千早 (通報艦)
艦歴 | |
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計画: | 1896年度計画 |
起工: | 1898年5月7日 |
進水: | 1900年5月26日 |
就役: | 1901年9月9日 |
除籍: | 1928年9月1日雑役船編入 |
廃船: | 1939年7月25日 |
性能諸元 | |
排水量: | 常備:1,238t |
全長: | 垂線間長:83.19m |
全幅: | 9.63m |
吃水: | 3.35m |
機関: | レシプロ蒸気機関2軸 6,000馬力 |
燃料: | 石炭344t |
最大速: | 21.0kt |
兵員: | 125名 |
兵装: | 12cm砲2基 8cm砲4基 魚雷発射管2門 |
千早(ちはや)は、日本海軍の通報艦。艦名は歌枕の「千早振る」、大阪府所在の「千早城」にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。
艦歴
1898年に横須賀造船廠で起工し、1901年に竣工、通報艦に類別された。
日露戦争に際しては、旅順攻略作戦、黄海海戦、日本海海戦等に参加。1912年8月28日、一等砲艦に類別を変更した。
第一次世界大戦では、1916年、南洋諸島警備に従事した。1918年から1923年にかけて、シベリア出兵に伴い沿海州沿岸の警備に従事した。
1928年5月から10月にかけて横須賀工廠で練習艦設備の工事を実施し、9月1日に除籍され雑役船に編入、練習船に指定され海軍兵学校で使用された。1939年7月25日に廃船となり、のちに売却された。
艦長
- 舟越楫四郎 中佐:1908年12月10日 - 1909年7月10日
- 山岡豊一 中佐:1910年3月19日 - 12月1日
- 原敢二郎 中佐:1918年12月1日 - 1919年6月4日
- 枝原百合一 中佐:1922年3月15日 - 11月20日