饒正太郎

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饒正太郎
誕生 1912年
大日本帝国の旗 日本統治下台湾花蓮港庁(現・花蓮県
死没 1941年
日本の旗 日本東京府
職業 詩人
最終学歴 早稲田大学政治経済学部
ジャンル 詩歌
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饒 正太郎(ぎょう しょうたろう、1912年 - 1941年) は台湾花蓮港庁 (現・花蓮県) 出身の詩人、官僚である。台湾の日本統治時代東京で文筆活動を行った[1]

経歴[編集]

1912年 (大正元年)、花蓮港庁に生まれる。花蓮地方の名士饒永昌の長男で[1]、母親は山口県人であった。幼少期に日本に留学し、1932年 (昭和7年)、早稲田大学政治経済学部に入学した。在学中に百田宗治主宰の詩誌『椎の木』に詩を発表した[2]。また自身で詩誌『カイエ』[2]『20世紀』[3]を創刊し、編集者を務めた。1936年 (昭和11年) 卒業後[4]拓務省大臣官房秘書課に就職した[5]。仕事のかたわら詩誌『新領土』などに作品を発表し、『20世紀』の詩人伊東昌子と結婚、二児をもうけた。1941年 (昭和16年) 病気のため東京で没した[1]

関わった主な詩誌[編集]

  • 『椎の木』椎の木社 [6]: 第1期 (1926年10月-1927年9月)、第3期 (1932年1月-1936年3月) が百田宗治編集で、多くの有力新人が作品を発表し、モダニズムと抒情という雰囲気であった。寄稿者には室生犀星春山行夫萩原朔太郎西脇順三郎村野四郎草野心平佐藤朔らがいる[7]。饒は1932年から1934年ころまで詩を発表した[2]
  • 『カイエ = cahier』カイエ社 1933年7月-1934年11月 編集兼発行人 饒正太郎[8]: 中野区の自宅を発行所として創刊した第1号に饒は、「花」と題する詩と、ストラヴィンスキーの『兵士の物語』について述べた「音楽地理」と題する一文を載せている[9]
  • 『20世紀 : L'esprit de la poésie contemporaine』二十世紀刊行所 1935年1月-1936年12月[10]: 饒正太郎、酒井正平、西崎晋、小林善雄、川村欽吾らが創刊。イギリスの詩人オーデンの詩劇『死の舞踏』を饒と酒井の共訳で連載[11]。この雑誌はA4判の大きなサイズで、第5号では饒が多忙のため編集を桑原圭介に代わったことが記されている[12]
  • 『新領土』アオイ書房 [13]: 1937年5月-1942年1月刊行。上田保他編、同人に春山行夫、村野四郎、近藤東鮎川信夫江間章子、桑原圭介らが参加し、モダニズム的傾向で、同時代の海外の詩論を積極的に紹介した[14]。創刊号後記で饒は「「新領土」という名の意味は、土地を奪うという意味ではなく、新しく開拓するという意味で、その点ナショナリズムではなく、極めて国際主義を標榜している」と述べている[15][16]
  • 『文藝汎論』(文芸雑誌) 文芸汎論社 1931年9月-1944年2月: 編集者は岩佐東一郎城左門で、1935年以降に饒が寄稿している[17]

作曲された作品[編集]

  • 近藤春恵『三つの歌曲:饒正太郎の詩による』日本作曲家協議会、2008年 (饒の詩「四月」「秋」「雪と魚」に作曲されている。解説によると饒の遺稿集から選ばれている。)[18]

参考文献[編集]

  • 江間章子『埋もれ詩の焔ら』、講談社、1985年 (江間は饒と同世代の詩人で、饒が寄稿した詩誌に同様に詩を寄せている。饒のことを本書で「蛹が蝶に変わるように、少年から青年へと化したばかりの輝きを放ち、神経質なプロフィル、繊細な彫りのきいた顔立ち、容姿全体から漂い、まわりにも伝わってくる若さ。若さが持つ意思と決意。」と描いている[19]。)
  • 紀旭峰「戦前期早稲田大学の台湾人留学生」『早稲田大学史紀要』第44巻、早稲田大学史資料センター、2013年、pp147-183

脚注[編集]

  1. ^ a b c 紀旭峰 pp166-167
  2. ^ a b c 江間 p180
  3. ^ 江間 p200
  4. ^ 紀旭峰 p159
  5. ^ 紀旭峰 p165
  6. ^ CiNii (ゆまに書房復刻版)
  7. ^ 日本近代文学大事典. 第5巻新聞雑誌. 日本近代文学館、1977、p131
  8. ^ CiNii
  9. ^ 『カイエ』 第1号 1933年7月
  10. ^ CiNii (ゆまに書房復刻版)
  11. ^ 日本近代文学大事典. 第2巻人名. 日本近代文学館、1977、p86
  12. ^ 『20世紀』 第5号 1935年10月
  13. ^ CiNii
  14. ^ 日本近代文学大事典. 第5巻新聞雑誌. 日本近代文学館、1977、p212
  15. ^ 『新領土』 創刊号 1937年5月
  16. ^ 那珂太郎他編『日本の現代詩』玉川大学出版部、1987、p53
  17. ^ 日本近代文学大事典. 第5巻新聞雑誌. 日本近代文学館、1977、p387
  18. ^ CiNii 2020年12月1日閲覧。
  19. ^ 江間 p201

外部リンク[編集]