第四の壁

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プロセニアム・アーチ。19世紀前半のフェニーチェ劇場

第四の壁(だいよんのかべ、: fourth wall)は、プロセニアム・アーチ付きの舞台の正面に位置する、想像上の透明な壁であり、フィクションである演劇内の世界と観客のいる現実世界との境界である。観客はこの壁を通して演じられる世界を見ることになる。この概念はシェークスピア以前から存在する[1]。「第四の壁」という呼び名は写実主義の出現とともに19世紀の演劇界において発生したと推定され、その後小説映画など他のフィクションにおける物語論演出手法などでも重要な存在となった。批評家のビンセント・キャンビーは1987年に第四の壁のことを「観客と舞台を永遠に隔てる透明な幕」と表現した[2]

起源と意味

この言葉は劇場で生まれた。すなわちごく普通の三つの壁で覆われた舞台が言葉通り「第四の壁」を与えたのである。しかしながらこの言葉は映画テレビ文学といった他のメディアでも使われており、フィクションと観客との境界を示す一般的な言葉として用いられる。

第四の壁はフィクションと観客の間にある不信の停止(観客はフィクションを見ている間は「こんなことは実際には起こらない」などという無粋な突っ込みを抑えること)の一部である。通常、観客は第四の壁の存在を意識することなく受け入れており、あたかも現実の出来事を観察しているかのように劇を楽しんでいる。第四の壁の存在はフィクションにおいて最も良く確立された約束事の一つであるが、演出上の効果のためにその存在を直接意識させる場合がある。例えばA.R. Gurneyの『The Fourth Wall』においては主婦ペギーが自宅の何もない壁に対して強迫観念を抱き、そこに4人の登場人物が関わることになる。彼らは次第に演劇上の様々な約束事に引きずり込まれ、舞台の上の家具や行動はいわゆる第四の壁に対するものになっていく。

第四の壁を破る

演劇において「第四の壁を破る」という言葉は、人物や何らかの舞台装置の働きで、役者達が観客に見られていることを「自覚した」ときに用いられる。この用語が初めて用いられたのはベルトルト・ブレヒトが、コンスタンチン・スタニスラフスキーの演劇理論を元にして(また、対比的に)作り上げた「叙事演劇」の理論の中である。最もよく見られるのは人物が観客に呼びかけることで第四の壁を破るものだが、それ以外にも演技を止めて素の役者の立場に戻ることや、会話によって、また人物が物語の状況の外にある事物と関わること(例えば人物が小道具を舞台係から受け取るなど)によって為される場合がある。

様々な演劇家がこの神経に障る効果を使って焦点をはっきりさせようとするのは、そうすることでフィクションを新たな光で照らし、観客がより能動的に劇を見るように仕向けるためである。ブレヒトは意図的に第四の壁を壊すことで知られており、観客に見ているものをより批判的に考えるよう促した。これは異化効果と呼ばれている。

第四の壁を突然破ることは視覚的な「non sequitur」(筋道のおかしい推論)の一種として、喜劇的な効果のためによく用いられる。物語の一般的な約束事が予期せず破られることは観客を驚かせ、笑いを生む。この手法の初期の例として、フランシス・ボーモントの『ぴかぴかすりこぎ団の騎士』では登場人物のうち三名が自分達は観客だと名乗る。彼等はプロローグに割り込んで脚本について助言させるよう要求し、劇の間中、突発的に数々の厄介な変更を命じて、笑いを誘う。

このような、観客がフィクションの約束事を熟知しているところを利用するやり方は、フィクションの決まり事を解体するポストモダンと定義される作品において鍵となる要素である。第四の壁を破ったり言及したりする作品では、それ以外にも人物が物語の枠の外についてメタ言及することや、演技を止めて役者の立場に戻るといったポストモダン的な手法をしばしば用いる。

トーキー映画の初期にはマルクス兄弟の舞台を元にした作品で、しばしば第四の壁が破られた。1932年の作品『御冗談でショ』を例に取ると、チコがピアノの前に座って間奏曲を弾き始めるところでグルーチョがカメラの方を向いて「俺はここに居なきゃならないが、あんた達は外に出て、演奏が終わるまでロビーで待っていてもいいんだぞ」と無表情に喋る[3]

1940年代には第四の壁を破る行為はすでに広く受け入れられ、一例として映画「珍道中」シリーズではビング・クロスビーボブ・ホープが観客に向かって、冗談や、作品のプロデューサーに対する不遜なコメントを述べる。

即興劇においてはしばしばこの第四の壁という概念への妥協が発生する。すなわち観客が役者とある程度関わりを持ち、例えばミステリーの結末について投票を行なうような場合、観客は芝居の中の出来事の目撃者として扱われ、本当の「第四の壁」というより実質的には役者となっている。アウグスト・ボアールの「被抑圧者の演劇」がこれに当たる。

自分がフィクションの一部であることに登場人物(語り手となる主人公など)が気付いて、観客と接触するために第四の壁を破る場合、第四の壁は作品のナレーションに含まれる場合がある。『トム・ジョーンズの華麗な冒険』、ウッディ・アレンの『カイロの紫のバラ』、ジョナサン・ガッシュの『Lovejoy』がこれに当たる。これらにおいて登場人物が破った第四の壁とは作品全体の語り手との間の壁に過ぎず、本当の観客とフィクションの間の第四の壁は破られてない。こういった種類の作品は厳密な意味で第四の壁を破るものではなく、より正確にはメタフィクション、つまりフィクションの決まり事に言及するフィクションである。

伝統的なコメディア・デラルテや、そういったものの現代版、例えばステファン・シュウォルツの『ピピン』においても第四の壁が破られることはよくある。例えば役者が観客の方を向いてアドバイスや応援を求めたりする。この手法はテレビのコメディドラマ、例えば『フレッシュ・プリンス・オヴ・ベル・エアー』、『マルコム・イン・ザ・ミドル』、『救いの鐘』などでもよく見られ、登場人物が視聴者に対して訳知り顔や面白い顔をしてみせたり、直接カメラに向かって喋る場合さえもある。

近年の海外作品では、アメリカン・コミックスの登場キャラクターである「デッドプール」などが有名である。このデッドプールは自分がフィクションの人物であると知ってるとともに第四の壁を自由に破ることができ、かつコメディリリーフの人物であるため、劇中にて平然とそのことを公言したり読者や作者・出版社に対してのアピールや文句を露骨に言う(デッドプールは精神異常者のため、第四の壁を認知できない他の人物はそれによる妄想だと捉えている)などといったギャグを頻発し、キャラクターの根本にまで第四の壁が絡んでいる。

ビデオゲームにおける例

ビデオゲームにおいてもしばしば第四の壁が破られ、ゲームキャラクターがプレイヤーとコミュニケーションを取ることがある。

  • MOTHER』のある地点において電話でパパと通話すると、プレイヤーの名前を要求される。
  • Tak and the Power of Juju』の最初の場面で登場人物はプレイヤーのことを神と呼ぶ。
  • エターナルダークネス 〜招かれた13人〜』ではプレイヤーのメモリーカードが壊れたという演出がある。
  • ローグギャラクシー』では登場人物がランダムに喋る言葉の中に、ゲームを長時間遊びすぎてないか、またセーブしてあるか尋ねるものがある。
  • ラチェット&クランク2』では主人公二人がある惑星へ到着するが、追いかけていた敵はちょうど惑星を離れたところだった。ムービーの中でラチェットはなぜ自分達がいつも間に合わないのか嘆き、そこでラチェットとクランクはカメラの方を向いてプレイヤーを責めるように見る。これは彼らがプレイヤーによって操作されていることへの皮肉である。
  • キン肉マン ジェネレーションズ』では、プレイヤーがポーズボタンを押すと、解説者が“トイレでしょうか”とプレイヤーの行動を予測する言動をとる。

別の例としてはリアルタイムストラテジーのようにプレイヤーが個別のキャラクターへ指示を出せるゲームで、キャラクターがプレイヤーへ返答する場合がある。

  • Icewind Dale』ではキャラクターが何度もクリックされると、自分がまるでゲームか何かの駒のように扱われていると不平を言う。
  • 『天仙娘々』ではBGMの曲調と音量に登場人物が疑問を発し、全知全能だと主張するキャラクターが流れているBGMを変更させるというシーンが序盤にある。
  • 『スーパーロボット大戦』ではハードが据え置き機のとき中断メッセージとして、キャラクターがプレイヤーに語りかけることが多々あり、複数主人公のいる作品では、順序によってはまだプレイしていないキャラクターが現れ、自分たちの出てくるルートもプレイするように言う、「途中でセーブする回数に応じて難易度が上昇する」という嘘をついて終わる(その直後に「冗談ですよ、フフフ…」と言うが、キャラクターの性格上本気なのか冗談なのかわからず、先に『もう手遅れ』と言われるため、非常に恐ろしい)、などがある。
  • 成人向けゲーム『臭作』の主人公・臭作は自分がゲームキャラクターに過ぎないことを知っており、ゲーム終盤ではプレイヤーに直接語りかけてきて、ヒロインを陥れる様な選択をするよう迫る。その後、プレイヤーが臭作から監視され指図を受けるという主客転倒の状態でゲームを最初からやり直す展開になる。これによって、プレイヤー自身がゲーム内に引きずり込まれて、凌辱者である臭作の共犯にされた様な錯覚に陥る。
  • メタルギアソリッド4』ではオタコンがディスクを交換するよう指示するシーンがある。実際には交換する必要はなく、スネークに指摘されたオタコンがブルーレイディスクの容量の大きさに驚いている。『メタルギアソリッド』がCD-ROM2枚組であったことを想起させる演出。またそのメタルギアソリッドに含まれる拷問シーンでプレイヤーはボタンを連打する必要がある。しかし連射パッドに交換すれば比較的楽にクリアすることができる(これはどのゲームでもいえることである)。だが登場人物であり拷問担当官のリボルバー・オセロットはスネークに話していたかと思うと何も無い空間に向け突如「言っておくが連射パッドを使おうなどとは思うなよ」と釘を刺す。何も無い方向の更に向こうに(つまり画面の向こう)は丁度プレイヤーが座っているため、オセロットは本来ゲーム内世界に存在しないはずのプレイヤーに向けてハードウェアチートで楽をしないよう釘を刺しているのである。さらに『メタルギアソリッド2』ではアーセナルギア突入後に様子がおかしいロイ・キャンベル大佐から無線が入り「雷電、今すぐゲームの電源を切るんだ!」と叫ばれる。当然雷電は何のことだかわからないが、ゲームをプレイしているプレイヤー自身を困惑させる演出となっている。
  • 初代熱血硬派くにおくん』では、自動販売機で買い物をしようとすると、主人公のくにおが「自販機を使うのか?」とこちら側を見て尋ねてくる。ここで「いいえ」を選ぶとプレーヤーに対して「何だって!?」など、色々反応する。
  • MARVEL VS. CAPCOM 3 Fate of Two Worlds』では上記のデッドプールが登場。第四の壁を破ることが出来る能力も原典の漫画どおり持っており、勝利後や敗北後にプレイヤーに文句言ったり、体力ゲージなどの画面表示欄をもぎ取って振り回し攻撃するなどといった行為を平然と行っている。更に、彼専用の掛け合いとしてシーハルクもまた第四の壁、及び続編への期待に言及している。また、同じくアメリカン・コミックスから登場のシュマゴラスも第四の壁を認知できており、デッドプールの節制の無い行為を注意するという掛け合いもある。

アニメ・漫画における例

アニメ、漫画においても、『タイムボカンシリーズ』の様に、登場人物が読者の存在を意識した発言を行ったり、制作者の事情に言及したり、出演声優による他作品キャラクターを絡めた発言が存在することがある。

技術的制限

通常、第四の壁を破ることは意図的に行なわれるが、撮影時の技術的制約や、複雑な場面を編集することの困難さによって、見ているものが映画であることを観客に意識させてしまい第四の壁を偶然破ってしまうことがある。

  • 太陽光がカメラレンズに入り込むことによるプリズム効果
  • レンズ上に付着した水滴や泥
  • カメラが被写体に近すぎることで被写体が歪んで見える
  • 回転する車輪が実際の向きとは逆方向に回って見えるストロボ効果
  • カメラおよび撮影者の影や反射が映り込む

また、絵画アニメーションでは、本来存在しない実写の技術的制約を意図的に模倣する(プリズム効果を描き込むなど)ことで、第四の壁を破る効果を演出することがある。

脚注

  1. ^ http://filmbabble.blogspot.com/2007/08/here-i-go-again-with-another-meta-movie.html
  2. ^ "Film view: sex can spoil the scene;" (review). Canby, Vincent. New York Times. (Late Edition (East Coast)). New York, N.Y.: Jun 28, 1987. pg. A.17 . ProQuest ISSN: 03624331 ProQuest document ID: 956621781 (subscription). retrieved July 3, 2007
  3. ^ http://www.imdb.com/title/tt0023027/quotes/

関連項目