コンテンツにスキップ

ジョゼフ・フランクリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョゼフ・ポール・フランクリン
Joseph Paul Franklin
個人情報
生誕 (1950-04-13) 1950年4月13日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国アラバマ州モービル
死没 (2013-11-20) 2013年11月20日(63歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミズーリ州
死因 薬物注射による刑死
殺人
犠牲者数 20人
犯行期間 1977年8月7日–1980年8月20日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ウィスコンシン州
ミズーリ州
テネシー州
ジョージア州
バージニア州
インディアナ州
オハイオ州
ペンシルベニア州
ウェストバージニア州
ユタ州
逮捕日 1980年
司法上処分
刑罰 死刑
有罪判決 殺人罪
判決 死刑
テンプレートを表示

ジョゼフ・ポール・フランクリン英語: Joseph Paul Franklin, 1950年4月13日 - 2013年11月20日)は、アメリカ合衆国シリアルキラー1977年から80年までに20人を殺したとされている。彼はいくつかの殺人で既に有罪を宣告され、ラリー・フリントヴァーノン・ジョーダンの暗殺を企図したことを告白している。しかし、供述には曖昧な点も多く、不確かなケースも多い。

出生

[編集]

ジョゼフ・ポール・フランクリン(以下、ジョゼフ)は、1950年にアラバマ州モービルの貧しい家に生まれた。本名はジェームズ・クレイトン・ボーンといったが、26歳のときにジョゼフ・ポール・フランクリンに改名した。これは、ポール・ジョゼフ・ゲッベルス(パウル・ヨーゼフ・ゲッベルス)ベンジャミン・フランクリンからとられたものだった。ジョゼフは、幼少期に暴力的な両親の虐待に苦しんだ。高校時代には既にナチズムへの関心を持ち始め、後にアメリカ・ナチ党クー・クラックス・クランの会員となった。

劣等人種の排除

[編集]

ジョゼフは、東海岸の各地を放浪し、彼が劣等人種であると信じた黒人ユダヤ人を殺した。ジョゼフは、左目を部分的に、右目を完全に失明していたにもかかわらず、狙った的を外さない熟練したスナイパーだった。彼の殺人の多くは、100フィート以上離れた場所からの狙撃が大部分だった。彼は、近距離で殺害することを嫌い、遠くから狙撃する方法を好んだ。ジョゼフは、また、非常に計画的な殺人者だった。殺人の前に幾つかの逃げ道を確保していた。なお、ジョゼフが、テッド・バンディに代表される他のシリアルキラーと区別されるのは、殺害の手法が彼らと大きく異なるからだった。つまり、ジョゼフの殺人は、性欲や快楽、嗜虐を目的とせず、ただ「劣等人種の排除」のみを目的としたからだった。

シリアルキラー

[編集]

1977年に3年にも及ぶジョゼフの殺人歴は始まった。ジョゼフのイデオロギーはただ一つ、「劣等人種の排除」、曰く「神が、私に人種戦争を始めさせた」というものだった。ジョゼフの最初の殺人は、ウィスコンシン州マディソンでの、異人種間のカップルの無作為殺害だった。ジョゼフは、後のインタビューで、「どのケースの場合も、予め殺害方法と逃亡方法を周到に計画し、服や車を変えるように髪型や髪色を変えた」と語った。

カーター大統領のケース

[編集]

ジョゼフは、ジミー・カーター大統領の公民権への見解に怒り、彼を何度も脅迫した。

ジェシー・ジャクソン、ヴァーノン・ジョーダンのケース

[編集]

また、ジェシー・ジャクソン(米国の公民権運動家)の殺害も企図したが、ジャクソンの周到なセキュリティの前に断念した。そこで、ジョゼフは、ジャクソンの代わりにヴァーノン・ジョーダンを標的にした。

ラリー・フリントのケース

[編集]
ラリー・フリント襲撃現場

1978年3月6日、フランクリンは、ラリー・フリントとその弁護士ジーン・リーブズに発砲した。理由は、フリントの発行していた『ハスラー』が黒人と白人による性交渉を掲載したことへの抗議だった。フリントは、この銃撃により下半身不随となった。

逃亡と逮捕、死刑宣告

[編集]

ジョゼフは、長い間逃亡を続けたが、1980年にフロリダ州で捕らえられた。その際、ジョゼフの採血をした看護婦は、ジョゼフの腕にハクトウワシのタトゥーを確認した。ジョゼフは、詳細に供述し、裁判にかけられ、1997年ミズーリ州死刑を宣告された。罪状は、20の殺人、6の暴行、16の銀行強盗、2の爆破だった。

死刑執行の目前であった2013年10月、銃撃により車いす生活を余儀なくされたラリー・フリントは、フランクリンの死刑執行を中止するよう当局に求めたが、すでに覆せるものではなかった[1]。同年11月20日午前6時(中部時間)、ミズーリ州の刑務所にて薬物注射により死刑が執行された。最後の晩餐を拒否し、執行直前の遺言は残さなかった[2]

脚注

[編集]
  1. ^ 米アダルト界大物実業家、自分襲った犯人の「死刑中止を」”. AFP (2013年10月23日). 2021年2月11日閲覧。
  2. ^ “Judge stays serial killer's execution”. CNN. (November 20, 2013). https://edition.cnn.com/2013/11/19/justice/missouri-franklin-execution/