さらば桑田真澄、さらばプロ野球

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さらば桑田真澄、さらばプロ野球』(さらばくわたますみ、さらばプロやきゅう)は、1990年リム出版から発行された中牧昭二の著作。桑田真澄を中心としたプロ野球の裏金問題について書いた内容である。「中小メーカーが大手に対抗するために裏金を中心にしたあらゆる手段をとらねばならなかった業界の実態も暴露した」と評されることとなった[1]。本の内容が国会でも採り上げられるなど社会問題化し、年間の売上げでは19位、ノンフィクション部門では8位を記録した[2]

概要[編集]

当時、スポーツ用品メーカーカドヤスポーツで販売促進課長であった著者が、読売ジャイアンツの桑田真澄と関わった際に、スポーツ用品のアドバイザリー契約を結ぶ見返りに、同選手に多額の裏金を要求され、それに従って支払ったと主張する話が記載されている。さらに、水野雄仁投手や、他選手に関することも書かれている。

同著はまず、スポーツ用品メーカーが、宣伝効果を目的として自社の製品を使ってもらうために、高校球児に自社の商品を無料で支給したり監督を接待したりしている実情について語ることから始まる。投手の場合は、テレビに映る時間が特に長いため、自社のグラブを使ってもらうことは特に重要であるとのことである。

桑田真澄に関する記述[編集]

宣伝効果を見込んだ桑田への接触は、PL学園時代の1985年春からだという[3]。同著によると、桑田のプロ入り後も接待を続けた中牧が、桑田プロ1年目の1986年オフに「もう待てない」と自社製品を使うよう迫ったところ、桑田に「昭ちゃん。裏金で月に二十万くれたら、使ってもいいよ。それもノータックスだよ」[4]と言われ、裏金を渡し始めたとしている。また、1987年には「裏金を二十万から三十万にしてくれないか」[5]と言われ、裏金が値上げされたという。1987年11月、カドヤスポーツは桑田と2年500万円で正式契約を結ぶものの、桑田の要求は「本契約以外に、裏金で五百万円ほしい」[6]「裏金を一千万円にできないか」[7]「車がほしい。ソアラがいい」[8]「やっぱりクラウンがいい。クラウンのロイヤルサルーンだ」[9]とエスカレートしていった様子が書かれており、同著にはクラウンの注文書が写真付きで掲載され[10]、クラウンは桑田の姉のものとなった旨が書かれている[11]。ほかにも桑田に渡したものは「高級腕時計は十個以上、ゴルフクラブは五、六セット。百万円はする高級背広など、数え切れない」[12]という。また中牧が退職する時も「そうか、おまえは、辞めるのか。辞めてもいい。ただし、裏金だけは寄こせ」[13]と言われたという。

また裏金以外にも桑田の女性関係について書かれており、ドラフト前に東京に桑田が一週間くらい東京に滞在した際「ソープランドへ連れて行ってほしい」[14]と毎日のようにソープランドへ連れて行かされ[15]、そのために中牧が自腹を切ったり[16]、プロ入り後はあまりに頻繁となったため会社の経費で落としたりしたという[17]。また桑田がプロ2年目に活躍すると呼び捨てになり「昭二、コンドームを買ってこい」[18]とコンドームを買いに行かされたり、宮沢りえと会う際も「りえちゃんにグラブをプレゼントしたいから一日でなんとか作れ」[19]として作らせ、宮沢と会う直前に時間があったのでソープランドに連れて行かされた旨が書かれている[20]。それ以外にも1988年1月5日に六本木ディスコ照明落下事故の事故の瞬間に中牧と偶然立ち会っていた桑田が、同席していたアイドルの手を取り駆け出して、その後彼女を連れ、全日空ホテルのスウィートルームへ逃げ込んだという記述がある[21]

ほか、中牧が清原和博に関して桑田から聞いた話として(ドラフト時)「ザマアミロと思ったね。(中略)ぼくが一位指名されるのはわかっていたから、いまに泣き面が見られるぞと楽しみにしていたんだ」[22]、「ぼくが入団発表をする日、あいつのお母さんがぼくのお母さんに厭味の電話をしてきたんだ。あそこは、どうもそういうところがある。父兄会のときだって、うちのお母さんはあいつのお母さんにいじめられたんです」[23]、(桑田が2年目に活躍した後)「あいつのことをすごいと言うけど、何かタイトルを取ったのか。あいつにぼくのことを言う資格はない。タイトルを取ってから、ものを言えっていうんだ」[24]という内容も載っている。

桑田真澄以外に関する記述[編集]

水野雄仁に関しても1章を割いて書かれており、桑田同様裏金や車や時計を送っていた話、引っ越しを手伝わされた話が書かれている[25]

他にも当時読売ジャイアンツ二軍監督でカドヤスポーツとアドバイザリー契約を結んでいた須藤豊(出版時は横浜大洋ホエールズ監督)とその一派の凄まじい“たかり”についても書かれている。具体的には、須藤自身には「ゴルフコンペの賞品が要るんだよ。わかるだろ、俺の立場、言わなくたってわかるよな」などと持ちかけられ、必ず年3回、1回につき150枚近くのゴルフウェアを持っていかれ、ほかにも須藤の義父へのゴルフシューズや須藤の知り合いの息子への野球道具なども送らされたという[26]。須藤の周辺でカドヤスポーツと契約を結んでいた選手らについては、高価なゴルフクラブセットを送らされた福王昭仁に野球では他のメーカーのグラブを使われていた話[27]、用具の面倒を見てきた山崎章弘や藤本健作・健治親子にもミズノに乗り換えられた話が書かれている[28]。その他、契約を交わしていない上田武司関本四十四末次利光らのコーチや樋沢良信スコアラー、渡辺一雄管理部長から、須藤の名前を出されて、家族全員の衣類やゴルフクラブを送らされたり商品を持って行かれたりした話が書かれている[29]。その中で鹿取義隆だけは「須藤さんのように、品物をただでもらうなんて嫌いだ」と言って金を払ったといい、中牧は「それは世間ではまったく当たり前の光景なのだが、私は嬉しくてたまらなかった」と書いている[30]

影響[編集]

野球賭博疑惑への拡大[編集]

この書籍の中で、桑田が親しくしている会員制メンバーズクラブのA社長に登板日を教えたらしい旨の記述(著書ではこの人物は「前科がある人」と表現)や会員の勧誘に成功すると現金をもらっていた記述があり[31]、さらにA社長がかつて常習賭博罪で有罪判決を受けたことも明らかになった[32]ため、桑田が野球賭博に関与しているのではないかとの憶測を招き[33]、その件も週刊誌やスポーツ紙等で騒がれることとなった[33]

当初の調査結果[編集]

3月11日、巨人は桑田と20分ぐらい[34]話し合って事情を聞いたところ[35]、桑田は登板日漏洩と金品の授受をいずれも否定した[33]。そのため、巨人は、調査結果を30ページ以上の報告書でセントラル・リーグに提出し[36]、さらに同15日に7ページの追加報告書を提出した[37]。この追加報告を受けて、川島廣守会長は「私の疑問に思っていた点はすべて解消された。調査はこれで終わった」、と調査の終了を宣言した[37]

巨人は翌16日に記者会見を開き、A社長と十数回食事をしたことなどは認めたものの、「金品の授受、まして登板日を教えた事実は全くない」と主張して中牧を名誉毀損で提訴する姿勢を見せ[38]、桑田も「疑いが晴れてほっとしています」[38]「内容が真実との誤解を与えかねませんので、名誉回復のため訴訟を提起したいと考えています」[38]との声明文を出した。

その結果、川島廣守セントラル・リーグ会長は、桑田には誓約書提出、巨人には厳重戒告にとどめ[39]、訴訟の提起については「きわめて当然の措置であると評価する」と述べた[40]。この措置について、吉國一郎コミッショナーも「巨人と川島会長が十分調査された。処分の差し戻しも考えていない」[41]と述べ、下田武三元コミッショナーも、「川島セリーグ会長の人となりを知っており、その判断力に全幅の信頼を置いている」[1]と述べていた。

しかし、朝日新聞はこの巨人側の対応に疑問を呈し、告発した中牧に球団がまったく接触していない点を「世間一般では通用しない論理だ」「調査結果を全面的に信じろといわれても無理がある。調査内容の概略さえ明らかにせずに疑惑がなかったというのも承服しがたい」と批判した[1]。同様に、毎日新聞も、「調査が第三者機関の手で行われなかったという不自然さはぬぐえない」と批判した[42]

中牧とリム出版社の宮崎満教編集長も、3月17日に反論の記者会見を開いた。中牧は、桑田がA社長から札束の入った封筒を渡されたのを5度見たことや、A社長から土地購入の交渉に同伴したお礼にロレックスをもらったと桑田が話していたことなど、著書には盛り込まなかった例を挙げながら、球団の調査結果について事実関係の認定に誤りがあるとの反論を展開して[43]、巨人側に公開質問状を送った[44]ため、巨人側と中牧側で意見が対立する形となった。

一転して金品授受の事実を認容[編集]

ところが同年3月30日、桑田は巨人に対し、金品の授受がなかったと答えたのは虚偽であったと申し出ていたことが分かり[33]、A社長から高級腕時計1点と総額100万円を受け取っていたことが明らかになった[45]。そのため湯浅武代表と桑田が謝罪の記者会見を開き[46]、巨人は桑田に対して開幕から1箇月の謹慎と罰金1000万円の処分を下した(下記参照)。桑田は、嘘をついていた理由について、「いままではいっさい金品を受け取ったことはないといってきましたが、今後、野球を続けられなくなるだろうという不安があったからです。ただ、私は絶対に野球とばくにはかかわっていません」と釈明し、野球賭博への関与は明確に否定した[45]川島廣守セリーグ会長も「桑田選手に対する処分は適切なものと理解します」と述べた上で、独自の調査が不充分であった点を謝罪し[47]、運動具メーカーと選手らの関係に“たかりの構造”がはびこっていることも認めた[48]

もっとも桑田の謝罪会見について毎日新聞は「用意した謝罪文を読み終わると質問は受け付けず、球団のガードの固さをのぞかせた」と書いた[49]ほか、セントラル・リーグの対応に関して、前回の巨人の報告をうのみにした点をわびたにもかかわらず今回の処分内容もあっさりと適切と認めたことについて「前回の経験が全く生かされていない」と批判している[50]

訴訟[編集]

上記のように巨人側は金品授受を認めて謝罪会見となったが、同時に巨人と桑田が共同原告となり、あたかも野球賭博に関与しているかのような印象を読者に与えたことや、巨人の体質や管理体制が批判されたことの点につき、中牧に対して名誉毀損で1億円の損害賠償と謝罪広告を求める訴訟を東京地裁に起こした[46]

これに対して、中牧自身は、巨人側の最初の会見時に、「私は桑田君が野球とばくに関係していたなどとは一言も言っていません。私は桑田君が登板日を教えたことを注意しただけです。巨人が私を告訴することが理解出来ず当惑しています」と主張しており[38]、結局、4月16日に巨人側からの訴訟が不当であるとして、1000万円の損害賠償と謝罪広告を求める反訴を提起した[51]

ほか、スポーツ用品の小売商組合連合会のB理事長が、前年6月に中牧から、カドヤスポーツからの退職金が半額しか支払われなかったことと立て替えた340万円(中牧曰く桑田と水野への裏金[52])を返してもらっていないことを相談されて、代理人としてカドヤスポーツと交渉して合意に至ったところ、「巨人選手らに関する事柄を公表しないことが退職金支払いの際の条件だったのに、中牧氏はこの合意を破り、自分の面目は丸つぶれになった」[53]として、同年3月26日、慰謝料100万円を求めて東京地裁に訴訟を提起した。しかし中牧は「私が真実を告発したことに対する圧力としか考えられない」と反論し[54]、同27日に中牧がそのような書面も口約束もしていないとして「不当訴訟と名誉毀損で近く同地裁へ訴える」と反訴の姿勢をみせた[52]ところ、同31日にB理事長から訴訟を取り下げる旨の連絡が中牧にあったという[55]

野球界以外への波及[編集]

4月9日、競技スポーツ団体の監督官庁である文部省が日本野球機構に、桑田に端を発した金品授受などの問題について事情聴取を行った[56]ほか、保利耕輔文部大臣が記者会見で野球関係者に反省を促すことを求めた[57]。さらに衆議院予算委員会でも桑田問題が採り上げられ、そこで海部俊樹首相が「野球協約180条のとばく行為に該当することがあり」と発言し、あたかも桑田が野球賭博に関与していることを決めつけるような発言をしたため、陳謝する一幕もあった[58]

この件が明るみになったことで、セリーグは学識経験者らによる綱紀委員会を設置することを決めた[59]。また有本義明は、桑田個人の問題ではなく、巨人がたかりを承知しながら黙認してきたことが最大の誤りと指摘している[60]

この本の内容を受けて『緊急レポート!!言わせてもらおう「桑田問題」 』[61]『くたばれ桑田真澄、くたばれ巨人軍』[62]などの本が出版されるなどした。

桑田側と中牧側の和解[編集]

騒動から約半年経過した1990年9月20日、桑田側と中牧側の裁判は、桑田が野球賭博とは無関係であることを確認する条項と、野球賭博に関与したと誤解されたことについて心から遺憾の意を表するという条項など、6項目[63]の和解条項で合意に達して和解した[64][33]。登板日漏洩に関しては、自然な日常会話や食事中の話の中で知人に登板日を数回教えただけと桑田側が認めている[64][65]

この和解に関して、巨人側は「桑田選手の潔白が証明された。判決まで何年間かかかることを考えると、早期に解決した方がいい」[64]「判決での勝訴に匹敵する内容」[64]と主張し、中牧側は「もともととばくに関係しているとは主張しておらず、裁判の過程で第三者に登板日を漏らしたことは巨人側も認めた。著書の正しさが証明された」[64]と主張した。

処分[編集]

巨人は3月30日[33]桑田に対し、金品の授受等が統一契約書17条(模範行為)に反するとして、シーズン開始後登板禁止1か月、罰金1000万円の処分を行った[33]。同時に、湯浅武球団代表も、譴責と減俸3か月の処分を受けることを明らかにした[66]

その後の4月2日、巨人は、同著で同じく金品の授受が明るみになった水野雄仁が高級乗用車と200万円程度の金銭を受け取っていたとして罰金100万円と譴責処分を科し、ほか衣類などの物品を不当に授受したとされた末次利光、上田武司、関本四十四、樋沢良信が譴責処分と始末書提出、福王昭仁と渡辺一雄と藤本健作が譴責処分、藤本健治が厳重注意となった[67]

以上を受けてセントラル・リーグは、4月3日、巨人に対して2000万円の制裁金を課した[67]。その後吉國一郎コミッショナーは、処分後にファンの「事件ばかり起こして」とのヤジに対して桑田が「ボクが起こしたんじゃない。向こうが起こしたんだ」との「捨てゼリフ」[68]を残したこともあり[69]、「桑田のその後の言動に反省の気配が薄い」[70]として、巨人オーナーの正力亨に戒告処分を科し、セリーグ会長の川島廣守に減俸(10分の1を2か月)する制裁を科した[71]。コミッショナーによる球団オーナーやリーグ会長への制裁は黒い霧事件でもなく、初めてであった[71]。もっとも、巨人側は、反省が薄いという点に反論し、マスコミの過剰な報道が桑田の軽率な発言につながったとして、コミッショナーにマスコミへの自粛措置を採るよう要求した[72]

9年後の週刊現代の記事と裁判[編集]

なお、これら騒動の9年後、週刊現代が1999年9月18日号と25日号において、桑田と暴力団幹部のCと写った写真8枚を示して、1990年に桑田が野球賭博を否定したことに触れて実際には桑田が野球賭博に関与しているかのような記事を掲載した[33]。このように、1990年の野球賭博疑惑が再燃することとなったため、桑田は、同誌を発行している講談社と代表取締役らを名誉毀損で提訴した[33]

裁判では、この写真は桑田が1994年オフに、チームメイトからタレントDのいる酒席に招かれ、タレントDからCを不動産会社の会長をやっている人物であると紹介され、暴力団幹部とは知らないままその際に撮影されたものであると認定された[33]。そのため、桑田がCが暴力団の幹部であることを全く知らなかったことは自然なことでありCと酒席を共にしたことについて過失があるということはできない[33]、桑田が野球賭博に関与したことについて真実であることを窺わせる証拠は全くない[33]、として名誉毀損の成立を認め[33]、慰謝料600万円と謝罪広告の掲載が認定されている[33]

出典[編集]

頁数だけのものは『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』における頁。

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  1. ^ a b c 朝日新聞1990年3月17日朝刊22面
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  34. ^ 朝日新聞1990年3月12日朝刊24面
  35. ^ 朝日新聞1990年3月12日朝刊24面
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  39. ^ 毎日新聞1990年3月17日朝刊社会面
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  48. ^ 毎日新聞1990年3月31日朝刊31面
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  61. ^ プロ野球を愛する会著、 五月書房編集部出版
  62. ^ プロ野球を愛する会著、データハウス出版
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  70. ^ 朝日新聞1990年4月4日朝刊31面
  71. ^ a b 読売新聞1990年4月4日朝刊
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