淮河

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淮河
延長 1,078 km
平均流量 -- m³/s
流域面積 174,000 km²
水源 河南省
水源の標高 200 m
河口・合流先 長江および黄海
流域 中国
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淮河(わいが、拼音: Huái Hé)は、中華人民共和国を流れる川の一つで、長江黄河に次ぐ第三の大河。古くは「河」が黄河の固有名詞であったので、淮水と呼んだ。長さは1,078km、流域面積は174,000平方kmに及ぶ。

淮河は、黄河と長江の間を東西に流れている。その下流は平坦な低地を通っており、流路が複雑なため洪水を起こしやすく非常に治水が難しい。このため「壊河(ピンインではHuái Hé)」の異名がある。

華北と華南の境界

(北)と南宋(南)の地図。淮河が境界となっていた

淮河および秦嶺山脈を結ぶ線(秦嶺・淮河線)を境に、中国の南北では地理や気象条件などが異なり、伝統的に華北華南の境界線とみなされている。秦嶺・淮河線は年間降水量1000mmの線とほぼ一致し、たとえば北は小麦中心の畑作農業地帯で、南はコメ中心の水田地帯となっている。また淮河の北は陸路中心の交通、南は河川交通中心で「南船北馬」ともいわれている。こうした農業生産物や交通の違いは政策の差や軍事行動に影響するため、中国が南北に分裂していた時代は淮河が境界線になったことが多かった。

流路

淮河は河南省の桐柏山・老鴉叉に源流を発する。河南省、安徽省江蘇省の3つの省を通り、途中江蘇省で洪沢湖という中国第4位の巨大な淡水湖を形成し、一部はここで分かれて黄海に注ぎ、残りは三江営で長江に流入している。源流から河口までの落差はわずか200mにすぎない。

河南省と安徽省の境の洪河口までが上流で、長さは360km・落差178m・流域面積は30,600平方kmに達する。洪河口から洪沢湖の出口・中渡までが中流で、長さは490km・落差は16m・流域面積は158,000平方kmになる。中渡から三江営の長江流入地点までは150kmで、落差6mとなる。

淮河水系の地図

また渦河・沙河・洪河など、華北平野の黄河より南を流れる川は、天井川である黄河に合流することができないため、南へ流れて淮河の支流になっている。これらの川には、むかし黄河本流だった河道を流れる川もある。

おもな支流には、北岸の最大の支流・沙潁河(潁河)、南岸の最大の支流・史灌河など安徽省や河南省を流れる河川がある。また、山東省南部の沂沭泗河水系(沂河沭河泗水の三つの河川およびその支流からなる)はかつては淮河の大きな支流であり、現在も大運河などを経て淮河につながっている。泗水は、古代には淮水と並び、中原から江淮地方を結ぶ大動脈であった。

流路の変化と治水

淮河の流路は激しく変化してきた。かつて淮河は今日の江蘇省北部を通って黄海に注いでいた。しかし1194年、それまで渤海へ北流していた黄河が南に向きを変え泗水の流路へ流れ込み、さらに淮河河道へ合流するようになり、淮河は黄河の流れの強さに押しだされた。黄河が堆積した土砂は高く積もったため、淮河は流れをふさがれ、水は逆流してあふれ出し洪沢湖を形成し、多くの土地や町が水没した。洪沢湖に溜まった水は南へ迷走し、高郵湖、邵伯湖といった湖を作ったあと長江へと合流するようになった。沂沭泗河水系の各河川も江蘇省北部で出口をなくして迷走しながら大運河や黄海へ流れるようになった。

1850年代に黄河は再び北に流れを変えたが、淮河は黄河旧河道の堆積土砂による自然堤防のために元の流れに戻ることができず南に流れるままになり、安徽省・江蘇省境界付近でしばしば氾濫を繰り返した。1950年代以降、中華人民共和国によって淮河水系の上流でダム建設や植林、下流で排水路整備が進められた。特に江蘇省北部に設けられた放水路・蘇北灌漑総渠は、淮河旧河道に沿うかたちで淮河の水を洪沢湖から黄海へ流している。一方で、治水のため各支流に作られたダムのうち、汝河に建設された板橋ダム1975年に大雨で決壊し、下流のダムも押し流して大洪水を引き起こした。

支流

  • 北岸の主な支流:洪汝河、沙潁河、西淝河、渦河、漴潼河、新汴河、奎濉河
  • 南岸の主な支流:遊河、溮河、竹竿河、寨河、潢河、白露河、史灌河、淠河、東淝河、池河

外部リンク

関連項目