カステラ本家福砂屋

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福砂屋(ふくさや)は、長崎県長崎市船大工町3番1号に本社を持つ、カステラの製造業者である。

概要

長崎カステラの元祖といわれている。1624年寛永元年)創業。『カステラ本家』を商標登録している。中国でめでたい動物と言われる蝙蝠を商標とし、看板には蝙蝠が使われている。長崎本店の他にも、福岡赤坂店(明治通り)、東京赤坂店(一ッ木通り)等の直売店を持つ。長崎本社工場は、長崎市の隣の諫早市多良見町にある。

福砂屋のカステラは創業以来手作業による製造を行い、添加物を使用せずに生成している。出来上がったカステラは底に角の取れた粗目(ザラメ)糖があり、食べるときに独特の食感を生み出している。長崎カステラといえば、東京などでは文明堂が有名になっているが、本場の長崎では、ザラメ入りでしっとりとした福砂屋のカステラを食べるのが、通とされている。ただし、粗目の部分はその下にあるシートに付いてはがれやすい。

福砂屋のカステラ

カステラの原料は卵、小麦粉2種類、グラニュー糖、砂糖、ザラメ糖だけ。生クリームや、ふくらし粉などは入れない。ちなみに福砂屋のカステラは他社の商品よりふっくらとして香りが良い。長崎カステラの三大大手は福砂屋、文明堂、松翁軒(しょうおうけん)である。そのふっくらとする技術はもちろん企業秘密である。ちなみに文明堂(創業1900年)は福砂屋で修行した職人が出て店を作ったものである。店の古さでは松翁軒(1681年創業)より新しい。松翁軒と福砂屋の元祖争いみたいなものがある。この他に長崎カステラで有名な店として皇室献上のカステラを作っている匠寛堂(しょうかんどう)がある。 福砂屋は普通のカステラの他にカステラ生地にココア胡桃レーズンを入れた「オランダケーキ」という商品も販売している。カステラと同じ体裁をとる商品で、カステラとのセット販売も行われている。

なお、発売しているカステラのサイズは、長崎・九州、福岡・中国・四国、関西・東海・関東・東北・北海道の各エリアによって異なる。

歴史

1624年寛永元年)、初代・福砂屋(砂糖や米を扱っていた貿易商)は、ポルトガル人より直接伝授されたカステラなどの南蛮菓子づくりを始め、「長崎カステラ」を創案。5代まで引地町(現・桜町と興善町)にて販売。

1775年(安永4年)乙未、6代・市良次事大助のときに店舗を、丸山唐人屋敷にほど近い船大工町に移転。

明治時代に入り、12代・清太郎は、中国でと並んで慶事・幸運の印として尊重されている蝙蝠を商標とする。この頃、卵と砂糖の配合を多くし、粉を少なく配した「五三焼カステラ」を創案。清太郎の代から、1年に1度、毎年5月に菩提寺である正覚寺にて「卵供養」を催すことを始める。

13代・為三郎のときに、宮中御買上げの栄に浴し、以来各宮様の御用命を賜る。為三郎は、卵白のみ使用した「白菊」、卵黄のみの「黄菊」の特製カステラを創案。

戦中戦後の弊舗を経て、1949年(昭和24年)に生産を再開。1952年(昭和27年)に東京支店を開設。

1977年(昭和52年)に本社・多良見工場を完成。1983年(昭和58年)に福岡支店を開設。1992年(平成4年)に大村工場を完成。

参考資料

『福砂屋 カステラ縁起』

外部リンク