舳倉島
舳倉島 | |
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国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1975年) | |
所在地 | 日本 石川県輪島市 |
所在海域 | 日本海 |
座標 | 北緯37度51分5秒 東経136度55分7秒 / 北緯37.85139度 東経136.91861度座標: 北緯37度51分5秒 東経136度55分7秒 / 北緯37.85139度 東経136.91861度 |
面積 | 0.55 km² |
海岸線長 | 5 km |
最高標高 | 12.4 m |
プロジェクト 地形 |
舳倉島(へぐらじま)は、石川県能登半島の北約50kmの日本海上に浮かぶ島である。輪島市海士町に属する。
概要
周囲約5km、面積0.55km²、標高12.4mの安山岩でできた島。最終氷期で海水面が低下した2万年前は七ツ島とともに能登半島と陸続きであったが、1万6千年前に能登半島から分離した[1]。
北側は崖や岩礁が多いが、南側はなだらかで漁港や砂浜がある。漁業のほとんどは海女によるもので、アワビ、サザエ、ワカメ、テングサなどを採集する。以前は夏季(6月-10月)の漁期のみ、対岸の輪島市海士(あま)町・鳳至町(ふげしまち)から漁民が移住してくる島だった[2]。近年は定住者も増え、2000年国勢調査によれば164人がこの島に住所を置いている。しかし、少子化が進んで鳳至小学校・上野台中学校の舳倉島分校があるものの、通学する児童がいないため休校中となっている。1970年には保育所が開設されたが少子化により閉所となり、2009年度からは自治会の託児所が保育を担っている[3]。また、島には診療所(市立輪島病院舳倉診療所)がある。診療所で対処できない患者は漁船かヘリコプターで輪島まで搬送される。
島の中央には灯火標高42.7mの舳倉島灯台がある。ここには海上保安庁の職員が常駐し、天気や風、海面の様子を船舶気象通報として情報提供していたが、2005年4月1日から無人化された。
大陸と日本列島を往復する渡り鳥にとっては格好の休息地であるため、全国からバードウォッチャーが集まる日本有数の野鳥観察のメッカであり、確認されている野鳥は約300種類を数える一方、年間を通して見る事が出来る留鳥はハクセキレイ等4種類に留まり日本において最も普遍的に存在するスズメもいない。
舳倉島の北約250m~200mにある小瀬と大黒瀬の2つの小島は日本の排他的経済水域(EEZ)の基点となっている[4]。
歴史
島の南端に近い字高見には延喜式内社奥津比咩(おくつひめ)神社が鎮座し、近くからは5世紀と8世紀・9世紀の重層遺跡「シラスナ遺跡」が発見されている。この島は古代から日本海交通の要所であり、海士の拠点でもあった。ただ、伊能忠敬の地図には記されていない。日露戦争中、本船を沈められたロシア兵2、3人が手漕ぎボートで漂着して島民とともに生活していたという伝承がある[5]。
主な施設
- 舳倉島港
- 舳倉島灯台
- へぐら愛らんどタワー
- 鳳至小学校・上野台中学校の舳倉島分校
- 総合開発センター
- 市立輪島病院舳倉診療所
- 舳倉島駐在所
- 奥津比咩神社
交通
へぐら航路株式会社により、輪島港との間に定期船が毎日1往復運航。
関連項目
脚注
- ^ “舳倉、七ツ島も陸続き 2万年前の能登半島”. 北国新聞. (2008年8月25日) 2013年10月23日閲覧。
- ^ 海女が潜るのは舳倉島だけではなく、島と輪島の中間にある「嫁ぐり礁」(よめぐりしょう)でも素潜りをした。海女は昭和初期から200人前後で今も変わらない(『昭和あのとき アルバム編』北國新聞社・富山新聞社 2014年p.74)。
- ^ “舳倉島に託児所オープン 島出身者が保育支え”. 北国新聞. (2009年7月2日) 2013年10月23日閲覧。
- ^ “舳倉島沖の2島国有化 EEZの基点”. 北国新聞. (2012年9月16日) 2013年10月23日閲覧。
- ^ “日露戦争時、舳倉島にロシア兵漂着 石仏に伝承残る”. 北国新聞. (2008年10月13日) 2013年10月23日閲覧。