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平林久和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

平林 久和(ひらばやし ひさかず、1962年11月24日 - )は、日本の実業家。株式会社インターラクト代表取締役社長。

人物

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神奈川県出身。神奈川県立小田原高等学校卒、青山学院大学経済学部卒。 1991年に独立・会社設立以降、ライタージャーナリストとして活動。

スタイリスト/ファッション・コーディネーターの河井真奈は妻、フジテレビの映画プロデューサーである河井真也は義弟である。

来歴

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1985年、株式会社JICC(現・宝島社)に入社。ゲーム雑誌ファミコン必勝本』編集部に所属し、当時では珍しかった産業ニュースのコーナーをつくり一人で取材・執筆を担当。ベニー松山が著した『小説ウィザードリィ 隣り合わせの灰と青春』の連載と単行本の担当者でもあり、ゲームソフトのノベライズの先鞭をつけた。

1991年に独立して株式会社インターラクトを設立、代表取締役に就任する。

1994年日本工業新聞で新聞史上初のゲームコラムの日刊連載を開始。ジャーナリストとして雑誌、新聞などの記事の執筆をする一方で、ゲームソフトメーカー・出版社・広告代理店・教育機関・法律事務所、各種公共機関向けのアナリストレポートの執筆、テレビゲーム関連企業向けのアドバイザー業務、人材開発プログラムの開発、各種講演活動などを行っている。

2000年にはゲームソフト売上の定量分析を行うシンクタンク・株式会社ディータンクを設立、取締役に就任(現職)。

2007年セタ2009年に倒産し現存せず。)取締役を経て7月より社長に就任、2008年に同社代表取締役を退任した。

2012年、合同会社ヘルプボタン(HelpButton.LLC)をコピーライター・クリエイティブディレクターの小霜和也、株式会社kazepro代表の戸練直木と設立する。

水口哲也と平林久和の東京ゲームラウンジ」というインターネットラジオ番組を2年余り担当していた。株式会社マリーガル・マネジメント社の契約プロデューサーとして『DT』などに関わっていたこともある。西洋美術史に精通し、CGを学ぶ学生に講義を行っている。

財団法人デジタルコンテンツ協会『デジタルコンテンツ白書』編集委員を務める。

誤報

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2012年3月31日、Googleスクウェア・エニックスのコラボ企画『ファミコン版 Google マップ 8 ビット』について、コピーライト表記がされているにもかかわらず、スクウェア・エニックス未許可と誤認し「業績がいい企業が歴史に傷をつけているようで、侮蔑的」と批判している。[1]

2012年8月31日、週プレニュースサイト内のインタビューにおいて、ドラゴンクエスト10のゲーム内容について「発売初日からサーバーがダウンしました」「モンスターとのバトル中に別プレイヤーに割り込まれ、経験値を奪われる」など、実際のゲームには含まれない内容をもって批判を展開し、インターネット上で強く非難された。[2]

平林当人は自分にも一部非があるものの、執筆したライターに責任があると弁明している。[3]

著作リスト

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  • ゲームクリエイター&ゲーム会社就職志望者のためのゲーム業界就職読本(1992年2001年度版、アスキー
  • 本当に面白いゲームソフト(ぴあ)
  • 新世代ゲームビジネス(日経BP社
  • ゲームの大學(メディアファクトリー)
  • ゲームの時事問題(アスペクト
  • ビジネス人生論 なぜ、泣ける男は成功できるのか?(誠文堂新光社

脚注

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外部リンク

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