オートクレール

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オートクレールフランス語: Hauteclaire, haute + claire 「高く清らか」または「いとも清き」を意味する)[注 a][注 b]は、シャルルマーニュ伝説に登場する騎士パラディンオリヴィエ。11世紀古フランス語武勲詩ロランの歌』やその他の武勲詩、それらの翻訳翻案作品に登場する。

ロランの歌[編集]

ロランの歌』では、ロランの盟友オリヴィエの剣として言及されている。鍔金水晶で飾られていたと描かれている[1]

ジラール・ド・ヴィエンヌ[編集]

12世紀末(1180年頃)成立の武勲詩『ジラール・ド・ヴィエンヌ』(ベルトラン・ド・バール゠シュル゠オーブフランス語版作)にオリヴィエが入手したいきさつが語られる[2][3]

ジラールと言う題名主人公は、ヴィエンヌ男爵[4]で、ガラン・ド・モングラーヌ英語版の末子、すなわちオリヴィエの叔父である[4][5]。ジラールとシャルル王との諍いが[6]戦闘[7]、ヴィエンヌ攻城戦に発展するが[8]、それぞれの甥(ロラン対オリヴィエ)の一騎討ちで決着をつけると決まり[9]、装束にも整えられて試合はおこなわれる。

オリヴィエは剣が折れ、決闘を中断して、代わりの剣をヴィエンヌ領に求める[11]。するとヨアヒム[注 1]というユダヤ人は、名剣(じつはオリヴィエの祖先のものだった、いわば家宝の剣)を返上する。その昔ミュニフィカン(Munificans[注 2]が鍛えた作で、(架空の)ローマ皇帝クロザモン (Closamont)発注 の剣であったが、幾人かの手を経てオリヴィエの下に渡ってきた:剣はいちど失われていたが、大鎌の刈り手が見つけ、教皇の宝庫に収められたのを、ピピンが奪い戴冠式で佩き、その後ブ―ヴォン公爵(ブ―ヴ公爵)に下賜し、(ヴィエンヌの地元の)ユダヤ人が買い取たのだ[2][3][注 3]

ちなみにブ―ヴォン公爵(あご髭のブ―ヴ公爵)もオリヴィエの祖先だった[16]

イタリアの翻案では、内容や設定を変えてオリヴィエに伝わった来歴が説明される( § アンドレア・ダ・バルベリーノ参照)。

ユーゴーによる翻案[編集]

ヴィクトル・ユーゴーの作品『ローランの結婚』(le Mariage de Roland, 『諸世紀の伝説』フランス語版所収、1859年)は『ジラール・ド・ヴィエンヌ』の翻案作品であるが、そこでは剣名がクロザモンClosamont)であった、と解釈されている[17][3][18]。これは Achille Jubinal[18] が『ジラール・ド・ヴィエンヌ』を散文訳した際の誤りを踏襲してしまったものと考えられている[19]

他の武勲詩[編集]

12世紀末(1170年頃)成立の武勲詩『フィエラブラ』では、主君シャルルマーニュの剣ジョワイユーズや親友ロランの剣デュランダルなどと同じ鍛冶師一族によって鍛えられたとされている[20][21][注 4]

14世紀末(1398年頃)成立の武勲詩『サラゴサのローランフランス語版』ではタリヤプリーマTalhaprima, talha + prima, 「最初に切りかかる」を意味する[22])と呼ばれている[23][24]

翻訳・翻案作品[編集]

イタリア語圏[編集]

イタリア語圏の翻訳・翻案作品では、アルタキアライタリア語: Altachiara, alta 「高く」 + chiara 「清らか」、フランス語名オートクレールの意味訳か)、アルタキエラAltachiera)などの表記で登場する[25]

また、イタリアではオリヴィエ(ウリヴィエリ[26]、オリヴィエリ、オリヴィエロ[27])らモングラ―ナ家の祖先に英雄ブオヴォ・ダントーナ(Buovo d'Antona, 英国・ハンプトンのビーヴィス卿英語版[注 5])がいるとされており[29][31]、ブオヴォのものだった、いわば伝家の宝刀を取り戻したとされる[32](以下詳述)。ブオヴォはオルランドやいとこのリナルドマラジジ(キアラモンテ家)の祖ともされる[29]

アンドレア・ダ・バルベリーノ[編集]

別名(かつての名前)としてキアレンツァChiarenza, chiar + -enza 「清澄さ、輝き」からか)またはクラレンツァClarença[33][注 c]ガスティガ=フォッリGastiga-folli, gastiga < castiga 「懲らしむ、罰す」 + folli 「愚かな、愚者」からか)があったとされる。

14世紀末(1400年頃)にイタリア語散文で書かれたアンドレア・ダ・バルベリーノ英語版の『アスプラモンテ』(L'Aspramonte, 12世紀古フランス語武勲詩アスプルモンの歌』を翻案したもの)では、アルタキアラ(Altachiara)の表記で登場する。本作ではアルタキアラがウリヴィエーリ(Ulivieri, ⇒オリヴィエ)の下に来るまでの来歴が語られているが、かつてはランツィロット・ダル・ラーゴ(Lanzilotto dal Lago, ⇒フランス語圏のアーサー王伝説におけるランスロット・デュ・ラック[注 6]の剣であり、またブオヴォ・ダントーナ(ハンプトンのビーヴィス卿)の剣でもあったとされている。ランツィロットの下にあったときはガスティガ=フォッリと呼ばれ、ブオヴォの時代にはキアレンツァと呼ばれていた[32]。ゲラルド(Gherardo, ⇒ジラール・ド・ヴィエンヌ)が、やはりユダヤ人から剣を入手し、アルタキアラと名付けウリヴィエーリに与えた[34][35][32][36]

アンドレア・ダ・バルベリーノの他の著作『フランス王家』(I Reali di Francia, wikidata)でも、ブオヴォ・ダントーナに関する箇所で、キアレンツァに関する言及がある[37]

恋するオルランド[編集]

15世紀末(1495年)にイタリア語韻文で書かれたボイアルドの『恋するオルランド』でも、アルタキアラ(Altachiara[38]またはアルタキエラ(Altachiera[39]の表記で、オリヴィエロ(Oliviero, オリヴィエ)の剣として登場する[40][41]

円卓物語[編集]

15世紀にイタリア語(中世トスカーナ方言英語版)で書かれたアーサー王物語系の作品『円卓物語英語版 /(イタリア語版[42]では、円卓の騎士5人の像を後世にシャルルマーニュが発見し、像に携えられていた剣を受け継ぐというエピソードが語られている[43]。ここでもランチアロット(Lancialotto, ⇒ランスロット)の剣をウリヴィエーリ(Ulivieri, ⇒オリヴィエ)が受け継ぎ、アルタクレラ(Altaclera, ⇒オートクレール)と呼ばれた、と語られている[44][45]

ドイツ語圏[編集]

ドイツ語圏の作品ではアルテクレーレドイツ語: Alteclere)という表記で登場する[25][46]

脚注[編集]

注釈[編集]

a. ^  語釈について、有永 (1965), p. 269(後注:1363行目:オートクレール)では「高く清らか」「いとも清き」としている。

b. ^  オートクレール、アルタキアラの綴りとしては、 Aakleif [25], Altachiara [25], Altachiera [25], Altaclara [25], Alteclara [25], Alteclare [25], Alteclere [25], Anteclere [25], Anticlêre [25], Atakle [25], Haltecler [25], Hantegler [25], Hatakler [25], Hattagisser [25], Hatukleif [25], Haulteclere [25], Haunchecler [25], Hautacleir [25], Hautecleer [25], Hautecler [25], Hauteclere [25], Hawdyclyr [25], Hawtcler [25], Hawteclere [25], Hawteclyr [25], Klareit [25], がみられる。

c. ^  キアレンツァ、クラレンツァの綴りとしては、 Chiarenza [33], Clarença [33], Clarençe [33], がみられる。

  1. ^ Tarbé編本は"Joachins"等だが、Newth英訳で"Joachim"。
  2. ^ Newth英訳やその原典のVan Emden編本では"Manificans"
  3. ^ 決闘が決まるなか、オリヴィエの妹のオードとロランとの愛がはぐくまれるが(第129詩節/4674ff行目や第152詩節/5406ff行目参照)、この愛と決闘のエピソードは、ヴィクトル・ユゴーが「ロランの結婚」という題名で翻案している。だが原典で剣は「クロザモンのために作れり」とあるはずを「クロザモンを作れり」としてしまっている[2][3]
  4. ^ 『フィエラブラ』には複数のバージョンが存在する点に注意。参考:『フィエラブラ』 - 『ロランの歌』登場アイテム - 神話と詩の収納庫”. 2023年2月28日閲覧。
  5. ^ 中英語の物語詩『ハンプトンのビーヴィス』に登場する。
  6. ^ Boni (1951), pp. 290–291(本文)での表記はランツィロット・ダル・ラーゴ(Lanzilotto dal Lago)、Boni (1951), p. 355(索引)での表記はランツィロット・デル・ラーゴ(Lanzilotto del Lago)となっている。

出典[編集]

  1. ^ 有永 1965, p. 88(第107詩節、1364-1365行目)
  2. ^ a b c 『ジラール・ド・ヴィエンヌ』第156詩節(5529-5566行目)。Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth (1999), pp. 152–153. Bertrand de Bar-sur-Aube & Tarbé (1850), pp. 144–145
  3. ^ a b c d Gautier 1872, vol. 2, pp. 136-137, Vers 1363. - Halteclere. ウィキソース出典 Notes et variantes” (フランス語), La Chanson de Roland, ウィキソースより閲覧。  [スキャンデータ]
  4. ^ a b Langlois (1904), Table des noms s.v. "Girart de Viane, de Vianne, de Vyane, Gerat: "Baron. Fils de Garin de Monglane". GV [éd. Tarbé] の出典箇所は多大のため省略されている
  5. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth (1999), p. 194, Index, GIRART of Vienne.
  6. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth (1999), p. xiii.
  7. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth (1999), pp. 43–84 Part Two: Hositilies Begin. 第43–90詩節(1536–3036行目)
  8. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth (1999), pp. 85–162 Part Three: The Siege of Vienne. 第91–170詩節(3037–5962行目)
  9. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth (1999), pp. 113–114 第113–114詩節(4096–4138;4039–行目)
  10. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth (1999), pp. 111–112
  11. ^ 『ジラール・ド・ヴィエンヌ』第111詩節(4041-4043行目)[10]
  12. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth (1999), pp. 111–112: "Vienne was my grandfather's/.. long-bearded Beuvon"; p. 191, Index, Beuvon (1)も参照.
  13. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Tarbé (1850), p. 105: "Mes aioils fut Dus Bueves li berbés"
  14. ^ Langlois (1904), Table des noms s.v. "Buevon le barbé, Bueves li barbés: "Duc. aïeul d'Olivier". GV [éd. Tarbé, pp.] 105, 140, 145
  15. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth (1999), p. xviii:"Girart's ancestor Beuvon 'the bearded'"
  16. ^ 『ジラール・ド・ヴィエンヌ』第111詩節(4041-4043行目)。英訳では「オリヴィエの祖父」と訳しているが[12]、フランス語原文やラングロワ事典[13][14]では「オリヴィエの」とあり、これは「祖父とも祖先」ともとれ、また、オリヴィエの父方の祖父はガラン・ド・モングラーヌなはずである。Newth序文でもブ―ヴォンはやはり「ジラールの祖先」と言い回ししているので[15]、「オリヴィエの(さらに一世代遠い)祖先」でもあるとみるのが、妥当であろう。
  17. ^ Hugo 1859.
  18. ^ a b Thomov 1978, p. 472.
  19. ^ Thomov 1978, p. 471.
  20. ^ Kroeber & Gustave (1860), p. 21, 655行目前後: ... Et Galans fist Floberge à l'acier atempré, / Hauteclere et Joiouse, où moult ot digneté : ...(引用は654-655行目、強調は引用者による)
  21. ^ Jehan Bagnyon版『フィエラブラ』第2書第1部第9章。Bagnyon (2013). ... Et gallant l'autre frere fit celle qui nommoit flamberge l'autre haulte clere et l'autre joyeuse que charlemagne avoit pour grant especialité. ...(強調は引用者による)
  22. ^ 「タリヤプリーマ」の表記および「最初に切りかかる」の語釈は以下の文献にみられる:Trachsler, Richard渡邉, 浩司余剰な1本の剣 ―古フランス語韻文物語『双剣の騎士』をめぐって―」『仏語仏文学研究』第49巻、中央大学仏語仏文学研究会、2017年2月28日、85-120頁、CRID 1050579057244232576  pp. 104-105.
  23. ^ Roques 1925, p. 413(119行目)
  24. ^ Roques 1956, p. 5(119行目); p. 52(索引)
  25. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab Moisan 1986, pp. 366-367 ("HAUTECLERE")
  26. ^ a b Boni (1951), p. 369(索引"Ulivieri)"figlio di Rinieri, e nipote di Gherardo de Fratta.."
  27. ^ Boiardo & Ross tr. (2004), p. 594, index, "Oliver, Olivieri, Oliviero"
  28. ^ Rosenzweig, Claudia, ed (2015). Bovo d’Antona by Elye Bokher. A Yiddish Romance: A Critical Edition with Commentary. Studies in Jewish History and Culture 49. BRILL. p. 120, n401. ISBN 9789004306851. https://books.google.com/books?id=VnTsCgAAQBAJ&pg=PA120 
  29. ^ a b Delcorno Branca (1974), p. 15; Rosenzweig[28] (Delcorno Branca (1974), p. 107 および Andrea da Barberino, I Reali di Francia chapter 2.2 引き)。
  30. ^ Barberino & Boni (1951), p. 342(索引 "Buovo d'Antona")"avo di Gherardo de Fratta.."
  31. ^ Boni編本の巻末索引(語彙集)"Ulivieri"[26]および"Buovo d'Antona"参照[30]
  32. ^ a b c Boni (1951), p. 336(索引 "Altachiara")"spada di Ulivieri, già di Lancilotto〔ママ〕 del Lago (Gastiga-folli) e di Buovo d'Antona (Chiarenza), III, CLIV 12–15 "
  33. ^ a b c d Moisan 1986, p. 202 ("CLARENÇA")
  34. ^ Cavalli 1972, p. 308.
  35. ^ Boni 1951, pp. 290–291.
  36. ^ Boni (1951), p. 336(索引 "Lanzilotto del Lago")"possedeva la spada detta Gastiga-folli,passata pi a Buovo..(中略) e a Ulivieri col nome di Altachiara"
  37. ^ Delcorno Branca 2008, pp. 82, 85, 168, etc..
  38. ^ Boiardo 1906, p. 130(第1巻第7歌第6聯第3行)
  39. ^ Boiardo 1906, p. 131(第1巻第7歌第7聯第2行)
  40. ^ Boiardo 1906, pp. 130–131(第1巻第7歌第6-7聯)
  41. ^ Boiardo & Ross tr. (2004), p. 594, index, "Altachiera"
  42. ^ 「円卓物語」の表記は以下の文献にみられる:狩野, 晃一 著「中世イタリアのトリスタン物語『円卓物語(ラ・ターヴォラ・リトンダ)』」、渡邉浩司 編『アーサー王伝説研究 : 中世から現代まで』中央大学出版部〈中央大学人文科学研究所研究叢書71〉、2019年。ISBN 9784805753552 
  43. ^ Polidori 1864, pp. 391–392.
  44. ^ Polidori 1864, p. 392. E quella di Lancialotto ebbe il marchese Ulivieri, e appellòlla Altaclera, cioè spada bella.(強調は引用者による)
  45. ^ Polidori 1865, pp. 13–14("SPOGLIO LESSICOGRAFICO"(用語集兼索引) - "Altaclera" )
  46. ^ 「アルテクレーレ」のカナ表記は寺田 (1992), p. 15(脚注29)にみられる。

参考文献[編集]

ロランの歌
他の武勲詩 - フィエラブラ
他の武勲詩 - ジラール・ド・ヴィエンヌ
他の武勲詩 - サラゴサのローラン
翻訳・翻案作品 - アスプラモンテ
翻訳・翻案作品 - フランス王家
翻訳・翻案作品 - 恋するオルランド
翻訳・翻案作品 - 円卓
翻訳・翻案作品 - 他
リファレンス類

関連項目[編集]

外部リンク[編集]