴力性を訴え、キャサリン・マッキノンとともに反ポルノグラフィ運動を行う。文芸批評においても、男性作家達がレイプや性暴力をエロティックに肯定していると糾弾した。

ラディカル・フェミニズムを象徴する人物であるが、その急進的な主張には反フェミニズムのみならずリベラル・フェミニズムからも批判を受けている[1][2]。その一方で共感や支持も少なくないのも確かである[3]

晩年は変形性膝関節症血栓などの病気に悩まされ、2005年ワシントンD.C.の自宅で睡眠中に心筋炎により死去した。

思想[編集]

著書『ポルノグラフィ―女を所有する男達』(ISBN 9784791751280)で、以下のように書いている。

 「結婚とはレイプを正当化する制度。レイプは本来、婦女を無理矢理連れ去るという意味だが、連れ去って捕虜にすると結婚になる。結婚とは捕虜である状態の拡大延長。略奪者による使用のみならず所有を意味する」

「家族という孤立した小単位に分断されることにより、人々は共通利益のために一致団結して闘うことができなくなった」

ドウォーキンにとって制度は、それが宗教的なものであれ慣習であれ法律であれ、女に対する男の優位を創りだして持続させるものとしての性交に、貢献している。性交は「プライヴェート」なものではない(『インターコース 性的行為の政治学』、第8章「法律」)。「プライヴァシー」は国家の規制を被らない自由の領域であるが、女にとってはしばしば独房、ゲットーになる。

ドウォーキンによれば、身体の接触を伴わない「強姦」がある。ポルノグラフィの撮影のさい、被写体の女が使用されたとき、それは「第1の強姦」である。「第2の強姦」は、その写真を見る人がそれを消費することである(『ポルノグラフィー女を所有する男たち』、第5章「力の行使」)。ここでドウォーキンが言及している写真は2人の女が写ったものと女の恥部がクローズアップされたものである。また、ドイツ版『プレイボーイ』からアメリカ版に再掲載された、レーザー照明が使用されているというべつの或る写真に至っては、「魔女は火あぶりにされた。ユダヤ人は焼却された。レーザーは焼く。ユダヤ人であり女である『プレイボーイ』のモデルは、捕らわれ、縛られ、焼かれる危機にさらされている」と、ドウォーキンは言う。このモデルがユダヤ人「である」という表現が隠喩であるのか否かは判然としない。

批判[編集]

フランスのフェミニストであるエリザベット・バダンテールは、ラディカルフェミニズムを批判する本である[4]『迷走フェミニズム これでいいのか男と女』で、ドウォーキンを批判している。ドウォーキンとキャサリン・マッキノンの言う「男性支配」というコンセプトは、女性の抑圧の根源は男性性や男性のセクシュアリティであるという論理をもたらす。このコンセプトは、現実の複雑さや歴史性、男女関係の変化について考えるのを回避することに役立っている。

バダンテールはまた、ドウォーキン『ポルノグラフィ 女を所有する男たち』の第2章「大人の男と男の子」の最終段落を引用し、ドウォーキンの結論を「強姦は異性愛の枠組みの一部だ」という主張であると見なしている[5]

イヴ・セジウィックは『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』の序章でラディカル・フェミニズムに言及し、その代表格の一人にドウォーキンを挙げ、「ラディカルフェミニズムは、ジェンダーやセクシュアリティの意味がこれまで著しく変化してきたことを、暗にであれ露骨にであれ、否定しがちだ。(中略)重大な変化をもたらす要因を徹底的に単純化してしまうかもしれない」。

著作[編集]

ノンフィクション[編集]

フィクション[編集]

  • Mercy (1990, ISBN 0-941423-88-3)
    • 日本版は「贖い」(1993年、青弓社)。
  • Ice and Fire (1986, ISBN 0-436-13960-X)
  • The New Woman's Broken Heart: Short Stories (1980, ISBN 0-9603628-0-0)
  • Morning Hair (self-published, 1968)
  • Child (1966) (Heraklion, Crete, 1966)

連載記事[編集]

  • ASIN B0006XEJCG (1977) Marx and Gandhi were liberals: Feminism and the "radical" left
  • ASIN B0006XX57G (1978) Why so-called radical men love and need pornography
  • ASIN B00073AVJA (1985) Against the male flood: Censorship, pornography and equality
  • ASIN B000711OSO (1985) The reasons why: Essays on the new civil rights law recognizing pornography as sex discrimination
  • ASIN B00071HFYG (1986) Pornography is a civil rights issue for women
  • ASIN B0008DT8DE (1996) A good rape. (Book Review)
  • ASIN B0008E679Q (1996) Out of the closet.(Normal: Transsexual CEOs, Cross-Dressing Cops and Hermaphrodites with Attitude)(Book Review)
  • ASIN B0008IYNJS (1996) The day I was drugged and raped

インタビュー等[編集]

レビュー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 例えばA. SnitowとP. Califiaの『ポルノと検閲』やN. Strossenの『ポルノグラフィ防衛論』を参照。
  2. ^ ポルノをめぐる諸問題ーー反ポルノ派フェミニズム批判
  3. ^ Sarah Baxter (2005年). “Right hails Dworkin sex campaign”. 2009年9月12日閲覧。
  4. ^ エリザベット・バダンテール『迷走フェミニズム これでいいのか男と女』、2006年、夏目幸子 訳、新曜社、175頁。
  5. ^ 「男が男になるためには、ペニスが男の暴力を具現していなければならない。暴力は男性的であり、男はペニスである、従って暴力はペニス自体、もしくはそこから発射される精子自体だということになる。男が男になるために、ペニスは己がなしうるすべてのことを無理強いでやらなければならない」。この文章は『迷走フェミニズム』でバダンテールが引用している箇所とは異なるが、ドウォーキン『ポルノグラフィ』の第2章「大人の男と男の子」の文章である。