鏡城郡

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鏡城郡
位置
DPRK2006 Hambuk-Kyongsong.PNG
各種表記
ハングル 경성군
漢字 鏡城郡
発音 キョンソン=グン
日本語読み: きょうじょうぐん
ローマ字転写 Kyŏngsŏng kun
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鏡城郡(キョンソンぐん)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道に属する郡。李氏朝鮮王朝時代の地方行政の中心地であり、咸鏡道の名も鏡城に由来する。また、朱乙温泉をはじめとする温泉が多い。

地理[編集]

日本海沿岸に位置する。北に清津市、南に漁郎郡、西に延社郡と接する。

歴史[編集]

植民地期までの鏡城郡は、現在の漁郎郡を含む。

高句麗渤海を経て女真族の領域となり、高麗との間の抗争の場となった。一時期元の統治下に置かれたこともある。朝鮮王朝初期にこの地は「鏡城」と呼ばれるようになり、この地を治める鏡城都護府使は北道節度使の兼任とされるなど、東北辺境統治上の重要な土地とされた。近代に入っても引き続き咸鏡北道の道庁所在地であった。

郡内の羅南には日本軍第19師団が駐屯し、1920年代には羅南邑に郡庁が移転された。羅南は1940年に清津府に編入される。

年表[編集]

  • 1398年 - 鏡城と称され、万戸が置かれた。
  • 1410年 - 鏡城府が置かれる。
  • 1432年7月 - 鏡城都護府に昇格する。
  • 1896年 - 鏡城に咸鏡北道観察使が置かれる。
  • 1940年3月 - 羅南邑が清津府に編入される。
  • 1952年12月 - 漁大津・朱南・朱北・漁郎面が漁郎郡として分離される。
  • 1977年1月 - 清津直轄市に編入される。
  • 1985年9月 - 清津直轄市の廃止に伴い咸鏡北道所属に戻る。

下部行政区画[編集]

1邑15里5労働者区から構成される。中心部はかつての朱乙邑である。

沿革[編集]

1945年8月15日時点で鏡城郡は以下の2邑4面から構成されていた。

  • 漁大津邑 - 어대진읍【漁大津邑】 (オデジン=ウプ)
  • 朱乙邑 - 주을읍【朱乙邑】 (チュウル=ウプ)
  • 鏡城面 - 경성면【鏡城面】 (キョンソン=ミョン)
  • 漁郎面 - 어랑면【漁郞面】 (オラン=ミョン)
  • 朱北面 - 주북면【朱北面】 (チュブク=ミョン)
  • 朱南面 - 주남면【朱南面】 (チュナム=ミョン)

交通[編集]

産業[編集]

温泉や風光明媚な自然で知られ、植民地期には一大観光地であった。

良質の陶土を産し、窯業でも知られる。

観光[編集]

清津から西南方へ35km離れた海辺に位置している。朝鮒の有名な陶磁器生産地、休養観光地である。 塩盆革命史跡地 : 鏡城邑から海辺へ4kmの地点にある。

  • 朱乙温泉
  • 鏡城温泉 : 鏡城邑から2km離れた下温堡里にある。治療用の温泉である。
  • 温堡温泉 : 鏡城邑から西北方へ12kmの地点にある。古くからリゾートとして広く知られている。
  • 鏡威邑城と鏡城南大門 : 高麗時代に建てられ、李朝時代に改築された古跡。

出身者[編集]

  • 武亭 - 北朝鮮の軍人、1904年鏡城郡出身。

外部リンク[編集]