天蚕糸

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天蚕糸(てんさんし)は、天蚕のからとった天然の繊維。萌黄色の独特の光沢を持ち、に比べて軽くて柔らかいのが特徴である。糸の中に空気が入っているために保温性が高い。また、染料が吸着しにくいために濃く染まらない性質を利用して、家蚕糸と混織し後染めすることで濃淡をつけることも行われている。

天蚕は日本台湾朝鮮半島中国に分布する絹糸虫である。鱗翅目ヤママユガ科に属する蛾の幼虫で、和名をヤママユと呼ぶ。

釣り糸や医療用縫合糸などに用いられるテグスは、漢字では天蚕糸と書くが、これはテグスサン(台湾の楓蚕(ふうさん)、日本の樟蚕(しょうさん、クスサン))のことをいう。

歴史

天蚕は、もともと全国の山野に自然の状態で生育している蚕で、古くは木の枝についている繭を集めてきて糸に紡いだ。人工飼育を歴史的に最初に始めたのは、長野県安曇野市有明地区であるとされている。

天蚕は家蚕に比べて史書に記録される機会が少なく、文政11年(1828年)に刊行された『山繭養法秘伝抄』などが存在するだけである。

有明の歴史

有明では、天明年間(1781年1789年)から天蚕飼育が始められた。周辺は穂高連峰の山麓につながる高原で、とともにクヌギナラなどが群生し、以前から多数の天蚕が自生していたのである。

享和年間(1801年1804年)になると、飼育林を設けて農家の副業として飼養され、文政年間(1818年1830年)には近郷の松本等の商人により繭が近畿地方へと運ばれ、広島名産の山繭織の原料にもなった。

嘉永年間(1848年1854年)頃には、糸繰りの技術も習得し、150万粒の繭が生産された。

明治20年(1887年)から明治30年が天蚕の全盛期で、山梨県北関東などの県外へ出張して天蚕飼育を行った。明治31年には有明村の過半数の農家が天蚕を飼育するに至る。面積3000haからの出作分を含めて800万粒の繭が生産され、天蚕飼育の黄金時代といわれた。

しかし、焼岳噴火の降灰による被害や、第二次世界大戦により出荷が途絶え、幻の糸になってしまった。昭和48年(1973年)に復活の機運が高まり、天蚕飼育が再開された。

天蚕の飼育

天蚕は家蚕のようにの木を育てる手間はないが、繊細な虫であり人工飼育するには細かな配慮がなされる。飼育場所として日当たりと水はけの良い、乾燥気味の場所が適している。放飼期前にホルマリン液で飼育場所を消毒し、病害虫から天蚕を守る必要がある。天蚕の病気には、微粒子病膿病軟化病硬化病などがあるが、とくに皮膚に黒い斑点の現れる微粒子病は経卵伝染する恐ろしい病気である。

天蚕の飼育には山飼いと桶飼いの二つの方法がある。山飼いは植栽した樹園を作って飼育するものであり、桶飼いは水を入れた容器に小枝を差して飼育する方法である。色が良く、繭層の厚いものが良い繭である。

製糸工程

一般的に以下の手順で行われる。

殺蛹
天蚕繭は、羽化するまで約40日あるが、生繭で繰り糸をする以外は、燻蒸などにより蛹を殺す。
貯蔵
風通しの良いところでカビの発生を防ぎながら保管する。
選繭
自然の中でつくられた繭は不揃いなので、繰り糸を容易にするために選繭し、不良の繭を取り除く。
煮繭
天蚕は、雨水などから中の蛹を保護するために蝋分を多く含んでいて水を通しにくくなっている。ある程度の時間をかけて煮ることによって、糸引きの過程での切断やもつれを防ぐ。
繰り糸
座繰り機などを用いて、鍋の湯で煮繭しながら糸口を求め、5~7粒の繭の糸を縒り合わせて一本の糸にする。天蚕繭の場合は、繭の構造から外層部を手で一皮めくって糸口を見つける方法をとらねばならない。
揚げ返し
小枠に巻き取られた天蚕糸を大枠に巻き替える工程。
仕上げ
大枠から外して二つ折りにして結束する。

天蚕繭の製糸は、家蚕の繭に比べて解除率が悪いので、どうしても作業効率が悪くなる。

中国の養蚕状況

中国では柞蚕(さくさん)と樟蚕およびひま蚕の3種を利用している。

柞蚕はコナラクヌギカシワナラなどの葉を食して生育する。生育は春・夏の2季である。糸質は家蚕より幾分粗いが耐久力があり、衣料・カーテンパラシュートなどに利用される。三大産地は遼東半島山東丘陵河南省伏牛山地である。

樟蚕は江西省広東省広西省および台湾に産し、クスカエデで飼養される。樟蚕糸は強くて耐久性があるため釣り糸用として利用される。この釣り糸は魚には見えにくく、一般には上物といわれている。

ひま蚕の主要生産地は山東省河北省河南省安徽省広東省広西省であり、ヒマタピオカの葉を利用しての生産が進んでいる。

参考文献

  • 黄就順『現代中国地理 ―その自然と人間―』帝国書院、1981年。
  • 衛傑文・楊関坭・他編『現代中国地誌』古今書院、1988年。 ISBN 4-7722-1104-7
  • 日本工芸会近畿支部・編『工芸の博物誌 ―手わざを支える人ともの―』淡交社、2001年。