山本冬郷
やまもと とうごう 山本 冬郷 | |
---|---|
山本冬郷(1906年) | |
本名 | 山本 鎌蔵 |
生年月日 | 1886年11月4日 |
没年月日 | 不詳年 |
出生地 | 日本・神奈川県横浜市 |
民族 | 日本人 |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1918年 - 1948年 |
山本 冬郷(やまもと とうごう、1886年11月4日 - 没年不明)は、日本の映画俳優である。本名、山本 鎌蔵[1]。
来歴・人物
神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学政治経済科を中退後渡米し、舞台や映画に出演。1920年、映画監督のマーシャル・ニーラン(en)に見いだされ、同年制作の『氷原の彼方に』にルイズ・ストーンの敵役として出演[1]。その他セシル・B・デミルの『人間苦』[2]やフランク・ロイドの映画『東洋の鬼娘』に出演する[3]。帰国後、1925年に設立した大東キネマで自ら監督・主演した『幻の帆船』を制作するが失敗[1]。松竹蒲田撮影所に入社して小津安二郎の『その夜の妻』、『お嬢さん』などに出演。1931年(昭和6年)、松竹を脱退した鈴木傳明、岡田時彦、高田稔と共に不二映画社に参加するがわずか2年で解散。その後は日活、新興キネマ、大映と所属を変えて映画出演を続けた。
最後の出演は1948年(昭和23年)の『エノケンのホームラン王』[1]。没年は不明である[1]。
おもなフィルモグラフィ
アメリカ映画
- 『氷原の彼方に』 The River's End 1920年 監督 : マーシャル・ニーラン
- 『人間苦』 Something to Think About 1920年 監督 : セシル・B・デミル
- 『東洋の鬼娘』 A Tale of Two Worlds 1921年 監督 : フランク・ロイド
- 『血と肉』 Flesh and Blood 1922年 監督 : アーヴィング・カミングス
日本映画
- 『幻の帆船』1925年 監督・主演
- 『その夜の妻』1930年 監督 : 小津安二郎
- 『お嬢さん』1930年 監督 : 小津安二郎
- 『栄冠涙あり』1931年 監督 : 鈴木重吉
- 『月形半平太』1933年 監督 : 伊藤大輔
- 『盤嶽の一生』1933年 監督 : 山中貞雄
- 『鞍馬天狗横浜に現る』1942年 監督 : 伊藤大輔
- 『決闘般若坂』1943年
- 『二死満塁』1946年 監督 : 田口哲
- 『エノケンのホームラン王』1948年 監督 : 渡辺邦男
脚注
外部リンク
- 山本冬郷 - 日本映画データベース
- Togo Yamamoto - IMDb(英語)
- 山本冬郷 - キネマ旬報映画データベース