水戸納豆

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水戸納豆(みとなっとう)は、水戸市を県庁所在地とする茨城県納豆生産量で日本一であり、有名であることによるブランド名[1]。1889年(明治22年)に製造が始まった天狗納豆が、鉄道開業から間もない水戸駅前で販売したことで、各地にあった納豆のうちでも、水戸の納豆が土産物として知名度が高まった[1]。水戸駅前には、藁苞に入れた納豆をかたどった「水戸の納豆記念碑」がある[2]

2008年に納豆記念碑が水戸駅前に建てられるなど地元を代表する名物と位置付けられている一方で、総務省家計調査による1世帯当たり納豆購入額で、水戸市は2016年を最後に首位ではなくなっている[1]

このため水戸市議会は7月10日を「納豆の日」とする『納豆の消費拡大に関する条例』を2022年6月21日可決した(7=なな=なっ、10=とお=とう、にちなむ)[2]

現状は一般名詞的なものと認識されており、「水戸納豆」の単独語句による商標登録は実質不可能となっている。これにより、水戸市及び近隣の各納豆メーカーがこぞって「水戸納豆」の名称で商品を販売展開しているのが実情である。

概要

今日の主流である小粒大豆を使用したのが特徴である。

水戸地方では元々、各農家が自家製の納豆を食していた。それを近代的食品工業として製造技術を確立。また近代的マーケティングによって販路を拡大したのが、明治創業で水戸の納豆の発祥といわれる「天狗納豆」である。水戸納豆が全国区のブランドとなったのは、明治から大正昭和初期にかけてであり、口コミで広まった。

なお、水戸納豆という呼称では、天狗納豆(総本家・元祖)とは別に水戸納豆製造株式会社という会社もある。

発祥についての伝説としては、源義家が1083年に、奥州に向かう途中、現在の水戸市渡里町の一盛長者の屋敷に泊まった折に、飼料である煮豆の残りから納豆ができた、といわれている[3]。ただし、この後三年の役で納豆の製法が偶然見出されたとする伝承は、戦場となった出羽にもある[4]

沿革

水戸にある天狗納豆(総本家=株式会社笹沼五郎商店)に関する沿革を以下に記す。

  • 1889年(明治22年) - 江戸時代末期生まれの初代笹沼清左衛門が「天狗納豆」のブランドで水戸市柵町(現:三の丸3丁目)に創業。
  • 大正時代 - 初代清左衛門・二代目清左衛門が事業を展開。
  • 昭和時代 - 太平洋戦争後、三代目五郎が事業継承。
  • 1956年(昭和31年) - 有限会社化し、有限会社笹沼五郎商店となる。
  • 1992年(平成4年) - 株式会社化し、株式会社笹沼五郎商店となる。その後も増改築を重ね、現代に至る。納豆展示館もその内の一つであり、納豆の歴史などについて展示されている。

関連項目

脚注

  1. ^ a b c 【47都道府県の謎】茨城・水戸の納豆、なぜブランド/明治期で水戸駅前で販売、お土産として人気に『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」2021年3月6日5面(2021年10月30日閲覧)
  2. ^ a b c 「10日は水戸納豆の日 PRへ市条例制定/催し企画 首位復活へ粘って!」東京新聞』夕刊2022年7月7日1面(同日閲覧)
  3. ^ 水戸納豆とは[リンク切れ]
  4. ^ 後三年合戦 納豆伝説 横手市観光協会(2021年10月30日閲覧)