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「鈴木康友 (政治家)」の版間の差分

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'''鈴木 康友'''(すずき やすとも、[[1957年]][[8月23日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[浜松市]][[市町村長|長]]。
'''鈴木 康友'''(すずき やすとも、[[1957年]][[8月23日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]である[[国会議員|衆議院議員]](2期)を務めた。2007年5月1日から[[浜松市]][[市町村長|長]]を務めている

[[衆議院議員]](2期)を務める。


== 来歴・人物 ==
== 来歴・人物 ==
[[1970年]][[3月]]に[[浜松市立広沢小学校]]を卒業。[[1973年]][[3月]]に[[浜松市立蜆塚中学校]]を卒業。[[1976年]][[3月]]に[[静岡県立浜松北高等学校]]を卒業。同年[[4月]]、[[慶應義塾大学]][[法学部]]に入学し、[[1980年]][[3月]]に同大学を卒業。[[1985年]]に[[松下政経塾]]を卒業。(第1期生)
[[1970年]]に[[浜松市立広沢小学校]]を[[1973年]]に[[浜松市立蜆塚中学校]]を[[1976年]]に[[静岡県立浜松北高等学校]]を卒業。同年、[[慶應義塾大学]][[法学部]]に入学し、[[1980年]]に同大学を卒業。[[1985年]]に[[松下政経塾]]を卒業。(第1期生)


[[1999年]][[4月11日]]、[[北脇保之]]前[[衆議院議員]]の[[浜松市]]長選出馬に伴う[[補欠選挙]]に立候補するが、[[自由民主党 (日本)|自民党]]元職の[[塩谷立]]に破れ、落選。
[[1999年]][[4月11日]]、[[北脇保之]]前[[国会議員|衆議院議員]](当時)の浜松市長選出馬に伴う[[補欠選挙]]に立候補するが、[[自由民主党 (日本)|自民党]]元職の[[塩谷立]]に破れ、落選。


[[2000年]][[6月25日]]に行われた[[第42回衆議院議員総選挙]]に出馬し初当選。[[2003年]]にも再選を果たすも、[[2005年]]の総選挙では小泉フィーバーに沸く中落選した。
[[2000年]]に行われた[[第42回衆議院議員総選挙]]に出馬し初当選。[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙|総選挙]]で再選を果たすも、[[2005年]]の[[第44回衆議院議員総選挙|総選挙]]では落選した。


[[2006年]][[12月23日]]に[[浜松市]]長選への立候補を表明。同年[[12月27日]]には[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]を離党し[[町村長|市長]]選への第一歩踏み出し。なお、北脇は在任中、浜松市行革審との関係が悪化しており、これに反発した行革審委員長である鈴木修([[スズキ (自動車メーカー)|スズキ]]会長)ら浜松経済界を中心に、鈴木康友を担ぎ上げたという経緯がある。このため元民主党同士のいわば身内同士の大激戦の選挙戦となった。
[[2006年]][[12月22日]]に浜松市長選への立候補を表明<ref>{{Cite web|author=静岡新聞|authorlink=静岡新聞|date=2006-12-23|url=http://www.shizushin.com/feature/touitsusen/kiji/20061223000000000013.htm |title=統一地方選関連ニュース:鈴木康友氏正式出馬表明 浜松市長選2氏激突へ|accessdate=6月1日|accessyear=2008年}}</ref>。これは当時市長を務めてい[[北脇保之]]が第1次浜松市行財政改推進議会(第1次行革審)との関係が悪化しており、北脇に反発した行革審長である[[鈴木修 (実業家)|鈴木修]]([[スズキ (自動車メーカー)|スズキ]]会長)ら浜松経済界を中心に、鈴木康友を擁立しによるものである<ref>{{Cite web|author=静岡新聞|authorlink=静岡新聞|date=2007-01-01|year=2007年|month=1月|url=http://www.shizushin.com/feature/touitsusen/kiji/20070101091028.htm |title=統一地方選関連ニュース:浜松市長選 現職対経済界構図|accessdate=6月1日|accessyear=2008年}}</ref>。[[2007年]][[4月8日]]に行われ選挙により現職北脇らを破り、当。同年[[5月1日]]より現職


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[[政令指定都市]]の市長の中では、鈴木と同じ[[松下政経塾]]出身の[[横浜市]]の[[中田宏]]に次ぎ2番目に若い。


== 政策 ==
上述の理由もあり、行革審の意見を大きく取り入れた[[行政改革]]を基軸にした市政が展開されている。しかし一部には、市議会よりも行革審のほうが発言力が大きい状況に批判意見もある。
「こども第一主義」、「くらし満足度向上計画」などの政策提言を実現させるため、市の行財政運営に対する改革を審議することを目的とし[[2007年]][[8月17日]]、第2次浜松市行政改革審議会を発足させた。同行革審に対して、補助金や市の外郭団体の改革について諮問した。


[[2007年]][[6月15日]]の市議会の答弁では「[[地産地消]]の考え方を市民に示すために、市長公用車の更新の際、地元企業の車両を導入していきたい」と発言し、物議をかもした。また、北脇市政の元で行われた[[日本の市町村の廃置分合#平成の大合併|平成の大合併]]の際、旧[[天竜市]]の事業であった天竜市出身者である[[本田宗一郎]]記念館の建設を、新市に引き継ぐことで合併時に浜松市が公約した事業であったが、行政改革を訴える鈴木康友はこれを白紙と決定した。れに対し天竜地域では合併時の約束を反故された、との反対意見も少なくない
[[2007年]][[6月15日]]の市議会の答弁では「[[地産地消]]の考え方を市民に示すために、市長公用車の更新の際、地元企業の車両を導入していきたい」と発言した<ref>浜松市議会会議録 平成19年6月定例会(第3回)-6月15日-12号</ref>。また、北脇市政の元で行われた[[日本の市町村の廃置分合#平成の大合併|平成の大合併]]の際、旧[[天竜市]]から引き継いだ、[[本田宗一郎]]記念館(仮称)の建設を、新市に引き継ぐことで合併時に浜松市が公約した事業であったが、鈴木はこれを白紙とし、既存施設であ旧二俣町役場活用するとで地元住民へ理解を求め、天竜地域協議会おいても同意するとの答申を得た<ref>{{Cite web|author=浜松市役所 浜松市天竜地域自治センター|authorlink=浜松市役所|url=http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/ward/tenryuku/conference/tenryu/tn1907/document.htm |title=浜松市/平成19年度 第6回天竜地域協議会 議事要点|accessdate=6月1日|accessyear=2008年}}</ref>


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[鈴木修 (実業家)|鈴木修]](スズキ自動車取締役会長衆議院議員に立候補したときから支援をしている)
* [[鈴木修 (実業家)|鈴木修]]([[スズキ (自動車メーカー)|スズキ]]会長衆議院議員に立候補したときから支援をしている)
* [[鈴木光司]](作家蜆塚中学・浜松北高時代の同級生、後援会長もめる)
* [[鈴木光司]](作家。[[浜松市立蜆塚中学校|蜆塚中]][[静岡県立浜松北高等学校|浜松北高]]時代の同級生、後援会長もめる)

== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.yasutomo-net.com/ 鈴木やすとも Website]
* [http://www.yasutomo-net.com/ 鈴木やすとも Website]
* [http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/square/room/index.htm 浜松市役所・はままつ市長の部屋]

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2008年5月31日 (土) 22:32時点における版

鈴木康友 (政治家)
すずき やすとも
生年月日 (1957-08-23) 1957年8月23日(66歳)
出生地 静岡県浜松市
出身校 慶應義塾大学法学部 卒業
前職 会社役員
所属政党 無所属
称号 法学士
公式サイト 鈴木やすとも Website

日本の旗 浜松市長
当選回数 1回
在任期間 2007年5月1日 -

日本の旗 衆議院議員
選挙区 静岡県第8区
当選回数 2回
在任期間 2000年7月 - 2005年8月
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鈴木 康友(すずき やすとも、1957年8月23日 - )は、日本政治家である。衆議院議員(2期)を務めた。2007年5月1日から浜松市を務めている。

来歴・人物

1970年浜松市立広沢小学校を、1973年浜松市立蜆塚中学校を、1976年静岡県立浜松北高等学校を卒業。同年、慶應義塾大学法学部に入学し、1980年に同大学を卒業。1985年松下政経塾を卒業。(第1期生)

1999年4月11日北脇保之衆議院議員(当時)の浜松市長選出馬に伴う補欠選挙に立候補するが、自民党元職の塩谷立に破れ、落選。

2000年に行われた第42回衆議院議員総選挙に出馬し初当選。2003年総選挙で再選を果たすも、2005年総選挙では落選した。

2006年12月22日に浜松市長選への立候補を表明[1]。これは当時市長を務めていた北脇保之が、第1次浜松市行財政改革推進審議会(第1次行革審)との関係が悪化しており、北脇に反発した行革審会長である鈴木修スズキ会長)ら浜松経済界を中心に、鈴木康友を擁立したことによるものである[2]2007年4月8日に行われた選挙により、現職の北脇らを破り、当選した。同年5月1日より現職。

政令指定都市の市長の中では、鈴木と同じ松下政経塾出身の横浜市中田宏に次ぎ、2番目に若い。

政策

「こども第一主義」、「くらし満足度向上計画」などの政策提言を実現させるため、市の行財政運営に対する改革を審議することを目的とし2007年8月17日、第2次浜松市行政改革審議会を発足させた。同行革審に対して、補助金や市の外郭団体の改革について諮問した。

2007年6月15日の市議会の答弁では「地産地消の考え方を市民に示すために、市長公用車の更新の際、地元企業の車両を導入していきたい」と発言した[3]。また、北脇市政の元で行われた平成の大合併の際、旧天竜市から引き継いだ、本田宗一郎記念館(仮称)の建設を、新市に引き継ぐことで合併時に浜松市が公約した事業であったが、鈴木はこれを白紙とし、既存施設である旧二俣町役場を活用することで地元住民へ理解を求め、天竜地域協議会においても同意するとの答申を得た[4]

関連項目

脚注

  1. ^ 静岡新聞 (2006年12月23日). “統一地方選関連ニュース:鈴木康友氏、正式出馬表明 浜松市長選2氏激突へ”. 6月1日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  2. ^ 静岡新聞 ( エラー: year に「年」の漢字は付けないでください。月や日まで含める場合や「年」の漢字を付ける必要のある場合は year を使用せず date に記入してください。). “統一地方選関連ニュース:浜松市長選 現職対経済界の構図”. 6月1日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  3. ^ 浜松市議会会議録 平成19年6月定例会(第3回)-6月15日-12号
  4. ^ 浜松市役所 浜松市天竜地域自治センター. “浜松市/平成19年度 第6回天竜地域協議会 議事要点”. 6月1日閲覧。accessdateの記入に不備があります。

外部リンク

24 - 25代
北脇保之
日本の旗 浜松市
26代:2007年5月1日 - (現在)
- 代
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