和田翔太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。まっしーおもいそい (会話 | 投稿記録) による 2022年1月30日 (日) 14:25個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

和田 翔太
名前
愛称 ワダショー
カタカナ ワダ ショウタ
ラテン文字 WADA Shota
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1984-06-10) 1984年6月10日(39歳)
出身地 東京都
身長 181cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム 日本の旗 SUGINAMI SC
ポジション GK
背番号 33
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

和田 翔太(わだ しょうた、1984年6月10日 - )は、東京都杉並区出身のプロサッカー選手、サッカー指導者。

ポジションはゴールキーパー

経歴

中学時代は地元杉並のジュニアユースチーム、昌大サッカークラブU-15に所属。

堀越高等学校卒業後、神奈川大学に進学するも3カ月で中退[1]。中退後は埼玉SCで1年間プレイしたのち九州サッカーリーグ(当時)のFC琉球に移った[1]が、正GKには野田恭平がおり出場機会は多くなかった。

2007年北信越フットボールリーグフェルヴォローザFCに所属したが経営難に陥った[2]ことから、同年8月にJFLのアルテ高崎に移った。その後は2008年グルージャ盛岡2009年ツエーゲン金沢と、移籍を繰り返し活躍の場を求めた。

2010年栃木ウーヴァFCへ移籍。

2013年タイ・ディヴィジョン1リーグTTMロッブリーFCに移籍。

2014年、タイ、リージョナルリーグ・ディヴィジョン2ホアヒン・シティFC英語版に移籍。

2017年、タイ・リーグ3 (T3)のシンブリー・バンラチャン FC英語版に移籍。選手兼任コーチとして契約した。

2019年ラオプレミアリーグマスター7FCに移籍する[3]と正ゴールキーパーとして活躍、クラブのリーグ戦2位とAFCカップ2020プレーオフ出場権の獲得に貢献した[4]

2021年ブルネイ・スーパーリーグのカスカFCに移籍[5]。シーズン終了後に帰国し、地元のSUGINAMI Selection Clubの選手兼任監督に就任[6]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2005 琉球 30 九州 0 0 - 0 0 0 0
2006 21 JFL 0 0 - 0 0 0 0
2007 石川・白山 1 北信越1部 2 0 - - 2 0
2007 高崎 JFL 2 0 - - 2 0
2008 G盛岡 東北1部 14 0 - 2 0 16 0
2009 金沢 22 北信越1部 0 0 - 0 0 0 0
2010 栃木U 1 JFL 21 0 - 1 0 22 0
2011 0 0 - 0 0 0 0
2012 12 0 - - 12 0
通算 日本 JFL 35 0 - 1 0 36 0
日本 東北1部 14 0 - 2 0 16 0
日本 北信越1部 2 0 - - 2 0
日本 九州 0 0 - 0 0 0 0
総通算 51 0 - 3 0 54 0

指導歴

  • 2021年10月 - SUGINAMI Selection Club 監督

出典

  1. ^ a b ワダショー / 和田翔太さんのプロフィールページ”. profile.ameba.jp. 2019年12月21日閲覧。
  2. ^ Sumiishi, Kazuki (2020年7月5日). “【アジア8年目】和田翔太が日本人GKとしてアジアで長く活躍できる理由”. ドバイとタイ拠点のサッカーエージェント会社 | GOAL. 2020年11月15日閲覧。
  3. ^ 和田翔太がマスター7FCと契約致しました”. アジアから世界に挑戦するトータルサッカービジネス会社 GOAL (2019年3月13日). 2019年12月21日閲覧。
  4. ^ https://twitter.com/manokoichi/status/1173063428312686593”. Twitter. 2020年10月14日閲覧。
  5. ^ https://twitter.com/gk_shota/status/1369966940152754181”. Twitter. 2021年3月12日閲覧。
  6. ^ 【監督就任のお知らせ】”. SUGINAMI Selection Club Facebookページ. 2022年1月30日閲覧。

関連項目

外部リンク