和気氏

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和気氏
氏姓 和気
のち和気真人
のち和気宿禰
のち和気朝臣
氏祖 鐸石別命
垂仁天皇皇子
種別 皇別
本貫 備前国和気郡
著名な人物 和気広虫
和気清麻呂
円珍
後裔 半井家地下家
駒井家地下家
藤木家地下家
小森家地下家
多田家地下家
清水家(地下家
兼田家地下家
小畠家地下家) など
凡例 / Category:氏

和気氏(わけうじ)は、「和気」をの名とする氏族

備前国和気郡(古くは藤野郡と称した)を本拠とした豪族である。垂仁天皇皇子鐸石別命(ぬてしわけのみこと)を祖とすると伝えられる。「別氏」とも書く。(かばね)は(きみ)から真人(まひと)、宿禰などを経て774年宝亀5年)に朝臣の姓が与えられた。



概要

奈良時代和気広虫出家して法均尼と号する)と弟の和気清麻呂が僧道鏡に対する宇佐八幡宮神託に関する事件で功があって朝廷に進出し、藤野別真人から和気朝臣の氏姓が与えられた。清麻呂の子広世などは学者として朝廷に仕え、広世は和気氏出身者のための大学別曹弘文院を設置している[1]。 和気氏の一門からは源氏棟梁 源頼義に仕えた和気致輔が出るなど、武士となった者も現れた。

和気氏の家系は医家として仕え、戦国時代から江戸時代にかけて代々宮廷医官をつとめた医家半井家(なからいけ)は和気氏の子孫とされる[2]

関連項目

脚注

  1. ^ ただし、久木幸男は弘文院が大学別曹の条件と矛盾する要素を有しており、大学別曹ではなく図書館であったとする説を唱えている。久木『日本古代学校の研究』(1990年玉川大学出版部)
  2. ^ 難波恒雄「日本における本草の歴史と民族薬物学」『和漢医薬学雑誌』1997年、14巻、p72