コンテンツにスキップ

山本浩靖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本 浩靖
名前
カタカナ ヤマモト ヒロヤス
ラテン文字 YAMAMOTO Hiroyasu
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1958-03-26) 1958年3月26日(66歳)
出身地 大阪府
身長 170cm[1]
体重 62kg[1]
選手情報
ポジション FW[1]
ユース
1976-1979 大阪商業大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1987 松下電器
監督歴
1996-1997 松下電器LSCバンビーナ
1. 国内リーグ戦に限る。2019年10月17日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

山本 浩靖(やまもと ひろやす、1958年3月26日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションフォワード

来歴

[編集]

1980年、創設間もない松下電器(現:ガンバ大阪)に入団。1985年日本サッカーリーグ(JSL)2部で得点王(9得点)となり、1部昇格に貢献。1987年に引退した。

引退後は松下電器のコーチに就任。その後は松下電器LSCバンビーナ(現スペランツァFC大阪高槻)のコーチと監督を歴任しつつ、1993年から1996年まで鈴木保監督のもとで日本女子代表コーチも兼任した。

1998年より、サテライトコーチに就任した上野山信行の後任としてG大阪の強化部長に、2009年からは強化本部長に就任した。山本は日本人選手では日本代表にも選出された選手を獲得するも、外国人選手に関しては活躍した選手は他のJリーグクラブで実績を残した選手がほとんどで、Jリーグ未経験で独自に獲得した外国人選手の大半は主力に定着せず1年ほどで退団するなど外国人選手の補強面ではあまり実績を挙げられなかった。

2012年、10年続いた西野朗体制に代わり監督にジョゼ・カルロス・セホーン、ヘッドコーチに呂比須ワグナーを招聘するも、開幕から公式戦5連敗と不振を極めたことで同年3月26日に山本は強化本部長の職を辞任した[2]。同日に解任されたセホーンの後任監督として松波正信が就任したが最後まで不振から脱することができず、前年3位からわずか1年でJ2降格となってしまった。

2014年、日本女子サッカーリーグINAC神戸レオネッサの取締役に就任した。肩書は取締役だが強化面も担当している。

2019年10月16日、京都サンガF.C.のクラブアドバイザー(非常勤)に就任すると発表された[3]

所属クラブ

[編集]

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1980 松下 奈良県2部
1981 奈良県1部
1982
1983 関西
1984 JSL2部 14 5 0 0
1985 19 9
1986-87 JSL1部 14 0
通算 日本 JSL1部 14 0
日本 JSL2部 33 14
日本 関西
日本 奈良県
日本 奈良県2部
総通算

指導歴

[編集]

監督成績

[編集]
年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 試合 勝点 勝利 引分 敗戦 Lリーグ杯 皇后杯
1996 L バンビーナ 5位 18 - 9 - 9 4位 ベスト8
1997 7位 18 - 7 - 11 3位 ベスト8

参考文献・脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 「'86~'87 日本リーグ1部名鑑」『イレブン』1986年12月号(日本スポーツ出版社)
  2. ^ “ガンバ大阪 コーチングスタッフの解任ならびに新コーチングスタッフ体制の発表 ならびに強化本部長の辞任について”. ガンバ大阪オフィシャルサイト. (2012年3月26日). オリジナルの2013年6月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130627125533/http://www.gamba-osaka.net/news/news_detail.php?id=3816 2012年3月26日閲覧。 
  3. ^ 山本浩靖氏 クラブアドバイザー就任のお知らせ』(プレスリリース)京都サンガF.C.、2019年10月16日https://www.sanga-fc.jp/news/p/14591/2019年10月17日閲覧 

関連項目

[編集]