山田正弘
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山田 正弘(やまだ まさひろ、本名:梅原正弘、1931年2月26日 - 2005年8月10日)は、日本の詩人、脚本家。初期ウルトラシリーズの要となった脚本家。日本放送作家協会総代、現代詩の会所属。
概略
東京都出身。文化学院文学部卒業。詩誌「氾」(1954年)の創刊に参加。その後、月刊詩誌「現代詩」や「詩学」などで、堀川正美、水橋晋、三木卓らと社会派として活躍。
1959年石原慎太郎の企画・監修によるオムニバス形式のミステリードラマシリーズ「慎太郎ミステリー 暗闇の声」で脚本家デビュー(大山勝美:監督作品)。その後「鏡子の家」TBSの大山勝美演出ドラマの脚本を担当。「ウルトラQ」「ウルトラマン」「中学生日記」など多数の作品を手がける。快獣ブースカは山田が書いた「カネゴンの繭」を下敷きに企画製作された。
自身が「ウルトラQ」で脚本を書いたパゴスに愛着があり実現はしなかったものの「ウルトラマン」の9話及び「ウルトラセブン」の32話でもパゴスが登場する脚本を書こうとしていた。「ウルトラマンマックス」の32話にパゴスが登場するはずだったのがゲロンガに変更されたのは「パゴスの脚本を書いた山田さんが亡くなったので勝手に出す訳にはいかない」と制作スタッフが判断したためである。
1967年「炎と女」で映画脚本デビュー。吉田喜重監督とのコンビで、アナキスト大杉栄を描きシドニー国際映画祭南十字星賞を受賞した映画「エロス+虐殺」や「煉獄エロイカ」「告白的女優論」などの脚本を執筆。
主な作品
テレビ
- 慎太郎ミステリー 暗闇の声(1959年〜1960年)
- そして三人が…
- だれ?
- いつも木の陰にいる
- 落ちる
- 大尉は、いつ帰る
- 吹雪
- 私は何を飼ってたか
- スペードの女王
- 爆破
- 遙かなる旅路
- 貴方は、あした
- 夢みるなかれ
- 晩い夏に
- 陽はまたのぼる(日立劇場)
- 殺人キッド(日立劇場)
- いま生きている(プラチナサスペンス)(1961年)
- ダイヤル110番(1957年 - 1964年)
- 月曜日の男(1961年 - 1964年)
- 果てしなく(1961年)
- 鏡子の家(1962年)
- 近鉄金曜劇場
- 倒産(1963年)
- 逃げろ
- 剣(1964年)
- 七人の孫(1964年)
- 石の話
- ウルトラQ(1966年)
- ウルトラマン(1966年)
- 快獣ブースカ(1966年)
- マイティジャック(1967年)
- ウルトラセブン(1967年)
- ジキルとハイド(1969年。ただし放映されたのは1973年)
- おれは男だ!(1971年 - 1972年)
- NHK連続ドラマ
- 白鳥の歌なんか聞こえない(1972年)
- ウルトラマンA(1972年)
- 七人の刑事
- 子連れ狼(1973年 - 1976年)
- 中学生日記(1973年 - 1986年)
- 新宿さすらい節(金曜ドラマ)(1974年)
- ふりむくな鶴吉(1974年 - 1975年)
- はぐれ刑事(1975年)
- 太陽にほえろ
- いろはの"い"(1976年)
- 大都会 PARTII(1977年 - 1978年)
- 日本の戦後(1977年 - 1978年)
- 大追跡(1978年)
- ベルサイユのばら(アニメ)(1979年 - 1980年)
- ピーマン白書(1980年)
- 銀河テレビ小説
- 女の顔(1976年)
- 昭和の青春シリーズ4 早春の光(1977年)
- 陽炎の女(1980年)
- いけずごっこ(1984年)
- 下町探偵局(1984年)
- 少年ドラマシリーズ
- ドラマ人間模様
- ぼくは12歳(1979年)
- 火曜サスペンス劇場
- 花は見ていた(1971年)
- 不在証明(1991年)
- 見知らぬ殺意(1984年)
- 消えた郵便配達人(1985年)
- 取調室(1994年~1995年)
- 土曜ワイド劇場
- 松本清張の駅路(1982年)
- 閃光の遺産(1977年)
- 傑作推理劇場 妻よ安らかに眠れ(1982年)
- ドラマチック22(1989年 - 1991年)
- 恵子! ゴールが見えるよ… (1990年)
- ウルトラQ dark fantasy(2004年)
映画
未使用シナリオ
- ウルトラQ
- 豪華船SOS
- ウルトラセブン
- 黄金の種子
ラジオ
- ウルトラQ倶楽部
- 遥かなるペテルブルグ
- ジュールとジム
舞台・原作
- 静(2003年)
書籍
- 私が遭遇した都会(まち)の幽霊
- 中学生日記
- 明日がある —友情
- ふれあいを求めて —友情
- 母たちの戦い —いじめを考える
脚註
- ^ 山田正弘氏死去 脚本家 共同通信 47News 2005年8月15日閲覧