コンテンツにスキップ

アスプルモンの歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シャルル王が甥のロランを抱擁。騎士叙任式の直前図[1][2]
ランズダウン782写本、第22葉裏のミニアチュール

アスプルモンの歌(アスプルモンのうた、Chanson d'Aspremont)は、ローランの若き頃の活躍[3]騎士叙任[注 1]を描いた作者不詳の12世紀(1190年以前[4])の武勲詩。全11376行(武勲詩としては異例の長編[5])。現存する原稿から当時特にイギリスで人気を博したと推測される。

異教徒王アゴラン英語版が息子の王子オーモンをともないイタリアに侵攻、フランク王国の首都エクスシャルルマーニュ王は、異教の使節がもたらす挑戦状を受け対決を決意、アスプルモンで衝突して会戦が始まる。ネーム公英語版の活躍はめざましく、使節バランは感化されて改宗を決意、「良き異教徒」として味方につく。

ロランらは若輩とみなされ参戦を見送られて副都ランに軟禁されるが脱出、ネーム公の黒毛の名馬モレルを奪って戦に乱入[注 2]。シャルル王の危機にロランが駆け付け、異教徒の王子オーモンを討ち取る。その折、王豪華な戦利品の数々を鹵獲―角笛オリファン英語版、愛馬ヴェイヤンティフフランス語版、そして聖剣デュランダル。いずれも後にロンスヴォーの戦いへと携える運命となる名物である。

かくしてロランの活躍により、シャルルマーニュの王子オーモンとの会戦に勝利。後半(第二部)では[注 3]、論功行賞がおこなわれ、戦利品の聖剣デュランダルはロランに授けられ、シャルルマーニュにより彼は騎士にされた。

あらすじ

[編集]
テュルパン来訪に怒るジラール。
—セルヴァン(M. A. Servant)画、Brandin 現代訳 (1925) 『La chanson d'Aspremont』より
グリフォンとの対決[7]
—セルヴァン(M. A. Servant)画、Brandin 現代訳 (1925) 『La chanson d'Aspremont』より
「われらを城外に出して、少し遊ばせ(ておくれ)」[8][9]。若きロランらがラオンの門番に直談判
アスプルモンでの祝福[10]、テュルパンが持つと、真の十字架をこめた十字が光りだす

(行指定は、Brandin編本およびNewth 英訳本に準ずる)
アフリカの異教徒王アゴラン英語版/Agoland[11][注 4]南イタリアに侵攻を開始した。王アゴランはバランに使節としてもたせた親書は、はたして五旬節のおり首都エクス(アーヘン、39–40行)で会議を開廷しているシャルルマーニュ[注 5]の元に届く[14]

建前は[注 6]キリスト教圏を制覇したら、息子の王子オーモン[注 7]ローマで戴冠させたいとするが(335–6行)、使節によれば、すでに大軍[注 8]で海を渡ってカラブリア州(318行)を制しており、夏中にはプーリア州シチリアも併呑したら、まず自分みずからが王冠を戴き(446–7行)、息子に禅譲する腹積もりだという。使節バランは、ネーム公英語版(Naimes)と接するうち、キリスト教への改宗を決意(548行)[23]

こうして双方の軍が向かうアスプルモン(「苦き山」の意[24])の地において、キリスト教世界の命運を決する激戦の火蓋が切られることになる。 異教徒らはじきに(同カラブリア州の)アスプルモンに着き(1116–8行)、フランス勢は、はるばる野や丘を越え、"壊れた橋や見知らぬ水路"をよぎり、隊列が無事とは言えぬままたどり着く(1662–5行)[25]。フランスを筆頭にしたキリスト教軍は、兵数で大きく劣っており列国の応援を頼むべく、シャルル王は、フリジア王国のゴンデルブフ王[仮カナ表記](Gondelbuef)[注 9]ハンガリー王国のブルーノ王、ブルターニュ王国のサルモン王(Salemon)らに檄を飛ばし、それぞれ1万勢の応援をとりつける(926–960行)。また近くのパヴィーア王国のディディエからは兵糧物資の救援を頼む(990–4行)[29]

本作ではシャルルの十二臣将(パラディン)のなかで、ネーム公が多芸多才な臣将として敏腕を解き放つ[30]。しかし、テュルパン英語版司教が指摘するに、重要な一大戦力が欠けている。すなわちジラール ・ドゥフラート[仮カナ表記]公爵(Girart d'Eufrateジラール ・ド・フレートとも)である。公は王との折り合いが悪かった。司教は親戚なので、なんとか助力の要請するため使節を願い出た(1008–23行)。ジラール公は反逆分子なのだが、この作品ではキリスト教圏の側について、サラセン人の敵王や王子を倒すのに重要な役割を果たす[31]

シャルルの甥ロラン指小辞Rolandin/Rollandinsで呼ばれる)は成人とみなされておらず、他の少年たちと同様、参戦を禁じられ、ラン(ラオン市[32][注 10]、1066, 1072行)で門番を監視につけて軟禁されていた(1053–9 行。右図参照)。しかし血気盛んな彼はこれを無理やり抜け出し、仲間を率いて戦場へと急ぐのである(後述)[注 1]

テュルパン司教は、ジラールの拠点 ヴィエンヌ (ブルゴーニュ公領の設定[注 11])に到達し、親戚らがこぞって食事中なときに割り込んでくる。ジラールは、息子のエルノー(Ernault)や甥たちのブヴォン(Beuvon )とクラロン(Claron )、それらの父ミロン(Milon [注 12]の4騎士に給仕させていた (1079–1109行;右図参照)。テュルパン司教は、ジラールの勧誘失敗と思い込んで駆け去る(1214–行)[37]

ロランや若輩どもらは、ランで幽閉されていたが[注 13]、シャルルマーニュの軍が近くを行進するのを聞きつける。若者らは門番に頼んで様子を除きに出たいと談判するが拒否され(右図を参照)、最終的にはリンゴ樹の棒で門番を叩きのめして脱走し、通りかかったブルターニュの軍人から馬を奪って走り去る。しかし当のブルターニュ王が、ロランのしでかしたことと知ると、お咎めなしとなる(1239–1370行)[38][39][40]

シャルルがローマ到着(1404)した頃、ジラールはまだ苛立った気分でおり、息子のルノーとレニエ(ルニエとも)、甥のブヴォンとクラロン(1420–21行)を呼びつけて[注 14]、シャルル王が応援要請するとはおこがましい、と怒りをぶちまけ、自分は老いた身だが、終いになったら(死後は)シャルルから領地の拝領も務めの任も拝するな、などと演説ぶる[41]。これを妻のエメリーヌ[注 15]が諫めるが[42]、みるまに舌鋒がきわまり、<ジラールほど神様の法を破った者が息さえさせてもらえるのが不思議>[43]、とか、<あれほど悪事三昧したのだから、自分だったら真っ先にローマの聖ペテロ聖堂英語版懺悔をすまして、さっさとアスプルモンまでシャルルの応援にいく>、などとまくしたてる[44]。ついにジラールも折れ、戦支度を始めるが、まず甥たちを佩刀させ騎士叙任し(1529–48行)[45]、息子のレニエとエルノーにも次いで佩刀と掌打式アドゥベを加えて騎士に昇任させる(1555–66行)。

若き騎士リシェ(Richier[注 16])もいちおう活躍したひとりであるが[46]、ベランジェ伯爵(Berenger)の甥で(vv. 1776–8)[47]、ネーム公が養成した里子でもある[36]。敵軍への使節を志願するが、険峻なアスプルモンの山でグリフォン(1825行;右図参照)に襲われ[45]、馬[注 17]を食い殺されて密命に失敗。ネーム公に叱責され、シャルルからの親書通達の役目をもぎ取られる(1891–7行)[35][36]

ネーム公は書簡を持って[注 18]、アゴラン王に侵攻はいかなることかと尋問するため敵陣に向かう。これをゴラン(Gorhan/Goran)という、バランの息子でアゴランのセネシャルフランス語版(家令)が[48][注 19]、王の白馬を借用して(2174、2211行)迎えるが、ネーム公の黒馬モレル(2273行)[注 20] を横取りしようと欲して戦う;敗色濃くなり停戦を申し出、ネームを案内することを承知するが、むざむざ殺されに行くようなものだと危惧する(2345–59行)。じっさい、アゴラン王に対し、フランス潜入スパイだった事情通のソルブラン(Sorbrin、2488行)が呼ばれると、ネームを切り刻めば、それこそシャルルマーニュには大打撃である、と進言する(2511–25行)。バランが介入し、ネームは生かしたまま、シャルルマーニュへの返答を持たせることになった:三日後に戦いを決する、もしシャルルがマホメット教に改宗して降るならば慈悲を見せる、との内容である(2575–92行)。ネームは敵の王妃にも蠱惑的な興味を引かれ、魔法や毒に対抗するという金の指輪も贈られる(2620–63行)[49]。バランも固辞するネームに財宝などを贈ろうとし、ついにシャルル王への献上品として「雪や水晶よりも白い」馬一頭を受け取らせる(2680–94行)[注 21]。ネームは、この白馬に乗って副都ランに帰還し(2759行)、白い軍馬(2915行)をバランからの贈物として王に献上する[注 22]

ネーム公は、別路の帰り道に同伴したバランにより、オーモンが10万勢で異教徒らが建設した塔に籠城しており、アスプルモン越えのを守っていると教えられていた(2720–4行)[注 23]。ネーム公はしかし、オーモン個人のまわりに集中攻撃をすれば塔は落とせる、と立案した(2856–67行)。敵勢10万に対しキリスト教勢は3万 (3103–4行)。オーモンは、名剣デュランダルを携え(3157、3184、3228行等)、黒馬に乗る(3227行)[注 24]。アンジューのジョフロワ(フランス語: Joifroi[注 25])とユオン/ユー・ド・マン(Hüon/Huë/Huës de Mans/Manseau[注 26](2877–9行)は、本作では相棒同士で参戦し[36]、前者はアルジェノワのトルコ人を斃し、後者はオーモンの親戚[注 27]を殺す(3174–82行)。オーモンの旗手英語版エクトル(Hector、3223–4行)もリシェが倒し、軍旗は回収した(3298–3309行)オーモンだが、逃避する(3315–20行)。

ジラール ・ドゥフラートも結局、援軍にかけつける。聖モーリス英語版の旗印をかかげ、6万の兵を率いる(3909–20行)。フランス勢も再編成。前衛師団[注 28] 7千(ブルターニュ王サルモン他)、ミロン公が団長ひきいる第二師団 7千(フリジアのゴンデルブフ王他) 、ネーム公ひきいる第三師団2万5千(4314–37行)、他、第4・5・6・7師団、あわせて6万(4338–81行)。

ロランも槍代わりの手ごろな棍棒をふるい(古フランス語: tronçon 5725, 6017, 6036)[注 29])、とりあえずの馬から(4969–71行)、ネーム公のモレル号を拝借して乗り換え(5749–5755行)[注 30]。シャルルマーニュがオーモン王子と交戦中で、宝石をちりばめた兜はオーモンのデュランダルさえ受け止めた(5894–5、5937–47行)。しかし兜をこそぎ取られて窮地の瞬間、ロランがあらわれ(6009行)、オーモンを降し、シャルルマーニュを救援。オーモンの角笛オリファン、名剣デュランダル、名馬ヴェイヤンティフ(古フランス語: Vielantiu 6076–8行[69]、「目覚めし」馬の意[71])を獲得する。

作品後半の第二部[注 3]で、フランス勢はオーモンの陣幕・陣地を占拠し、褒美や武勲授与の式典となる。ジラール公は、3000の兵卒を騎士に繰り上げようではないか、と動議し、その大勢の人数を、すでに騎士たるジラールの息子ミル/ミロンとエルノーが率いて、シャルル王からの武器の支給(すなわち騎士叙任)を受け取りに行く(7399–7429)。

シャルル王は、もちろんロランにもデュランダルを佩かせる(第377–8詩節、7480–7510行)[72][73][19][注 31]

最終的にはアゴラン王も戦死し、クレロン(Clairon/Claires)に斬首せられ(10479–484行)[75][76]、シャルルは本国に凱旋する。ジラール公は、表向きはシャルルに忠誠をつくすごとく取り繕うが、このままではいずれかのプライドが持たないだろう、ひとりごちる(11349–355行)[77][78]

批評・解説

[編集]

アゴランの史実的なモデルは、イブラーヒーム・イブン・アグラブなどアグラブ朝(Banū Aghlab; Aghlabid dynasty)のチュニジア地方の王権によるイタリア侵攻だと思われる[79]

上述したように、シャルルの十二臣将(パラディン)のなかではネーム公が諸芸に通じた有能な臣将として目立っている[30]。異本(ゲサール編本[80])では、ネームはシャルルマーニュ配下随一の顧問と評される[81][84]。ゴーティエはゲサール編本から「助言の大小にかかわらず、正直者が相続権を失ったり、寡婦や幼児らが害されるような[言葉]は与えなかった」という賛辞を引用している[85]。不思議なことに、ブランダン編本(ニュース英訳本も同じ)では、ジラール公が、「..故事を助け、自らの財布で養い、寡婦の面倒をみ、その無事を安堵」してこそが理想の王のあるべき姿である(7166–7行)とよく似た文句を[86]、第二部の初頭で口にしている[注 32]

またラルジェス(気前良さen:largesse|英語版]])寛大・寛仁などとも和訳される)の模範例ともされるのが、ネーム公が王に対して「出費は吝嗇けちらずに、たとえ国庫に1ドゥニエも残らなくとも」なさいませ、愚公がまず私財をなげうちまする、そして与えるには「まず貧しい騎士たちから。それでこそ、その者らの細君も報われるのです」と"助言するスピーチであるが[87][88]、そうすれば「ヴァヴァスール(下位貴族)も公爵や伯爵さながらに、去って」いきますと説いている[89][90]。つまりゴーティエは、気前良さの鑑のごとくかけなしに褒めてはいるが、もっとも貧窮にあえいでいるときにこそ助力してやれば、いざ戦力が必要となるときも、必ずしや答えてくれましょう、という理屈を唱えていて、つまりは計算ずくなのである[91]

本編では若きロランの活躍が描かれるが、英雄の幼少期の事績では全般的に、騎士叙任がまだな若者が刃のついた得物をふるってはならないタブーがある、と指摘される。オジエやヴィヴィアン英語版ガラン・ド・モングラ―ヌ英語版は、この規則に反しているが、若きギョーム・ドランジュ)フランス語版やルニエ(オリヴィエの父)は、騎士叙任前の刃物の使用を断っている。本作ではロランも最初は規則に従い、棒切れ(原文ではリンゴ樹の pel/piel)を武器にしているところは、ギョームの異教徒義兄弟レヌアールwikidata(Rainouart)[注 33]が棒(tinel)を振るうのに似ている[66]

写本

[編集]

ブランダン(Louis Brandin)編本の刊行本は全2巻(1919年、1921年)、全11376行に及ぶが 、底本は "Wollaton Hall"写本であり、これをW本と称して使った[92]。これは現ノッティンガム大学図書館蔵、Wollaton Library Collection 内 Mi LM 6 写本である[93][94]。ニュース(Michael A. Newth)の英訳書(1989年)も、おなじ W本から訳出したので[95] 、行数は一致する。アンドレ・ド・マンダックの研究書では、ロンドン・大英図書館 Add 35289写本 ( L3[注 34]、ブランダンの N本)を底本とし、その稿本と酷似するとみなしたフランコ・イタリア語英語版のヴェネツィア fr. VI 写本(第6号)本で補足している[注 35][97]

レプケ(Fritz Roepke 1909年)による『アスプルモンの歌』の研究書の知るところでは(W本がみえず)、17の写本を把握しており[98][99]、これがモンフラン(1958年)では実際には4写本多い[注 36]20写本を、レプケやブランダン他の略号も記した対照表として挙げている[100] 。ただしこれらの集計はフランコ・イタリア語の翻案もないまぜである。

純フランス語『アスプルモンの歌』の稿本に分類[101]されるものには(原則レプケの略称をもちいると)次のものが含まれる:P1P2P3P4P5の各本、すなわちパリのフランス国立図書館(BnF)蔵 français 2495写本[注 37]、 25529写本[注 38]、1598写本; BnF蔵 nouvelles acquisitions françaises 5094写本、10039写本[注 39]; くわえて L1L2L3の各本、すなわちロンドン・大英図書館蔵 Royal 15 E vi 写本(タルボット・シュルーズベリの書英語版[注 40] at fol. 43r-69v[102]ランズダウン写本集英語版782写本[注 41]Add 35289写本(旧 Ashburnham 写本)[注 42] が含まれる[101]

さらに B 断片は、ベルリン州立図書館蔵 Gall. qu. 48 写本;Br断片はブリュッセルのKBR蔵 IV 621 (1)写本; C 断片は、クレルモン=フェラン市のピュイ=ド=ドーム県立公文書館フランス語版蔵写本[注 43][注 36]Ch本はかつてチェルトナムにあったゆえの略称だが現在はコロニー (ジュネーヴ州)ボドマー図書館英語版に移管(デジタル版あり[103]); E 断片は エアフルト大学図書館蔵; R本はローマ・バチカン図書館 Reginensi latini, 1360(だが、同バチカン図書館にPalatini latini, 1971, V という別の稿本も見つかっている[105][101]

そしてフランコ・イタリア語の翻案(フランス語: remaniement; イタリア語: rifacimento)である、イタリア題名『アスプラモンテの歌(Cantari d'Aspramonte)』の稿本に分類されるのは[106]、レプケのいうV1V2 ら各本[98]、すなわちヴェネツィア国立マルチャーナ図書館蔵 fr. 225写本(旧IV 写本)および fr. 226写本写本(旧VI 写本)[106][注 44]。レプケのF断片(1葉)は、フィレンツェ国立図書館蔵 cl. IV, Nr. 932 写本であるが、こちらの分類で、P3 本も重複でこちらにも[106]両方に分類されている。またCha = シャンティイ市・同城付属コンデ美術館図書館蔵 470 写本も追加されている[109]

受容

[編集]

『アスプルモンの歌』は、(フランス語が公用語で通じたプランタジネット朝の)イングランドで格別な人気があり、それはアングロ=ノルマン語で書かれた写本が多く現存したことからもあきらかである[110][注 45]

翻案

[編集]

イタリアでは、アンドレア・ダ・バルベリーノ英語版[注 46]によって14世紀末(1400年頃)、『アスプラモンテ』(L'Aspramonte)の題でイタリア語散文翻訳翻案された[115][99][注 47]。このバージョンは広く読まれ、後のイタリア語圏の作品(『モルガンテ』『恋するオルランド』『狂えるオルランド』など)に影響を与えたとみられている。

またスカンジナビアでも、この武勲詩をいわゆる『偽テュルパン年代記英語版』と強引にはぎ合せて、『カルル大王のサガ英語版』の第4枝篇(「Af Agulando konungi」[116])をこしらえあげた[117][99][注 48]。そのひづみで、アスプルモンのある場所を、原作通りイタリアのカラブリア州にはできず、スペインに所在したことになってしまっている[119][120]。サガがラテン語『偽テュルパン』から取り入れた部分は前部(18章まで)にとどまり、すなわちアゴランドゥスとの戦闘までは記述するが、アゴランドゥスが死んだという記述は省く[121]。サガは原典をいきなり切り替え、今度は『アスプルモンの歌』の1/3進んだあたり以降を元ネタとして訳出を始める[121][117]。よってアゴランドゥスの息子(ヤムンド Jamundr)というのは(『偽テュルパン』になく)『歌』より注入されたキャラクターである[117][注 49]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ a b 詩の冒頭でシャルルがロランを騎士叙任することになる(adoba)、デュランダルを佩かせることになる、とあらかじめ予言している(13–15行)。そして異教徒オーモン王子が有名なデュランダルを持って現れるが(3157, 3184行)、ロランはこの王子を倒し、剣デュランダルを奪う展開となる(1237–8行)。しかし叙任の段では、「叙任」を意味する(adober は明言されず、シャルルは手ずからデュランダルを佩かせ(7470–7473行)、ネーム公やオジエが拍車を履かせる(7493–5行)。この作品もそうだが、昔の叙任式には剣や手で肩を叩く儀式は無いことについてはゴーティエ『騎士道』第VIII章第VII節に詳しいが[33]、旧・前田訳ではそれがわかりにくく、昔の「騎士叙任式」の節なのに「軍事式の武装法」と題し、肝心の"C'est l'antique «remise des armes», à la germaine, Pas de coup de paume sur la nuque, pa de colée" の箇所は、「首への掌打式も剣背打撲の礼もなき、古きゲルマンの<武器を授与>」とでも訳していればこの典拠として使えるところを、「彼の日耳曼(ゲルマン)式の武器授典式」と端折ってしまっている[34]
  2. ^ ネーム公は、戦場で対決したバランと旧友をあたためていて下馬していたさなかだった。詩ではネームは「怒りのまま立ち尽くすしかない」と描かれる。一方、上の注で既述したサガ代54章では、モレルが主なしなのを見てネーメ公が死んだものと悲しみつつ、ロラントは馬を拝借していく[6]
  3. ^ a b 英訳の Book 2 は 6555行以降。
  4. ^ Newthの英訳では Agolant に統一するが、古フランス語原典(ブランダン編本)でも Agolan, Agolans, Agolant, Agolen, Agoulant, Agoulanz[12]などと綴りは様々。
  5. ^ Newth英訳だと王を称すに"Carlon, Charlemayn, Charles"の三通りを織り交ぜるが[13]、本記事ではシャルルマーニュかシャルルとする。Newth英訳では原則としては人名をひとつに統一するので、それに従う。
  6. ^ テュルパン英語版司教が書面を通訳したとおりだと
  7. ^ Newthの英訳では Aumon に統一、また Brandin 編本の固有名詞索引でも "Aumon, fils de Agolant"と定義略述がみえるので、古フランス語ではこれが標準表記とみなされるが、Brandin 現代訳では "Aumont"である。なお古フランス語綴りは実にさまざまで、Brandin 編本 だけでも Almes, Almon, Almons, Aume, Aumes, Aumon, Aumons, Aumont, Ealmes, Ealmon, Eaumes, Eaumon, Eaumons, Eaumonz, Iamons, Iaumontが列記される[15]B断片では Hiamunt[16]Hiamon[17]Hiaumont[18]。ランズダウン写本ではランズダウン写本では、Eaumond[19]あるいはEamunt, Eamund[11]とみえる。これでも漏れがあるようでデ・マンダックの列挙から追記するとOmont, Omunt, Heaumont, Heaulmont , Heumon , Heumun , Almonte の綴りが存在する[11]。さがでは Jamund[11]/Jamundr[20] だが、旧い英国の解説で改ざんされている。
  8. ^ 60万勢(338–9行)
  9. ^ 『ロランの歌』 異本には Gondebeuf 2649 Gondebeuf de Frise 5955, Gondrebués 6265 行[26]; Gondrebuef de Frise; Gondebuef (Ro2=Foerster (1886))[27][28]
  10. ^ ラン/ラオン市は古語原文ではMontloon/Monloonなど。
  11. ^ ジラールはブルゴーニュ公の設定だが、史実上ではシャルル大帝の孫シャルル禿頭王を助けて分割後のブルゴーニュの地領を与えられたゲラン・ド・プロヴァンス(843年頃)がその地位を得ている。本作とは違う設定となるが、のちにブルゴーニュ公国として一時フランス王朝から独立した頃の初代は、リシャール正義公(918年より以前)である。ブルゴーニュ公国が創立されたのはシャルルマーニュの孫王の頃。
  12. ^ Milon (1) は、固有名索引などによれば ポワティエ伯で、ジラールの兄弟である。 Milon (2) はジラールの息子だが 7426行まで言及されない。Milon (3)はローマ教皇[35][36]
  13. ^ じつは大司教テュルパンが、ジラールの説得に行く片道のついでに、ベランジェのランの砦に若者たちを預けていっていた(1071–73行)。
  14. ^ 原典テクストには「二人の息子」(doi fil et Renals et Renier)としかみえないが、 Newth 英訳ではあとの二人が「甥」であると補足する。この Renals/Renault という人物は Ernault の誤記かと疑わしいが、 Brandin編本の巻末索引で見ると、 Renals はこの行こっきり登場のジラールの息子である(Ernaultとは別人)としている。
  15. ^ 古フランス語: Emmeline、現代綴りも英訳もそのまま。
  16. ^ 英訳では Richer。
  17. ^ アラゴン産駒の軍馬。
  18. ^ ランを後にし
  19. ^ 王妃の愛人でもある[36]
  20. ^ のちにロランが拝借する馬である。
  21. ^ サガ第19章にみえる。Hieatt 注によれば、この白馬は『アスプルモンの歌』の読者にとっては重要なディテールであった;また、第54章も参考に値するとする(下の注記に後述する)[50]
  22. ^ ちなみにシャルルマーニュは、『オジエの騎士道wikidata』(Chevalerie Ogier, éd. Barrois)によればブランシャール(Blanchart 、6232行)または Blanchart d'Alie3273、6345行)という白馬を所有しており[51][52]、終盤ではバラン都督(l'amiral Balant10426行)から得たという馬をオジエに試し乗りされてつぶされる[53]トマス・ブルフィンチによる再話では、シャルルマーニュは「自分の馬ブランシャールを除いて」オジエに試乗させたことになっている[54][55]
  23. ^ このようにバランはフランス勢に情報提供までしているが、ネーム公の送迎を途中まで果たした後そのまま亡命はせず、自分を養育したアゴラン王への義理を果たすために負け戦に付き合って戦う、と言って去って言った。帰り際、シャルルとその配下によろしく伝えてくれと言い残す(2734–44行)。
  24. ^ ヴェイヤンティフが黒馬(青毛)だということ。
  25. ^ 『ロランの歌』オックスフォード本106行にも登場の人物[56][57]。英訳では Geoffrey the Angevin。
  26. ^ この人物も『ロランの歌』の異本にはみえるが、O本にはないので、それを底本とした全4002行の Stengel 編本(Langlois 事典の R)[58]有永訳 (1965)のいずれにもその名は見えない。が、 Foerster 編本(Langlois 事典の R1, R2)には記される[59]。行数指定できる Duggan編本『ロランの歌』で参照すると、Huon (1)/Huon du Mans、5260行が、"Huon de Mes、キリスト教貴族"と釈義され[60]; Hugues du Mans 5129, 5133行[61]Hugues du Mansと T本=Trinity College, Cambridge[62]≈Ro2[63]; Hües del MansとC・V7写本=Chartreux-Venice 7 mss.[62]=Ro1[64]Hües li Mainnes 6285行、と記されている[65]
  27. ^ ジルフロワ(Gillefroi、3174行)。
  28. ^ 原文escile, 現代語eschel。英訳では division 師団と batallion 大隊を混ぜている。
  29. ^ 4971行で Newth 英訳は「木製のピケット」( "waving for a spear a wooden picket")という訳し方をしているが、原文は"A son col tint un grand pel de pomier"で[66]「リンゴ樹の棒板」程の意味であり、古フランス語 pelは"幅広な木や鉄製の平板、長い取っ手"と定義されており[67]、こうした武勲詩の場面の意味合いでは、 tinelmassue など「棍棒」の意味の言葉と類義である[66]
  30. ^ 該当するサガ英訳第54章では、顔見知りのバランとネメス公(Nemes)の二人が戦場で鉢合わせ、バランが改宗する決断を伝えて、二人が旧友をあたためていた。下馬していたため、駄馬に乗ってきたロラント(Rollant)がネメス公の黒馬 Morel の鞍が空いているのをみて(公が戦死したものと悲しみつつ)乗り去って行ってしまう[68]
  31. ^ この場面を描いたミニアチュール画が、ランズダウン 782写本、23葉裏にある[74](最上図を参照)。
  32. ^ Book 2 は 6555行より開始。
  33. ^ ギョーム・ドランジュのサイクルフランス語版を参照。
  34. ^ 細かく言えば、Roepke の L3本はマンダックのL3本。
  35. ^ Roepke が 『アスプルモンの歌』V2本としたのは、有永がいうところの『ロランの歌』のV4本すなわち「ヴェニス聖マルコ寺図書館本第4号」である[96]
  36. ^ a b Monfran は Roepke のいうP4とCを、同じ写本の断片と鑑定して1つにカウント。
  37. ^ Brandin ed. (1921), p. 168のA本。
  38. ^ Brandin ed. (1921), p. 168のC本。
  39. ^ Brandin ed. (1921), p. 168のF本。
  40. ^ Brandin ed. (1921), p. 168のL本。
  41. ^ Brandin ed. (1921), p. 168のM本。
  42. ^ Brandin ed. (1921), p. 168のN本。
  43. ^ Brandin ed. (1921), p. 168のG本。
  44. ^ ド・マンダック de Mandach のいうV4, V6本である。
  45. ^ Add. 35289 本はカンタベリー]で製作[111]、旧チェルトナム(トマス・フィリップス卿蔵)本もイングランド製作[112]、タルボット・シュルーズベリの書は、英国のタルボット・シュルーズベリ伯が発注したものである
  46. ^ 「アンドレア・ダ・バルベリーノ」の表記はブリタニカ百科にみられる[113]
  47. ^ モワサン Moisan の固有名事典は原則フランス語以外の出典であるが、As2はバルベリーの、 As8-9は『アスプラモンテの歌』の断片やAs10は抜粋、As11はフェロー語作品である。採番は1もなく、間の番号も欠ける[114]
  48. ^ KS=『カール大帝のサガ』もモワサン固有名事典の対象作品である[118]
  49. ^ Halvorsen, p. 54 のほうが、つなぎ目の部分をより詳細に述べるので、以下それを説明する。『偽テュルパン』を原典とする終了は、ウンガー編本の Unger ed. (1860), p. 282の29行目すなわち Kap. 23 末だが、Hieatt tr. (1975), p. 128 英訳第25章最後の部分にあたる(章番がずれる)。内容は、コルドバのアルトゥマント王(Altumant、ラテン語: Automaior)がカール大王に降伏する場面。そのあとウンガー編本の Kap. 24 の(p. 282の23行目~p. 283の6行目)に「つなぎ」として『歌』の 2963–3371詩行の要約が挿入されるが、これはHieatt tr. (1975), pp. 149–150, 152, 154、英訳第26–28章の[a-版の Kap. 24]として切れ切れに付記されるテキスト部分である。内容は、ヤムンドがアルトゥマント王裏切りの報を得たところから、双方の軍が衝突し多大な戦死傷者を被るところまでである。そのあとサガはふつうに『歌』の第3372詩行から翻案をはじめる:ウンガー編本のp. 283の6行~で、Hieatt tr. (1975), p. 156、英訳第29章の付記テキスト。フランス勢が異教徒たちの Mahumet や Termagant の神像を略奪した場面(ちなみに原典の『歌』では4体である。Newth tr. (1989), p. 83, vv. 3374–6: "Tervagant, / Great Jupiter, Apollo and proud Mahom, /All four of them with finest gold a-sparkle!")。

出典

[編集]
  1. ^ Lejeune, Rita; Stiennon, Jacques (1971) (フランス語). The Legend of Roland in the Middle Ages. 2. Phaidon. p. 263. ISBN 9780714814148. https://books.google.com/books?id=jPAOAQAAMAAJ&q=Lansdowne+782+knighting. "Charlemagne embracing Roland before knighting him.. fo. 22 vº."  (Cf; Cf. Appendx XVIII: "Charlemagne knighting the young Roland", 23vº
  2. ^ 22v embrace(抱擁), 23v knighting(騎士叙任). Cf. British Museum Catalogue of Lansdowne 782
  3. ^  Bryant, Margaret [英語版] (1911). “Charlemagne”. In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 5 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 895.
  4. ^ Hasenohr, Geneviève; Zink, Michel [フランス語版], eds. (1992). Dictionnaire des lettres françaises: Le Moyen Age. Collection: La Pochothèque (フランス語). Paris: Fayard. p. 106. ISBN 2-253-05662-6.
  5. ^ Holmes, Jr, Urban Tigner (1938) A History of Old French Literature from the Origins to 1300. New York: F.S. Crofts, p. 83.
  6. ^ Hieatt tr. (1975), p. 251.
  7. ^ Brandin tr. (1925), p. 54.
  8. ^ ゴーティエ & 前田訳 (1909), p. 199.
  9. ^ Gautier & Frith tr. (1891): "Let us out. Come now." -- "No I tell you" Chivalry, p. 195
  10. ^ Gautier & Frith tr. (1891) Chivalrlry, p. 482.
  11. ^ a b c d de Mandach (1975), p. 26.
  12. ^ Brandin ed. (1921), p. 189.
  13. ^ Newth tr. (1989), pp. 269–271.
  14. ^ La grande encyclopédie 4 (1865), s.v. "Aspremont"
  15. ^ Brandin ed. (1921), p. 190.
  16. ^ Bekker ed. (1847), p. 1, line 5.
  17. ^ Bekker ed. (1847), p. 1, line 41.
  18. ^ Bekker ed. (1847), p. 3, line 21.
  19. ^ a b Ward, H. L. D. (1883). “Lansdowne 782: Chanson 'Aspremont”. Catalogue of Romances in the Department of Manuscripts in the British Museum. British Museum. pp. 601–602. https://books.google.com/books?id=ieEWAAAAYAAJ&pg=PA601 
  20. ^ Halvorsen (1959), p. 48.
  21. ^ Hist. Litt. France (1895), pp. 301–302.
  22. ^ Brandin ed. (1921)の固有名詞索引、 p. 192
  23. ^ Newth tr. (1989), p. xviii, p. 15: "He'd be baptized straightway(できればすぐにも洗礼を受けたい)"[21]。やがては洗礼して Guitekin[s] というキリスト教名を授かる[22]
  24. ^ Newth tr. (1989), p. 268: "bitter mount"
  25. ^ Newth tr. (1989), p. 42.
  26. ^ Duggan (2005), pp. 141, 294, 334.
  27. ^ Cf. Ro2=Foerster (1886), pp. 304, 305 p. 306, 307–310
  28. ^ Langlois (1904), Table des noms s.v. "3Gondebuef le Frison. "Roi de Frise, homme de Charles".
  29. ^ Hist. Litt. France (1895), p. 302.
  30. ^ a b Gautier & Frith tr. (1891), pp. 42–43.
  31. ^ Newth tr. (1989), p. xv.
  32. ^ ゴーティエ & 前田訳 (1909), pp. 198–201.
  33. ^ Gautier (1884), pp. 274–282; Gautier (1895), pp. 274–282; Gautier & Frith tr. (1891), pp. 274–278.
  34. ^ ゴーティエ & 前田訳 (1909), pp. 243–245.
  35. ^ a b Brandin ed. (1921), p. 201.
  36. ^ a b c d e Newth tr. (1989), p. 270.
  37. ^ Hist. Litt. France (1895), p. 303.
  38. ^ Gautier (1895), pp. 226–227; Gautier & Frith tr. (1891), pp. 193–197; ゴーティエ & 前田訳 (1909), pp. 198–201.
  39. ^ Hist. Litt. France (1895), pp. 303–304.
  40. ^ Nouvelle bibliothèque bleue (1892), pp. 21–28.
  41. ^ Hist. Litt. France (1895), p. 305 quotes vv. 1429–37
  42. ^ Hist. Litt. France (1895), pp. 304–305.
  43. ^ Hist. Litt. France (1895), p. 305 で 1468–72行を引用
  44. ^ Hist. Litt. France (1895), pp. 305–306 で ジラールの答え 1493–96行をはさんで、妻のせりふ 1497–1504行を引用。
  45. ^ a b Hist. Litt. France (1895), p. 306.
  46. ^ Brandin (1925), p. xv.
  47. ^ Brandin ed. (1921), p. 203.
  48. ^ Brandin ed. (1921), p. 198.
  49. ^ Brandin (1925), pp. 73–75.
  50. ^ Hieatt tr. (1975), p. 118: "This white horse appears to have been a detail which struck many readers of Asp., cf. ch . 54"
  51. ^ Bangert, Friedrich (1885). Die Tiere im altfranzösische Epos. Ausgaben und Abhandlungen aus dem Gebiete der romanischen Philologie, veröffentlicht von Edmund E. Stengel 33. Marburg: N. G. Ekwertm. p. 34. https://books.google.com/books?id=HPNBfOyk3GEC&pg=RA1-PA34 
  52. ^ Langlois (1904), Table des noms s.v. "Blanchart, Blancart: "Nom des chevaux".
  53. ^ Ludlow, John Malcolm Forbes (1865). “Ogier of Denmark”. Popular epics of the Middle Ages of the Norse-German and Carlovingian cycles. Macmillan. pp. 293–294. https://archive.org/details/popularepicsofmi02ludluoft/page/292/mode/2up 
  54. ^ Bulfinch, Thomas (1874). “Ogier, the Dane (Cont. 2)”. Legends of Charlemagne: Or, Romance of the Middle Ages. Boston: Lee and Shepard. p. 359. https://books.google.com/books?id=27FIAQAAIAAJ&pg=PA359 
  55. ^ トマス・ブルフィンチ 著、市場泰男 訳「第25章 オジエ・ル・ダノワ(3)」『シャルルマーニュ伝説:中世の騎士ロマンス [Legends of Charlemagne: Or, Romance of the Middle Ages]』講談社〈講談社学術文庫 1806〉、2007年、349頁。ISBN 978-4061598065 
  56. ^ Stengel (1900), pp. 11, 386.
  57. ^ 有永訳 (1965)、106行および巻末注。
  58. ^ Stengel (1900), p. 388.
  59. ^ Langlois (1904), Table des noms s.v. "111 Huon del Mans, Hues del M. "Baron de Charlemagne.. Ro1 372, 373.. Hugues du Mans Ro2 310".
  60. ^ Duggan (2005), p. 299, text, and 395, index.
  61. ^ Duggan (2005), p. 297, text, and 477, index.
  62. ^ a b Moisan (1986), 1: 596 apud Duggan (2005), p. 382 on mss. forms in CV7 and T.
  63. ^ Cf. Ro2=Foerster (1886), p. 309 "Hues li Mainnes" and p. 310, "Hugues du Mans"
  64. ^ Cf. R1=Foerster (1883), pp. 372, 373, "Hue del Mans".
  65. ^ Duggan (2005), p. 334, text, and 395, index.
  66. ^ a b c Gronowska (2006), p. 26.
  67. ^ Godefroy (1902) Dictionnaire 10: 308, s.v. pelee"
  68. ^ Hieatt tr. (1975), pp. 245–252.
  69. ^ Brandin ed. (1919), p. 194.
  70. ^ Newth tr. (1989), pp. 146–7.
  71. ^ 英訳馬名は"Wideawake"、vv. 6076–8[70]
  72. ^ Brandin ed. (1921), pp. 45–46.
  73. ^ Newth tr. (1989), p. 180.
  74. ^ [https://www.imagesonline.bl.uk/asset/12306 British Library Images Online fol. 23v]
  75. ^ Brandin ed. (1921), p. 139.
  76. ^ Newth tr. (1989), pp. 248–259.
  77. ^ Brandin ed. (1921), pp. 166–167.
  78. ^ Newth tr. (1989), p. 268.
  79. ^ Norris, H. T. (1982). The Berbers in Arabic literature. Longman. p. 23. ISBN 9780582783034. https://www.google.com/books/edition/The_Berbers_in_Arabic_Literature/HRJyAAAAMAAJ?bsq=Agolant 
  80. ^ Gautier & Guessard edd. (1855).
  81. ^ Valentin (1902), p. 42.
  82. ^ Gautier (1895), p. 52.
  83. ^ Gautier & Frith tr. (1891), p. 42.
  84. ^ 原文では:Tel conseillier n'orent onques li Francとあり[82]、"such an adviser the Frank never had"[83].
  85. ^ Il ne donna conseil petit ne grant / Par coi preudome deserité fussant / Les veves fames ne li petit enfant, Gautier (1895), p. 52、所引 Gautier & Guessard edd. (1855), p. 1, vv. 6–8; Gautier & Frith tr. (1891), pp. 42–43の英訳では veves fames を "starving widow" と訳しているが、似たテキストの Newth 訳を見てもここは「空腹 starving」ではなく「fames, femes 女性」である。
  86. ^ Stuckey (2006), pp. 93–95.
  87. ^ Gautier & Frith tr. (1891), pp. 70–71英訳や、Gautier (1895), p. 84の現代訳があるが、原文は:"Ne soiés mie trop avers despensier... --En vos tresors mar remanra denier. -- Le mien meïsme departez tot premier. -- Tant donez as povres chevaliers / Que miels en soit à lor povre moilliers., Gautier & Guessard edd. (1855), p. 2, vv. 7, 13–16.
  88. ^ 似たような記述はBrandin ed. (1919), p. 4 vv. 74–75にあり、Newth tr. (1989) 英訳だと: "..So their poor wives feel happier than before".
  89. ^ Gautier & Guessard edd. (1855), p. 2, vv. 44–46 apud Gautier (1895), p. 84
  90. ^ 似たようなテキストは、 Brandin ed. (1919), p. 4 vv. 101–102; Newth tr. (1989): "Sons can come here of lowly vavasors And leave as dukes or counts of Carlon's court"にみえる
  91. ^ Brandin ed. (1919), p. 4 vv. 76–77; Newth tr. (1989): "And if you send an envoy to their door They'11 bring their lands behind you in support;"
  92. ^ Brandin ed. (1919), p. iii.
  93. ^ de Mandach (1975), p. 155.
  94. ^ Nottinham, Wollaton Library Collection @ Arlima
  95. ^ Newth tr. (1989), p. xxiv.
  96. ^ 有永訳 (1965), p. 288.
  97. ^ Crist (1983), p. 205.
  98. ^ a b Roepke (1909), pp. 1–5.
  99. ^ a b c Newth tr. (1989), p. xxiii.
  100. ^ Monfrin (1958a), pp. 238–240.
  101. ^ a b c Aspremont @ Arlima
  102. ^ Ward, H. L. D. (1883). “Royal 15. E. vi. f. 43–69b: Aspremont”. Catalogue of Romances in the Department of Manuscripts in the British Museum. 1. British Museum. pp. 598–600. https://books.google.com/books?id=ieEWAAAAYAAJ&pg=PA598 ; Detailed record for Royal 15 E VI”. Catalog of Illuminated Manuscripts. British Library. 2013年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月19日閲覧。 (Cf. current Archives and Manuscripts Catalogue page)
  103. ^ Cod. Bodmer 11@e-codices
  104. ^ Monfrin (1958a), p. 239.
  105. ^ Monfrin の第16で[104]
  106. ^ a b c d Aspramonte @ Arlima
  107. ^ Monfrin (1958a), p. 238.
  108. ^ de Mandach (1975), p. 58; de Mandach (1980), pp. 222, 230.
  109. ^ Chantilly 写本は Monfrin の第3で[107]、新規つまり以前の5人が把握せず略号がついていない。これに Chaの略号をつけたのは、de Mandach (1975, 1980)のようである[108]。Arlima.net でもこの略号が採用されている[106]
  110. ^ France, Peter [英語版] (1995). “Aspremont”. The New Oxford Companion to Literature in French. Collection: La Pochothèque. Oxford: Clarendon Press. p. 48. ISBN 9780198661252.
  111. ^ Add. ms. 35289 @ Arlima
  112. ^ https://www.arlima.net/mss/suisse/cologny/fondation_martin_bodmer/11.html
  113. ^ アンドレア・ダ・バルベリーノ」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8Eコトバンクより2023年3月26日閲覧 
  114. ^ a b Moisan, André (1986) (フランス語). Répertoire des noms propres de personnes et de lieux cités dans les chansons de geste françaises et les oeuvres étrangères dérivées. Droz. https://books.google.com/books?id=C9ng9q6pQHwC&pg=PA10  (snippet)
  115. ^ 原典: Barberino & Boni ed. (1951)=Moisan: As2[114]; :Barberino, Cavalli & ed. (1972)</ref>
  116. ^ Unger ed. (1860) Branch IV, p. 126ff; 254ff
  117. ^ a b c Halvorsen, Eyvind Fjeld (1959). The Norse Version of the Chanson de Roland. Bibliotheca Arnamagnæana 19. Copenhagen: Ejnar Munksgaard. p. 54. https://timarit.is/page/7616303#page/n67/mode/2up  (snippet)
  118. ^ Moisan (1986), pp. 25–26.
  119. ^ Foote, Peter Godfrey (1959). The Pseudo-Turpin Chronicle in Iceland: A Contribution to the Study of the Karlamagnús Saga. London mediæval studies 4. London Mediæval Studies, University College. p. 7. https://books.google.com/books?id=atvHAAAAIAAJ&q=Calabria 
  120. ^ Stuckey (2006), p. 204.
  121. ^ a b Hieatt tr. (1975), pp. 10–11.

参考文献

[編集]
(一次資料 - フランス武勲詩)
  • Gautier, Léon; Guessard, François, eds (1855). La chanson d'Aspremont, publiée d'après le texte du manuscrit de la Bibliothèque impériale fr. 2495. Paris: Firmin-Didot  (first 1800 lines)
(混在)
(イタリア語翻案)
(北欧サガ)
(関連作品)
(二次資料)
  • Crist, Larry S. (January 1983). “Reviewed Work: Naissance et développement de la chanson de geste en Europe by André de Mandach”. Speculum 58 (1): 204–207. JSTOR 2846645. 

外部リンク

[編集]