浅草火力発電所

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浅草火力発電所(あさくさかりょくはつでんしょ)は、東京電燈東京都台東区浅草に設置した発電所

歴史

設置に至る背景

当時、東京電燈が運用していた火力発電所は、茅場町などに設置された直流発電機による発電所で、直流送電の特性から小規模分散型を強いられており、次の問題が生じていた。

  • 電力需要が旺盛になり直流発電では賄いきれなくなった
  • 商業地近くの密集地に発電所を増設することは、敷地の余裕、公害対策上から問題があった
  • 大型交流発電機の性能が向上した

等の理由から、交流発電・送電を前提とした大型火力発電所の計画が立案され、浅草発電所が建設されるに至った。

発電機

発電所に据えられた交流発電機については、石川島造船所(現・IHI)が開発した発電機とドイツ(アルゲマイネ:現AEG)から輸入した発電機が特筆すべきものとして伝えられている。前者は、国産第一号にして世界一線級の200kwの出力を誇り、国産技術が成熟しつつあることを証明し、後者は東日本における50Hzの交流周波数を決定づけるものとなった。

煙突

発電所の燃料は、引き続き石炭が用いられた。浅草は当時も繁華街であったことから、環境の悪化を防ぐ為に61mもの高さを誇る煙突が建設され、浅草の名物として親しまれた。

廃止と移転

大正時代に入ると老朽化が進み、建て替えが検討され始めた。その矢先の1923年(大正12年)、関東大震災が発生。浅草での立地を断念し、千住に新たな敷地を求め発電所(千住火力発電所)の建設計画が進められた。

平成27年(2015年)現在、跡地には東京電力蔵前変電所がある。敷地内には旧い変圧器が処分されないまま残っている[1]

注釈

  1. ^ ただしこれは当時の浅草発電所のものではない。内部に絶縁用のPCB等を含むため処分保留となって置かれているものである。

関連項目

座標: 北緯35度42分09.4秒 東経139度47分35.2秒 / 北緯35.702611度 東経139.793111度 / 35.702611; 139.793111