とどろけ!一番

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
とどろけ!一番
ジャンル 受験漫画
ボクシング漫画
漫画
作者 のむらしんぼ
出版社 小学館
掲載誌 月刊コロコロコミック
レーベル てんとう虫コミックス
発表期間 1980年2月号 - 1983年5月
巻数 全7巻(てんとう虫コミックス)
上下巻(トラウママンガブックス)
テンプレート - ノート
ポータル 漫画

とどろけ!一番』(とどろけ いちばん)は、のむらしんぼによる日本漫画。『月刊コロコロコミック』(小学館)において1980年2月号から1983年5月号まで連載された。単行本は全7巻で、後にトラウママンガブックス(英知出版)より上下巻で復刊されている。また、同社の『トラウママンガマガジン』3号では、同時期のコロコロ漫画と一緒に、作者による新作が描き下ろされた。また、『熱血!!コロコロ伝説』(小学館)にてんとう虫コミックス1巻が復刻されたものが付録としてついている。

概要[編集]

連載初期から中盤にかけては中学受験を舞台に学力テストでの対決を格闘技風に描く漫画であった。テストの答案を書くという、本来アクションでないものをアクション漫画として描くことができた背景には、当時『コロコロ』でのヒット作であった『ゲームセンターあらし』が、ゲームの操作をアクション漫画として描くことで漫画の表現方法を広げたことを通じ、同誌の編集者たちが「漫画にできないものはない」と考えたという背景があり、後にはのむらも、執筆当初は必死に『あらし』を真似たと語っている。また、当初の予定では受験シーズンにあわせて1月から3月までの3回で連載が終わる予定だったが、人気が出たために連載の継続を余儀なくされ、後述のように主人公が受験において成功を収めていながらも受験を続けなければならないという、苦肉の設定が生まれることとなった[1]

勝負の基準は曖昧であり、基本はテストの点数勝負であるが、一番達を始め作中の受験戦士にとって通常は100点満点を取るのは当然で、結果的に本作の受験勝負は「秘技を使っていかに早く派手に問題を解くか」「卑怯な対戦相手の妨害をいかに跳ね返すか」等に焦点が当てられる。

ネタが尽きてきてもう試験ネタが続けられなくなったため格闘技風ではない格闘技マンガへと路線変更を図り、後半は突然「これまでの受験勉強の技は全てボクシングのためのものだった」という強引な設定で、ボクシング漫画に方針を転換させて読者を驚かせた。この路線変更によって読者からの手紙は一気に2倍の量になったが、その大半は路線変更への抗議で、鉛筆の削りかすや消しゴムのかすが入れられた手紙までが送られて来るようになり[2]、加えてライバル誌週刊少年ジャンプ集英社)の看板作品だった『リングにかけろ』(車田正美)の演出とストーリー展開を引用したことも人気の急降下に拍車をかけたため、連載終了が決定した。

あらすじ[編集]

進学塾の名門・大日本進学塾に入学した一人の少年、轟一番が、書いても書いても減らない幻の鉛筆「四菱ハイユニ」と必殺技を駆使して試験勝負で並みいる強敵を倒していく。しかし、それには本人も知らない真の目的があった。

登場人物[編集]

轟 一番(とどろき いちばん)
主人公。昭和43年(1968年)9月24日生まれ。
大日本進学塾所属。「1」と書かれたハチマキをいつもしており(連載開始当初は「1」の文字はない。さらに服装も少し違う)、常に鉛筆を3本前後挟んでいる。書いても書いても芯が減らず鋼鉄より硬い「四菱ハイユニ」を使って、様々な秘技を駆使して試験問題を解く秀才。見た目や性格はわんぱく少年そのものといういで立ちで、普段から勉強している描写も見受けられないが、ほぼ全ての試験で満点を獲得する(「ほぼ全て」というのは、満点を取れずに補習を受けたり、ライバルの策略で0点を取ったりするエピソードがあるため)。右手と左手で違う記号や文を同時に書ける器用さと右目と左目で違うテスト用紙を同時に読み解く離れ業の持ち主で、これを利用し両手に鉛筆を握って別々の問題を同時に解く「秘技・答案二枚返し」が必殺技。ボクシング編では、真空状態の中でパンチを放つ「水月拳(すいげつけん)」を会得する。元々はボクシング選手だった一番の父親が持っていた技だった。
実は、生まれた時の戸籍提出時のミスにより、常仁や明日香よりも年齢が1歳年下。そのため、名門・開布中学(かいふちゅうがく)の入学試験で満点を獲得したにもかかわらず、開布中学に入学することができなかった。
さらに翌年の入学試験では、入試スキャンダル(一番らが関与していたわけではない)のため、入試合格者なしと言う事態になり、常仁、甘井ともども結局開布中学に入学することはなかった。このときに明日香も開布中学を退学している。
受験編からボクシング編にストーリーが切り替わる際、彼の出生が明らかにされる。彼が生まれたころに本物の轟家がライバルの拳闘路家とのボクシングの抗争に巻き込まれ、実の両親は拳闘路家による放火で死亡。生まれて間もない一番をある女性(現在の母親)が連れて避難し、自分の息子として育てた。そんな過去があったため、母となった彼女からは当初ボクシングをすることに反対された。しかし結局、轟家の再興を目指す彼女の兄である多田頑春により許される。
好物は豚カツ(受験に勝つ)、炒り玉子(志望校に入る)、スタミナ焼肉
いとこの轟二番が、ニセ一番として登場するエピソードもある。
愛用の四菱ハイユニを自作したこともある。
常仁 勝(つねに まさる)
一番のライバル。常仁財閥の御曹司。
一番と同じく大日本進学塾所属。開布中学に合格するが、一番の得点が自分より上にもかかわらず前述の事情で翌年も受験すると知り、一番を倒すため、入学許可証を破り捨てて再び受験生となる。翌年一番と共に再受験に挑むが、入試スキャンダルに巻き込まれ結局入学はしなかった。一番と試験で張り合うが、後に一番と共闘するようになり、サポート役となる。試験の点数は500点満点で大体490点位。常時2位から3位に位置している。典型的な金持ちライバルキャラだが、勝負に関しては正々堂々と戦う性格である。一番が手を負傷したとき、同じ条件を望み、自らの手を傷つけたこともある。
ボクシング編では、轟家のライバルである拳闘路(けんとうじ)家の一族の一人であったことが判明しその刺客となり、「火闘拳(かとうけん)」を会得するが、一番にボクシングの試合で負け、一番サイドに乗り換える。
山本 明日香(やまもと あすか)
一番のガールフレンド。
大日本進学塾在籍。開布中学に入学するが、翌年入試スキャンダルに失望して退学する。
甘井 太郎(あまい たろう)
コミックス2巻から登場。大日本進学塾在籍。鉛筆を自分で削れない程のわがままお坊ちゃん。最初のみ一番と敵対していたが、すぐに塾生仲間としてレギュラーに定着。一番や常仁と共闘するようになる。美人の妹がいる。
多田 頑春(ただ がんばる)
通称「塾長」。大日本進学塾総帥3代目で、日本教育界の首領とも言われる。初代の名前は「多田 励無(ただ はげむ)」。一番たちを時には厳しく、時には暖かく見守る存在。
スキンヘッドサングラス、髭がトレードマークであり、常に和服姿。一番の父の一番弟子であり、水月拳の伝承者でもある。

登場秘技[編集]

一番はその柔軟な思考による創意工夫や臨機応変な機転により、毎回のように新秘技を披露したが、繰り返し使用した秘技は数えるほどしかない。2回以上登場した秘技には以下のようなものがある。

答案二枚返し
上記の答案二枚返し。手だけでなく左右の目も別々に動かすことが特徴。基本技として様々なバリエーションを生んだ。
ゴッドハンド
目に見えないほど素早く手を動かすという、二枚返しに続く基本的な秘技。同時期の同誌の看板作『ゲームセンターあらし』で同様の特徴を持つ秘技「炎のコマ」に相当する[3]
ダブルゴッドハンド
二枚返しとゴッドハンドを組み合わせたもの。
ウルトラタイフーンゴッドハンド
ゴッドハンドで風速250メートルの嵐を起こす技。
四菱ハイユニマグナムショット
四菱ハイユニをダーツのように投げ付ける。他にも似たような鉛筆投げの技は多数登場した。
水月拳
前述のボクシング技。水中で特訓した後、二枚返しを応用して完成した。まず左のパンチを放って真空状態を作り出し、その真空中に右のパンチを打ち込むことで通常のパンチの何倍もの破壊力を生み出す。その威力は素手で空中の風船を粉々に砕くほど(普通は割ることすら困難)。

用語[編集]

四菱ハイユニ
書いてもほとんど磨り減らない幻の鉛筆とされる。一番はこれを持ちやすい長さである11cmに切って使用している。特殊強化鋼と液体鉛を56.2:43.7の割合で調合したあと一番自身のハナクソを混ぜ、203度の火(アルコールランプを使用)で炙って芯を作っていた。その芯は刃物よりも鋭く、藁束を居合斬りのように斬ることができるほど。作り方次第では強力な武器にもなる。
ネオ四菱
後に、スペースシャトルから剥がれ落ちたスーパーセラミックを母のダイヤの指輪を使って加工し、これを芯にしたアンテナペンも作成している。三段式で如意棒のように伸縮し、普段はハチマキにも隠れる短さだが、伸ばせば棒高跳にも使えるほど。

連載終了の経緯とその後[編集]

作者ののむらしんぼが『コロコロ創刊伝説』で描いた連載終了の顛末によると、人気が急降下したとはいえ、まだ中の下程度の人気は維持しており、本来は打ち切りになるようなレベルではないことを前担当編集者に明かされ、のむらは「だったら続けさせて下さい」と訴えたが、「ただ生活のためだけに、ダラダラと描き続けていいのか?」と叱責されたという。

その後のむらはいくつかの連載と打ち切りを経験した後に、「一番」以上の自身最大のヒット作『つるピカハゲ丸』を送り出すことになる、一方で同作で見られた「他作品の演出等を引用する癖」は『ハゲ丸』終了後再びスランプに陥った時にも見られている。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 「コロコロマンガ鼎談」『定本コロコロ爆伝!! 1977-2009 定本『コロコロコミック』全史』 渋谷直角編、飛鳥新社2009年、210-217頁。ISBN 978-4-87031-914-1
  2. ^ 第10回 『つるピカハゲ丸』誕生秘話!”. すがやみつるの漫画家・夢の工房. 漫画大目録 (2009年10月3日). 2016年3月8日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2011年6月10日閲覧。
  3. ^ 掲載誌1980年9月号の特集記事による比較より。