霊界

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霊界(れいかい、spirit world)とは、

  • 後にないしそれに類するものが行き着くとされる世界[1]。死後の世界。
  • 精神の世界[2]。非物質世界。

霊界という言葉が意味する内容は個々人や信仰(宗教的立場)によって異なる。

一般に霊界といった場合は前者の意味で用いられることが多く、あの世後世死後世などの表現でも呼ばれている。伝統的な宗教の中には、死者が存命中にこの世で行った善悪の行いや信仰心などに応じて、行き先が天国地獄に分かれるとするものもある。またスピリチュアリズムでは、霊界は階層状の世界であるとし、魂の状態に応じてふさわしい層に行くともされる。

死後の世界

一般に霊界といった場合はこちらの意味となる事が多い。天上や地底、海の彼方や異次元など、別世界に死後に霊の行き着く世界があるという考え方は、古来様々な宗教や信仰に見られる。肉体が滅んだ後でも精神(幽体)、意識(体)などと呼ばれる非物質的な存在が滅びずに残り、それらが暮らす、または魂の故郷へ帰る世界とされる。

伝統的な宗教では天国地獄浄土黄泉などの言葉でそれを呼んでいる。古くからイタコの口寄せのように、霊界にいる霊と交信出来るとする者もいる。 スピリチュアリズムでは、死後の世界は霊の差別界或いは霊格の差別界で、肉体の滅びた魂は幽現界を経て自分の魂と同じレベルの階層へと平行移動していき、霊の階層の決定には、現世での地位、名誉、財産等の物質的な価値は一切関係ないとも説明されている。

その他の霊界

一部の宗教や信仰においては、死後にだけ行く場所というわけではなく、非物質世界の一つとして霊界を位置付けているものがある。この場合の霊界は、1) 超自然的な人間同士のつながり(ネットワーク)、あるいは 2)現実世界(この世)と重なるようにして表裏一体の不可視の存在たちの世界、があると言われている。

前者(超自然的な人同士のつながり)の意味での霊界は、舞台としての世界ではなく、媒介としての世界であり、何らかの未知の力により霊界を通じて他者と交信する。後者では生霊死霊守護霊といった存在とその影響が信じられている。

霊界からのコンタクト

現世の人も霊界とコンタクトをとれる、とも言われている。そうした考え方によれば、霊界から霊媒を通して現世の人とコンタクトが行われる(シルバーバーチなど)。このコンタクトは低級霊から高級霊まで様々であり、低級霊がコンタクトをとった場合、歴史上有名な人の名前を肩書きをして(キリストなど)霊媒に現れることが多く、人をあざけったりして楽しんだりしている場合が多いとされる。高級霊の場合は、主に霊的真理を説こうとする。

デイヴィスの『自然の原理』

1847年、アンドリュー・ジャクソン・デイヴィスが『自然の原理』The Principles of Natureという本を出版した[3]。 デイヴィスは入神状態を経験し、入神状態で口述した内容が他の人によって15ヵ月にわたり書き留められ、それが『自然の原理』としてまとめられた[3]。本は反響を呼びロングセラーとなり30年間で34版を数えた[3]。この『自然の原理』は三部構成になっており[3]、第一部の「自然の原理」においては、世界は心と物のふたつから成り立っているが、物質も心も本質的には霊的であると説かれ、第二部の「自然の聖なる啓示」に、宇宙の創造、星雲の形成、太陽系の誕生、地球生命の発達などを説明しており(ダーウィンの『進化論』の発表より10年以上も前の段階でデイヴィスはこうした説明を行った[3])、そしてスピリチュアリズムの重要な部分、つまり霊界とは何か、霊界はどういう構造なのか、人は死ぬとどうなるのか、といったことが書かれている[3]。そのためこの本は、後に「スピリチュアリズムのバイブル」と呼ばれるようになった[3]。肉体と霊とはもともと一体であるが、年をとるにつれて肉体は衰えて霊(精神)の思うとおりには動かなくなるので、霊はそれまで肉体に充満していたエーテル的な物質を吸収して霊体をつくり霊界での生活に備えるのだ、とした[3]。そしてこうしたことは霊が低い次元から、より高い次元へと移動することであって、とはそうした次元の移動にすぎない、とした[3]。そして、死とはあらゆる現象の中で最も賛美すべきものであって、皆がその到来を楽しみに待ち、それに感謝すべきだ、と述べた[3]。肉体を脱してまず入る世界をデイヴィスは「第二界」と呼んだ。その後に第三界から第七界まである[3]。第二界では肉眼の代わりに霊的な視力を得ることになり、地上の人間を見ても肉体は見えず、霊体しか見えない、と述べた[3]。同じ第二界にいるもの同士は声を使わず思念だけで交流できる[3]。第二界には3つの社会(グループ)があり、宇宙の目的、宇宙の役割、人間の宇宙における役割などといった宇宙の真理を学ぶとする[3]。 また、霊界全体は、魂同士が引き合う力、および魂が向上を目指す力が原動力となって発展してゆく、とした[3]

デイヴィスはその本で次のように述べた[3]

肉体の中にいる霊と、より高い世界にいる霊とが交信する。・・・まもなくそれは生きた人間がやってみせる形で行われるだろう[3]

歴史

古代ギリシャの哲学者ではプラトンが霊界が存在していると述べ、あの世の様子についても語った[4]

不可知論の立場では、死後の世界については、あるにしてもないにしても、人間の認識能力では知ることはできないと考える。インドの仏陀は、死後の世界があるとも無いとも語らず、それよりも、いま苦しんでいる人の苦しみを取り除くことが先である、と述べた。こうした姿勢は無記と呼ばれている。

17~18世紀のエマヌエル・スヴェーデンボリは霊界日記を記した[5]

18世紀にヨーロッパで唯物論 materialismという考え方がある程度広がったが、唯物論では物質以外は存在しないと考えるので、死後に霊が残るとは考えず、霊界の存在は想定しなかった。唯物論の立場からは、霊界という用語は霊実在論の立場から論じられていることにすぎない、という理解であった。

1847年には米国のアンドリュー・ジャクソン・デイヴィスが『自然の原理』The Principles of Natureという本を出版し、霊界のしくみを説いた。

1857年にはフランス人アラン・カルデックが霊の生まれ変わりや死後の世界についてしるした『霊の書』(Le Livre des Esprits)を出版した。

1920年代にはイギリスのモーリス・バーバネルが霊媒役となりシルバーバーチの霊訓を伝えはじめた。そこには死後の世界、霊界に関することも多数含まれていた。

日本では、大正~昭和期に宗教大本を立ち上げた出口王仁三郎が、入神状態で多様な霊界の諸層について語り、『霊界物語』(全81巻)としてまとめた。また、その宗教大本から独立した浅野和三郎は、「心霊科学研究会」などの「霊界」を探求・研究する組織を創設し、「日本の心霊主義運動の父」と称されている。この流れから、浅野正恭新倉イワオ中岡俊哉三浦清宏つのだじろう など多数の心霊研究家が輩出されている。

昭和~平成にかけて丹波哲郎霊界に関する著書を多数出版、1989年には映画『丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる』を制作・公開した。2005年ごろには江原啓之美輪明宏がテレビ番組オーラの泉に出演するようになり、人々のスピリチュアリズムや霊界に対する関心も高まった。

幸福の科学のにおいても、多数の書籍によって、霊界について解説・解明がなされており、「短期間に」「高度な内容で」「多様な個性で」多数の霊言が降ろされることをもって霊界の存在証明としているいる。(→霊界 (幸福の科学)霊言 (幸福の科学) など参照)

19世紀から20世紀にもなると自然科学に過度の期待を寄せる人々が増え、霊界のことまでも自然科学的に立証しようとするような試みも欧米諸国などで行われた。だが、最近では霊界のことを扱うのに現段階の実験科学的な手法は向いていないとも指摘されている。そうしたことを含みつつ、現代ではしばしば「(霊界のことは)現代の科学では扱うことができない」とか「(霊界は)現段階の科学では証明されていません」と表現されている。また、霊に関することがらにまでも自然科学を持ち出してどうこうしようとする姿勢を科学主義という言葉で呼ぶ人もいる。

参考書

  • 三浦清宏『近代スピリチュアリズムの歴史』講談社、2008年
  • 金森誠也『「霊界」の研究: プラトン、カントが考えた「死後の世界」』PHP出版


出典 脚注

  1. ^ 大辞泉
  2. ^ 大辞泉
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 三浦清宏『近代スピリチュアリズムの歴史』講談社、2008年、p.34-65頁。 
  4. ^ 金森誠也『「霊界」の研究: プラトン、カントが考えた「死後の世界」』
  5. ^ 金森誠也『「霊界」の研究: プラトン、カントが考えた「死後の世界」』

関連項目