黒田高政 (東蓮寺藩主)
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(黒田隆政から転送)
黒田高政像 | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 慶長17年(1612年) |
死没 | 寛永16年11月13日(1639年12月7日) |
改名 | 万吉(幼名)→高政 |
別名 | 官兵衛(通称)、隆政 |
戒名 | 雲心院殿松峯宗了大居士 |
墓所 |
東京都渋谷区広尾の祥雲寺 福岡県直方市山部の雲心寺 |
官位 | 従五位下、市正、薩摩守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 筑前東蓮寺藩主 |
氏族 | 黒田氏 |
父母 | 父:黒田長政、母:栄姫(保科正直の娘) |
兄弟 | 忠之、甚四郎、長興、高政 |
妻 | 正室:吉子(有馬直純娘) |
子 | 養子:之勝 |
生涯
[編集]慶長17年(1612年)、福岡城にて父・福岡藩初代藩主黒田長政と母・栄姫との間に四男として生まれる。黒田家には通字で「たか」と読む字に「高」と「隆」の2種類があるため、別表記で隆政とされることもある。「高」の字は祖父の孝高より1字を取ったものと思われ、同じく通称として「黒田官兵衛」を名乗った。
元和9年(1623年)、父の死去による遺言で、兄忠之より4万石を与えられて東蓮寺藩を立藩し、初代藩主となった。市正、薩摩守に叙任される。
寛永14年(1637年)、島原の乱に参陣して武功を挙げたが、寛永16年(1639年)11月13日、桜田の江戸藩邸にて28歳で死去した。嗣子がなく、兄忠之の次男・之勝が跡を継いだ。
直方山部に東蓮寺藩主菩提寺、臨済宗雲心寺を建立開基、開山には帰依していた大徳寺の江月宗玩を迎えた。高政は宗玩と大変親しく、複数の書状が各所に残る。京都大徳寺龍光院には、宗玩の為に庵を建立した。
所用の甲冑および父・長政写しの兜「一の谷形兜」が、東京国立博物館に所蔵されている。