東武鉄道杉戸工場

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東武動物公園駅西口にある、杉戸工場で使われていた転轍機。東武動物公園駅西口の整備に合わせてモニュメントとして設置された。

東武鉄道杉戸工場(とうぶてつどうすぎとこうじょう)とは、埼玉県南埼玉郡宮代町にあった東武鉄道車両工場東武動物公園駅に隣接していた。

西新井工場とともに、南栗橋車両管理区(当時)南栗橋工場に統合され[1]2004年3月31日に閉鎖された[1]。廃止後も工場建屋などは残存していたが、東武動物公園駅西口再開発に伴い2011年12月より順次撤去され、跡地は西口広場となっている。

初期には、西新井工場が主に電車、杉戸工場が主に機関車・貨車の修繕を行っていたが、貨物輸送の縮小・廃止に伴い双方で電車の修繕を行った。

電車に関しては杉戸工場の敷地面積上、6両編成以上の車両検査ができないため短編成の車両検査を主に担当していた。

構内には杉戸機関区及び杉戸検車区も併設されており本線の電気機関車及び貨車は当区所属であった。(貨車に関しては87年まで) また1987年頃までは電車の解体も当所及び北側の杉戸倉庫で行っていた。(その後は北館林荷扱所で実施)

沿革

  • 1943年昭和18年)12月1日 浅草検車区杉戸支区(第1工事区)を設置。
  • 1945年(昭和20年)7月1日 杉戸工場(第1工事区)と改称。
  • 1954年(昭和29年)貨車検修開始。
  • 1955年(昭和30年)浅草工場鐘ヶ淵派出所(第4工事区)を杉戸工場に移転。鐘ヶ淵派出所(第4工事区)は杉戸工場(第2工事区)と改称。
  • 1958年(昭和33年)1月1日 杉戸工場(工事区)別職場制を廃止。
  • 1959年(昭和34年)4月 電気機関車の一括修繕を開始。
  • 1960年(昭和35年)貨車の修繕能力向上のため工場を拡張。
  • 1965年(昭和40年)気動車(キハ2000形)の修繕を開始。
  • 1970年(昭和45年)西新井工場から一部の電車の検修を移管し開始。
  • 1983年(昭和58年)貨車修繕を館林検車区に移管。
  • 1987年(昭和62年)杉戸機関区廃止、所属電気機関車は全て館林機関区へ移管。
  • 2004年平成16年)3月11日[1] - 8000系8525編成の2両編成が杉戸工場を最終出場[1]。同編成の前面には「さようなら杉戸工場1945-2004」記念のヘッドマークが取り付けられた[1]
  • 2004年(平成16年)3月31日 - 南栗橋車両管理区(当時)南栗橋工場に統合され、閉鎖[1]

担当車両

  • 東武の電気機関車・貨車全形式
  • クエ7000形(7001・7002の両車担当)
  • モニ1473
  • キハ2000形
  • 3000系(主に3050・70系や西新井工場で検査していた3000系の2・4両固定を当工場に移管し担当)
  • 5000系(主に5000・5050系を担当)
  • 5700系
  • 6050系(平成4年までに西新井工場より移管)
  • 7300系
  • 8000系(主に2・4両固定を担当、東上線所属車も一部含む)

脚注

  1. ^ a b c d e f 交友社「鉄道ファン」2004年7月号CAR INFO「東武鉄道の話題」p.129。