藤山陽子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Coptic Light (会話 | 投稿記録) による 2016年4月1日 (金) 12:19個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

藤山 陽子(ふじやま ようこ、1941年12月17日 - )は、日本の映画女優東宝専属で1960年代に活躍した。神奈川県横浜市金沢区金沢八景出身。身長161cm[1]。愛称はおふじ。

来歴・人物

横浜市本牧間門に生まれ、戦時中は平塚市へ疎開、終戦後は間門へ戻り、元町小学校4年生の時に金沢八景へ引っ越す。1957年、六浦中学校を卒業、1959年、女学校である私立明倫高等学校(現・横浜清風高等学校)3年生の春、陽子を含め修学旅行に参加しない残留組は平常通り授業があり、そんなある日の通学途中「ぶしつけに失礼ですが、チヨッとお話ししたいことがあるのです」と声を掛けてきた作曲家の木下忠司に「テレビの音楽を担当しているんだけど、テレビに出たくはありませんか?」と誘われる、やがて木下は陽子の両親に主旨を告げ、間もなく実兄である映画監督の木下恵介を紹介、彼は陽子に「テレビもいいけど、映画に出てみないか?」と話す、この言葉で心を動かされた陽子に父は「木下恵介先生に一切をお任せして、お前に出来ることならやってみてはどうなんだい!!」と促す、さっそく夏休みを利用し「今日もまたかくてありなん」で映画初出演、明けて1960年1月の冬休みに同じく木下恵介作品「春の夢」に出演、卒業後に出演したNETの「新三等重役」がきっかけで東宝ニュータレントに応募[2]、応募総数1万5千人の中で只1人全審査員の満票を以って合格、翌1961年4月に東宝俳優養成所を卒業、5月1日付で東宝へ入社、[3]。こうして東宝ニュー・タレント1期生となった陽子は[4]同年夏に加山雄三主演の『大学の若大将』で銀幕デビュー、東宝は司葉子に続く都会派で上品な美貌の正統派女優として「魅惑の新星」と名づけ大々的に売り出した。目鼻立ちがはっきりした高貴でノーブルな風貌の美人で、清純な令嬢役やBG(現在のOL)役が多く『銀座の若大将』など若大将シリーズクレージーキャッツ映画、社長シリーズなど東宝の娯楽映画に数多く出演。映画では特に際立った代表作がなかったものの、テレビではマドンナの女教師、生徒の姉役として夏木陽介主演の『青春とはなんだ』、続編である竜雷太主演の『これが青春だ日本テレビで放映された青春学園シリーズに出演したことで新境地を開拓しお茶の間の人気を得た。この『青春とはなんだ』の映画版である『これが青春だ!』、『でっかい太陽』、『燃えろ!太陽』の一連作にも夏木と共に出演している。1967年、結婚を機に引退した。

エピソード

  • 好きな俳優は三船敏郎久我美子オードリー・ヘプバーン、特にアラン・ドロンは共演したいほどの熱烈なファンであった(『東宝』1961年11月号、東宝映画友の会)。
  • 1965年(昭和40年)、同1月から2月までインド各地で開催された「第3回インド国際映画祭」に出席のため、インドを訪問している。
  • 2005年10月発売のDVD『大学の若大将』のコメンタリーとして声のみだが登場した。今も交流のある桜井浩子と一緒ならばということで応諾したという。そこで車の運転は男まさりの荒々しさだったことや周りの過大な期待とは裏腹に女優の意識が希薄で早く引退したかったなど興味深いエピソードを語っている。
  • また、1996年から翌97年まで放映されていた笑福亭鶴瓶司会の『完全特捜宣言!あなたに逢いたい!』(テレビ朝日)にドラマ「青春とはなんだ」の夏木陽介岡田可愛矢野間啓治の希望で、一緒に出演していた豊浦美子木村豊幸と共に(「あなたに逢いたい!」の)スタジオに登場。6人でラグビーボールに記念のサインをしたり、思い出話に花を咲かせた。

出演作品

映画

(すべて東宝映画)

テレビドラマ

  • ヨーイ・ドン(1965年5月7日‐1965年10月29日、フジテレビ・東宝) 
  • 水のように(1965年10月8日-12月31日、関西テレビ・宝塚映画)
  • 青春とはなんだ(1965年10月24日-1966年11月13日、日本テレビ・東宝) - 永井明子(英語教師)
  • 花とスッポン(1966年10月5日‐1967年1月4日、日本テレビ)
  • これが青春だ(1966年11月20日-1967年10月22日、日本テレビ・東宝) - 伊藤由理子(生徒の姉)
  • 日産スター劇場 赤ちゃんがいっぱい(1967年4月29日、日本テレビ) 

オーディオ・コメンタリー

  • DVD『大学の若大将』(2005年10月28日、東宝)

脚註

  1. ^ 週刊平凡 平凡社 1962年3月号 73頁。
  2. ^ 以上は近代映画 近代映画社 1962年8月号 122-125頁。
  3. ^ 以上は小説倶楽部 桃園書房 1961年10月号 巻頭ポートレイト。
  4. ^ 同期に桜井浩子がいて引退後も親しい仲である。子どもに一時期、桜井浩子のことを「怪獣のおばちゃん」と呼ばせていた。

外部リンク