アラブ共和国連邦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アラブ共和国連邦
اتحاد الجمهوريات العربية (アラビア語)
エジプト
シリア
リビア・アラブ共和国
スーダン
1972年 - 1977年 エジプト
シリア
大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国
スーダン
アラブ共和国連邦の国旗 アラブ共和国連邦の国章
(国旗) (国章)
国歌: حماة الديار(アラビア語)
祖国を守る者たちよ(シリア)
アラブ共和国連邦の位置
アラブ連合共和国の位置(1972年)
公用語 アラビア語
首都 カイロ(エジプト)
トリポリ(リビア)
ダマスカス(シリア)
大統領
1972年 - 1977年 アンワル・アッ=サーダート
首相
1972年 - 1977年アフマド・アル=ハティブ英語版
面積
1977年2,947,171km²
人口
1977年52,703,600人
変遷
国民投票 1972年3月
成立1972年7月1日
解体1977年11月19日
通貨エジプト・ポンド
リビア・ディナール
シリア・ポンド
現在 エジプト
シリアの旗 シリア
リビアの旗 リビア
スーダンの旗 スーダン
アラブ共和国連邦の軍艦旗

アラブ共和国連邦(アラブきょうわこくれんぽう、アラビア語: اتحاد الجمهوريات العربية‎、ittiħād al-jumhūriyyāt al-`arabiyya、英語: Federation of Arab Republics)は、1972年3月にエジプトリビアシリアの三カ国で国民投票が行われ成立した汎アラブ主義国家の名称である。エジプトのアンワル・アッ=サーダートが大統領、シリアのアフマド・アル=ハティブ英語版が首相を務めた。エジプトはさらに踏み込んだ統合を求めたがリビアやシリアは完全な合併には賛成せず、国旗などの象徴的な統合にとどまった。モハメド・アン=ヌメイリスーダンは短期間加入と脱退を繰り返した[1][2][3]。連邦は1972年7月1日に建国し、1977年11月に解体した。

赤・白・黒の汎アラブ色に金色のクライシュ族の鷹という国旗は各国でその後も使われたが、1977年11月にエジプト大統領のサーダートがイスラエルを訪問したことに反発したリビアのムアンマル・アル=カッザーフィーが国旗を緑一色に変えたことを皮切りに、シリアのハーフィズ・アル=アサド1980年に、エジプトは1984年にこの国旗の使用をやめた。(エジプト国旗の変遷を参照)

「領土」の変遷[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]