平出修
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平出 修(ひらいで しゅう、1878年(明治11年)4月3日 - 1914年(大正3年)3月17日)は、日本の小説家・作家・歌人・弁護士。幸徳事件(大逆事件)で弁護人をつとめた。
来歴
新潟県中蒲原郡石山村(現 新潟県新潟市)に庄屋の8男として生まれる。1903年(明治36年)に明治法律学校(現在の明治大学)を卒業し、判事検事登用試験に合格し司法官試補に任ぜられるも、翌1904年(明治37年)これを辞し弁護士登録。翌1905年(明治38年)神田区北神保町にて独立開業する。石川啄木と親交をむすぶ。1910年(明治43年)12月14日、与謝野鉄幹とともに森鴎外の饗応を受けており、また、その鴎外から一週間にわたって無政府主義と社会主義に関する講義を受けたと伝えられている[1]。
2006年現在、生家跡には平出修 生誕の地として記念石碑が建てられている。
著作史料
脚注
参考文献
- 重松泰雄『講座 森鴎外』第二巻、新曜社、平川祐弘ほか編、1997年。
- 平出彬『平出修伝』春秋社、1988年。 ISBN 4-393-44713-1
- 平出修研究会編『平出修とその時代』(『以文選書』27)、教育出版センター、1985年。 ISBN 4-7632-1489-6
- 平出修研究会編『大逆事件に挑んだロマンチスト-平出修の位相』同時代社、1995年。 ISBN 4-88683-323-3