富寧郡

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富寧郡
位置
DPRK2006 Hambuk-Puryong.PNG
各種表記
ハングル 부령군
漢字 富寧郡
発音 プリョン=グン
日本語読み: ふねいぐん
ローマ字転写 Puryŏng kun
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富寧郡(プリョンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道に属する郡。鉱業が盛んである。

地理[編集]

内陸に位置し、東から南に清津市、北に会寧市、西に茂山郡と接する。

歴史[編集]

植民地期までの富寧郡は、現在の清津市の大部分を含み、海に面した大きな郡であった。

三国時代には高句麗の領域で、のちに渤海国がこの地を治めた。渤海の東京龍原府はこの付近(現在の清津市富居里)に置かれていたと考えられている。

渤海の滅亡後は女真族の領域となり、高麗李氏朝鮮と女真族との抗争の地となった。高麗末には石幕城と称された。李氏朝鮮王朝の世宗は、この地に六鎮の一つ・寧北鎮を置いた。大韓帝国期に富寧郡の一部であった清津が開港地となる。植民地期には咸鏡北道に属した。

年表[編集]

  • 1398年 - 石幕城と称される。
  • 1431年 - 石幕城に寧北鎮が設置され、節制使が鏡城郡を兼ねた。
  • 1449年 - 富居県を廃して民戸を石幕城に移し、富寧と改称する。のちに都護府に昇格した。
  • 1895年 - 富寧郡となる。
  • 1908年 - 清津が開港地となる。
  • 1910年 - 清津府に編入される。
  • 1914年 - 富寧郡が再設置される。
  • 1949年 - 連川面・富居面・三海面・観海面が新設の羅津郡に編入される。
  • 1952年12月 - 富寧郡が再編される(1邑18里)。
  • 1960年10月 - 富寧郡が清津市に編入され、富寧区域・松坪区域になる。
  • 1970年7月 - 富寧区域が咸鏡北道所属に戻り、富寧郡になる。
  • 1972年7月 - 富寧郡がふたたび清津市に編入されて富寧区域になり、一部地域は青巌区域となる。
  • 1985年12月 - 富寧区域がふたたび咸鏡北道所属に戻り、富寧郡になる。

下部行政区画[編集]

沿革[編集]

1945年8月15日時点で富寧郡は以下の8面から構成されていた。

  • 観海面 - 관해면【觀海面】 (クァネ=ミョン)
  • 富居面 - 부거면【富居面】 (プゴ=ミョン)
  • 富寧面 - 부령면【富寧面】 (プリョン=ミョン)
  • 三海面 - 삼해면【三海面】 (サメ=ミョン)
  • 西上面 - 서상면【西上面】 (ソサン=ミョン)
  • 石幕面 - 석막면【石幕面】 (ソンマク=ミョン)
  • 連川面 - 연천면【連川面】 (ヨンチョン=ミョン)
  • 青巌面 - 청암면【靑巖面】 (チョンアム=ミョン)

交通[編集]

外部リンク[編集]