尾上卯多五郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。いいすく (会話 | 投稿記録) による 2016年3月10日 (木) 08:15個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

おのうえ うたごろう
尾上 卯多五郎
本名 山田 卯吉 (やまだ うきち)
生年月日 (1875-01-01) 1875年1月1日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 大阪府大阪市
職業 俳優
ジャンル 歌舞伎劇映画時代劇剣戟映画サイレント映画
活動期間 1880年代 - 1934年
事務所 日活京都撮影所
テンプレートを表示

尾上 卯多五郎(おのうえ うたごろう、1875年1月1日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5][6]。本名山田 卯吉(やまだ うきち)[1][2]尾上 宇多五郎尾上 卯太五郎と表記に揺れがある[3]。歌舞伎から剣戟映画に満44歳で転向し、還暦を迎えるまで日活京都撮影所に所属した[1][2]

人物・来歴

1875年明治8年)1月1日大阪府大阪市に生まれる[1][2][3]

旧制・尋常小学校を卒業後、二代目尾上卯三郎の門下に入って歌舞伎役者になり、大阪の朝日座で初舞台を踏んだ[1][2]。1916年(大正5年)9月1日に公開された天然色活動写真製作・配給の映画『忍術三勇士』に出演した記録がある[3]。1919年(大正8年)、満44歳で日活京都撮影所(のちの日活大将軍撮影所、現存せず)に入社、映画俳優に転向する[1][2]。同撮影所のスター俳優・尾上松之助主演の映画に、老け役として多数の映画に出演した[1][2][3]。1924年(大正13年)8月1日に公開された池田富保監督の『鬼作左衛門の娘』、1925年(大正14年)2月8日に公開された公木之雄監督の『怪力八郎』、同年3月20日に公開された池田富保監督の『フラフラ豪傑』、同年5月29日に公開された築山光吉監督の『復讐と女』では主演もしている[3]。同年11月1日に公開された「尾上松之助主演千本記念映画」、池田富保監督の『荒木又右衛門』にも、渡辺靭負の役で出演した[3][6]。1926年(大正15年)9月11日、尾上松之助が死去した後も、引き続き同撮影所で脇役として出演を続けた[1][7]。1927年(昭和2年)秋には、撮影所が太秦に移転(のちの大映京都撮影所、現存せず)し、卯多五郎もともに移転して引き続き出演した[3]大久保彦左衛門役をやることが多く、『彦左の恋』(監督不明、1923年)、『忍術一夜大名』(監督高橋寿康、1926年)、『剣乱の森』(監督渡辺邦男、1928年)と3作を数えた[3]

1930年(昭和5年)3月14日に公開された伊丹万作監督の『春風の彼方へ』以降は、片岡千恵蔵プロダクション製作の作品に多く出演した[3]。1933年(昭和8年)6月1日に公開された池田富保監督の『楠正成』は、太秦発声映画の製作による、卯多五郎にとっての初のトーキーであった[3]。卯多五郎満59歳最後の日、翌日還暦の誕生日を迎える1934年(昭和8年)12月31日に公開された小石栄一監督のトーキー『斬風三尺剣』以降の出演記録が見当たらない[3][4][6]。脇役が多く、クレジットが記録に残らなかったものを含めると、出演作は数百に上るという[1]。満60歳の時点以降の消息は不明であり、没年不詳[1]

フィルモグラフィ

すべてクレジットは「出演」である[3][4]。公開日の右側には役名[3][4]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[5]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。

天活

すべて製作・配給は「天然色活動写真」、すべてサイレント映画である[3][4]

日活京都撮影所

特筆以外すべて製作は「日活京都撮影所」(大将軍)、すべての配給は「日活」である[3][4][6]。すべてサイレント映画である[3][4][6]

日活京都撮影所第一部

すべて製作は「日活京都撮影所第一部」(大将軍)、すべての配給は「日活」である[3][4][6]。すべてサイレント映画である[3][4][6]

  • 涙の捕縄』 : 監督築山光吉、1925年2月1日公開 - 松平伊豆守
  • 怪力八郎』 : 監督公木之雄、1925年2月8日公開 - 種田二郎左衛門国春後に船頭二郎兵衛(主演
  • 高阪甚内』 : 監督辻吉郎、1925年2月22日公開 - 老中忠之進
  • フラフラ豪傑』 : 監督池田富保、1925年3月20日公開 - 張子虎右衛門(主演
  • 復讐と女』 : 監督築山光吉、1925年5月29日公開 - 筑紫太左衛門秋春(主演
  • 児來也』 : 監督池田富保、1925年7月14日公開 - 百姓 畑作
  • 原田甲斐』 : 監督築山光吉、1925年製作・公開 - 伊達安芸
  • 新撰組 後篇』 : 監督辻吉郎、1925年製作・日公開 - 目漏し浪人

日活大将軍撮影所

特筆以外すべて製作は「日活大将軍撮影所」、すべての配給は「日活」である[3][4][6]。すべてサイレント映画である[3][4][6]

日活太秦撮影所

すべて製作は「日活太秦撮影所」、すべての配給は「日活」である[3][4][6]。すべてサイレント映画である[3][4][6]

片岡千恵蔵プロダクション

特筆以外すべて製作は「片岡千恵蔵プロダクション」、すべての配給は「日活」である[3][4][6]。特筆以外すべてサイレント映画である[3][4][6]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j キネマ旬報社[1979], p.128.
  2. ^ a b c d e f g 尾上卯多五郎jlogos.com, エア、2013年1月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 尾上宇多五郎日本映画データベース、2013年1月17日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 尾上卯多五郎、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月17日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 尾上卯多五郎東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月17日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 尾上卯多五郎、日活データベース、日活、2013年1月17日閲覧。
  7. ^ 朝日日本歴史人物事典『尾上松之助』 - コトバンク、2013年1月17日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク

< * 尾上卯多五郎 - 映画データベース (東宝