関浩

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 関浩 七段
名前 関浩
生年月日 (1960-07-08) 1960年7月8日(63歳)
プロ入り年月日 1985年3月28日(24歳)
引退年月日 2007年3月31日(46歳)
棋士番号 169
出身地 東京都田無市(現西東京市
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 山川次彦八段
段位 七段
棋士DB 関浩
戦績
通算成績 182勝324敗(.3597)
竜王戦最高クラス 4組
順位戦最高クラス C級2組(12期)
2019年4月4日現在
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関 浩(せき ひろし、1960年7月8日 - )は、将棋棋士。2007年引退。山川次彦八段門下。棋士番号は169。東京都田無市(現西東京市)の出身。

棋歴[編集]

1974年奨励会入会から11年目にして、1985年3月28日、24歳で四段昇段。

その8か月後、10歳下の羽生善治がデビューしたが、1986年3月13日に「オールスター勝ち抜き戦」の予選で羽生と当たる。矢倉の本格的な攻防となるが、これに勝利。羽生にとっては、棋士人生初の黒星であった。関は、このデビュー1年目に20勝を挙げた。

1989年度は、22勝15敗・勝率0.595の好成績を収める。

第3期(1990年度)竜王戦5組の昇級者決定戦(敗者復活戦)で大野八一雄井上慶太を破り、4組に昇級。

第19期(1993年度)棋王戦で予選2回戦でタイトル戦出場経験者の森下卓に勝利し本戦進出。本戦トーナメントでも1回戦で鈴木輝彦に勝利を挙げる。(2回戦で高橋道雄に敗れる。)

順位戦では、初参加から12年目の第55期(1996年度)C級2組順位戦で降級点累積3点となり、フリークラスに降級。以降10年間、順位戦復帰の条件をクリアできず、2007年に引退[1]

棋風[編集]

一辺倒とも言えるほどの純粋な居飛車党で、相居飛車戦においては、矢倉相掛かり横歩取り角換わりといった主要戦法を一通り指しこなした。

人物[編集]

新聞日本将棋連盟の観戦記執筆を務めることが多い。

趣味は、読書、および、クラシック音楽落語の鑑賞である。特に、読書はドストエフスキーレフ・トルストイチェーホフなどのロシア文学、音楽はバッハブラームスなどのドイツ音楽を好む[2]

昇段履歴[編集]

主な成績[編集]

  • 通算成績 182勝324敗 勝率0.3597
  • 第37回(1987年度)NHK杯本戦出場 …1回戦で内藤國雄に敗れる。
  • 第19期(1992年度)棋王戦本戦出場 (前述)
  • 第44回(1994年度)NHK杯本戦出場 …1回戦で村山聖に敗れる。

在籍クラス[編集]

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦 (出典)竜王戦
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1985 44 C246
1986 45 C208
1987 46 C235 1 5組 --
1988 47 C218 2 5組 --
1989 48 C227 3 5組 --
1990 49 C220 4 4組 --
1991 50 C241 5 4組 --
1992 51 C217 6 4組 --
1993 52 C232 7 4組 --
1994 53 C242 8 4組 --
1995 54 C239 9 5組 --
1996 55 C235 10 5組 --
1997 56 F編 11 6組 --
1998 57 F編 12 6組 --
1999 58 F編 13 6組 --
2000 59 F編 14 6組 --
2001 60 F編 15 6組 --
2002 61 F編 16 6組 --
2003 62 F編 17 6組 --
2004 63 F編 18 6組 --
2005 64 F編 19 6組 --
2006 65 F編 20 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

脚注[編集]

  1. ^ 2006年度内引退棋士等|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2007年3月31日). 2017年8月26日閲覧。
  2. ^ 将棋世界」2000年1月号付録
  3. ^ 昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2019年4月1日). 2019年4月4日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]