鶏塚古墳

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鶏塚古墳石室内(2010年6月現在)
埴輪 鶏

鶏塚古墳(にわとりづかこふん)は、栃木県真岡市京泉にある、古墳時代後期後半のものと推定される円墳で、栃木県指定の史跡

概要

真岡市の北方、五行川左岸の沖積地にある京泉(きょうせん)地区一帯にはかつて17基から成る「京泉シドミ原古墳群」(文献によっては「京泉シトミ原古墳」とも記述されている)が形成されていた。しかし宅地化や耕地整理に伴い多くの墳丘が削平されてしまい、現在残るのは半壊以上のものも含め8基のみとなっている。

その中でも最も大きいのが「鶏塚古墳」と呼ばれるもので、シドミ原古墳群の中では13号墳とされている円墳である。「鶏塚古墳」の名前の由来は後述の「鶏形埴輪」が出土したことによる。

古墳時代後期後半の6世紀末頃に築かれたと推定され、大きさは2006年現在で東西約22m、南北約18m、高さ約2.5m。石室は長さ(奥行き)5.68m、幅は入り口付近が0.81m、奥が1.58m、高さは1.2 〜 1.5m程度。墳丘はかなりの部分が削られており原型を留めてはいないが、河原石を積み上げた側壁を持つ横穴式石室は入り口付近をケヤキの根に覆われているものの綺麗な状態で残されており、見学も出来るようになっている。

発掘・調査

  • 明治期に石室内より、直刀、鉄鏃(鉄製の矢じり)、馬具、勾玉などが出土。
  • 1930年(昭和5年)に土地所有者(当墳丘は個人宅敷地内にある)が掘削した際に人物埴輪の頭部が出土したことから発掘調査をする事となる。
  • 1931年(昭和6年)1月、栃木県文化財調査員の佐藤行哉らによって初めての本格的な調査を行なう。
  • 1957年(昭和32年)8月30日、栃木県指定史跡となる。

主な出土品

  • 埴輪 鶏
  • 埴輪 琴を弾く男子
  • 埴輪 挂甲をつけた武人
  • 埴輪 子を背負う女子
  • 埴輪 正装の女性
  • 埴輪 女子立像

良く形状を捉えた「鶏形埴輪」や陰部を露出させ赤く彩色した埴輪の「女性像」など、芸術的評価も高い貴重な出土品が多くあり、上記の出土品は全て東京国立博物館に収蔵されている。

所在地

〒321-4406
栃木県真岡市京泉(真岡市北運動場近く)(北緯36度28分57.6秒 東経140度1分51.1秒 / 北緯36.482667度 東経140.030861度 / 36.482667; 140.030861座標: 北緯36度28分57.6秒 東経140度1分51.1秒 / 北緯36.482667度 東経140.030861度 / 36.482667; 140.030861

交通・アクセス

関連項目

出典・参考文献

  • 塙静夫『探訪とちぎの古墳』随想舎、2000年。ISBN 4-88748-034-2 
  • 現地案内

外部リンク