穏城郡
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穏城郡 | |
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位置 | |
各種表記 | |
ハングル: | 온성군 |
漢字: | 穏城郡 |
発音: | オンソン=グン |
ローマ字転写: | Onsŏng-gun |
穏城郡(オンソンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道に属する郡。北朝鮮統治範囲の最北端に位置する。穏城郡の西北部にある南陽労働者地区と、豆満江対岸の中華人民共和国図們市の間には図們国境橋(図們大橋)が架けられており、中朝物流の動脈の一つとなっている。
地理
白頭山に源を発して東北方向に流れてきた豆満江が、東南方向へ屈回する地点にある。南西に会寧市、南東にセビョル郡と境を接し、豆満江の対岸は中華人民共和国吉林省の延辺朝鮮族自治州である。
歴史
高句麗・渤海などの勢力圏を経て女真族の土地となり、多温平(タオンピョン)と呼ばれた。1440年、李氏朝鮮の世宗代に穏城郡が置かれて住民の移住が行われた。郡内の旺戴山(王在山、ワンジェサン)は1933年3月11日に金日成が抗日運動による会議を開催した場所であるとされ、北朝鮮では革命の聖地のひとつとなっている。
1952年の北朝鮮の郡面改編により、穏城郡の一部をセビョル面に編入するなどして穏城郡を再編した。1974年には南西に隣接していた鍾城郡の大部分を編入した。
年表
- 1440年 - 穏城郡がおかれる。
- 1441年 - 都護府に昇格する。
- 1442年 - 鎮がおかれる。
- 1895年 - 穏城郡に改変され、のち咸鏡北道に属する。
- 1952年12月 - 穏城郡を再編(1邑14里)。
- 1974年5月 - 鍾城郡の大部分を穏城郡に編入した。
交通
鉄道
観光
- トゥル峰革命史跡地:穏城邑から東方へ約8kmの地点にある。金日成主席がチュチェ19(1930)年10月14日に最初の国内党組織を結成した場所。
- 旺載山:穏城邑から北へ4kmの地点にある。主席がチュチェ22(1933)3月11日、歴史的な旺載山会議を召集した時の史跡がある。
- 旺載山大記念碑:旺載山麓に建っている。敷地6万㎡。主席の銅像と中心群像、烽火塔、副主題群像、事績碑などから成っている。
- 旺載山革命博物館:抗日革命闘争時の史料が展示されている。
- 南陽橋頭:穏城邑から南へ13.5km離れた南陽里にある。中国の図門市と結ばれている。
下位行政区画
現在は1邑8労働者区15里で構成されている。
沿革
1945年8月15日時点で、咸鏡北道穏城郡は以下の6面から構成されていた。
- 穏城面 - 온성면【穏城面】 (オンソン=ミョン)
- 南陽面 - 남양면【南陽面】 (ナミャン=ミョン)
- 永瓦面 - 영와면【永瓦面】 (ヨンワ=ミョン)
- 永忠面 - 영충면【永忠面】 (ヨンチュン=ミョン)
- 美浦面 - 미포면【美浦面】 (ミポ=ミョン)
- 訓戎面 - 훈융면【訓戎面】 (フニュン=ミョン)
外部リンク
- (朝鮮語) 咸鏡北道 (以北五道委員会)
- (朝鮮語) 中央日報北韓ネット・北韓地名辞典 穏城郡