加納政直
表示
時代 | 江戸時代 |
---|---|
生誕 | 元和8年(1622年) |
死没 | 正徳5年12月24日(1716年1月18日) |
別名 | 数馬、平次右衛門(通称)、良存(号) |
官位 | 従五位下大隅守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川頼宣→光貞→綱教 |
藩 | 紀伊国紀州藩家老 |
氏族 | 加納氏 |
父母 | 父:加納直恒 |
子 | 政信、久通 |
加納 政直(かのう まさなお)は、紀州藩家老。通称は平次右衛門。官途名は大隅守。
生涯
[編集]元和8年(1622年)、紀州藩士・加納直恒の子として生まれた。
慶安2年(1649年)、部屋住みのままで召し出され、合力米80石を賜った。大番与頭となり、切米200石の加増を受け、名を平次右衛門と改めた。寛文7年(1667年)7月、父の直恒の隠居により家督と知行2,000石を相続し、紀州藩家老となった。さらに2,000石の加増を受けて知行4,000石となった。貞享元年(1684年)10月に、藩主光貞の四男として産まれた源六(後の徳川吉宗)を預けられた。吉宗は政直の屋敷で5歳まで養育された。元禄4年(1691年)1月、従五位下大隅守に叙任された。
元禄12年(1699年)7月、隠居して家督を嫡男政信に譲り、良存と号した。正徳5年(1715年)12月24日、死去。享年94歳。
次男の久通は紀州藩士加納本家の加納久政の養子となり、同家の家督を相続し、藩主の吉宗に仕えた。吉宗の徳川宗家相続に伴い、選抜された他の藩士らと共に吉宗に随伴して藩を離れ江戸に移り、以降は幕府直参の旗本として仕えた。享保11年(1726年)には大名に列し、伊勢八田藩初代藩主となった。
参考文献
[編集]- 『南紀徳川史』