六道珍皇寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。㭍月例祭 (会話 | 投稿記録) による 2016年1月25日 (月) 16:51個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (+link)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

六道珍皇寺
所在地 京都府京都市東山区大和大路通四条下ル4丁目小松町595
位置 北緯34度59分54.42秒 東経135度46分30.79秒 / 北緯34.9984500度 東経135.7752194度 / 34.9984500; 135.7752194 (六道珍皇寺)座標: 北緯34度59分54.42秒 東経135度46分30.79秒 / 北緯34.9984500度 東経135.7752194度 / 34.9984500; 135.7752194 (六道珍皇寺)
山号 大椿山
宗派 臨済宗建仁寺派
本尊 薬師如来
創建年 伝・承和年間(834年848年
開基 伝・山代淡海
中興年 室町時代
中興 聞渓良聡
別称 珍皇寺、宝皇寺、鳥部寺、念仏寺、愛宕寺、六道さん
文化財 木造薬師如来坐像(国の重要文化財)
法人番号 9130005001261 ウィキデータを編集
テンプレートを表示
小野篁冥土通いの井戸(入口、左奥)

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は大椿山。本尊は薬師如来8月7-10日六道詣り小野篁冥界に通ったと伝わる井戸(寺宝展等の特別公開時を除き非公開)で知られる。通称:六道さん。この付近が「六道の辻」であるとされる。

歴史

この寺の所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。「六道の辻」は五条通(現在の松原通)沿いの六道珍皇寺門前やその西方の西福寺付近とされている[1]

創建は延暦年間(782年〜805年)とされ、開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊とされるが、異説として空海(「叡山記録」ほか)や小野篁伊呂波字類抄今昔物語集[2]などとする説のほか、かつてこの地に住した豪族鳥部氏の氏寺(鳥部寺、宝皇寺)がその前身であるともいう[3]東寺百合文書の「山城国珍皇寺領坪付案」という文書(長保4年・1002年)には、珍皇寺は承和3年(836年)に山代淡海が創建したとある[4]藤原道長の日記『御堂関白記』寛弘元年(1004年)3月12日条にある「珎光寺」は珍皇寺を指すとみなされる。近世の地誌類には「珍篁寺」と書かれることもあり、寺号は本来「ちんのうじ」ではなく「ちんこうじ」と読まれていたと考えられている[4]。珍皇寺には念仏寺、愛宕寺(おたぎでら)などの別称もあり、『伊呂波字類抄』『山城名跡巡行志』は、珍皇寺の別名を愛宕寺とするが、愛宕寺が珍皇寺と念仏寺に分かれたともいう[5]。東山区松原通大和大路東入る弓矢町(珍皇寺の西方)には念仏寺という寺があったが、大正年間に右京区嵯峨鳥居本に移転した(愛宕念仏寺の項を参照)。

鎌倉時代までは東寺の末寺として多くの寺領と伽藍を有したが、南北朝時代以降、寺領の多くが建仁寺の所有に転じたことと戦乱により衰退し[2][6]、中世後期の寺史はあきらかではない。貞治3年(1364年)、建仁寺から聞溪良聰が入寺して再興、この際に臨済宗に改められた[2]明治に入り一時建仁寺に併合された時期もあったが、1910年(明治43年)に独立した。

伽藍

文化財

珍皇寺参詣曼荼羅(部分)

重要文化財

  • 木造薬師如来坐像

京都府指定歴史資料

  • 珍皇寺参詣曼荼羅 1幅- 法量縦206.8×横176.3センチメートル、紙本著色掛幅装。京都府指定歴史資料(1997年〈平成9年〉3月14日指定)[7]。珍皇寺最大の行事であり、広く民衆の信仰を集めた精霊迎えの様子を描く。図中には多数の人物が描かれるが、参詣曼荼羅の通例である二人連れでの描写ではなく、個々に独立した人物として描かれる傾向があるだけでなく、人物像や人物像ごとの筆致の精粗の差が目立つといった特色がある。画風や女性人物の表現から桃山時代と推定され、南北朝時代以後に衰退し、中世後期以降の寺史が明らかではない本寺の桃山時代の姿や祭礼の姿を描いている点で貴重な歴史資料である[8]

六道詣り

お盆に祖先の霊を迎えに詣る。参道でコウヤマキを購入、水塔婆に戒名を書いて頂き、清め、迎え鐘を衝く。

所在地・交通アクセス

周辺

脚注

  1. ^ 松崎 憲三、1989、「閻魔信仰の系譜日本人の地獄・極楽観についての覚書」、『日本常民文化紀要』、成城大学、NAID 110000303730 p. 7
  2. ^ a b c 六道珍皇寺略縁起”. 六道珍皇寺. 2015年7月16日閲覧。
  3. ^ 『仏像めぐりの旅 4 京都(洛中・東山)』(毎日新聞社、1993)、p.126
  4. ^ a b 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、p.229
  5. ^ 『国史大辞典』の「珍皇寺」の項
  6. ^ 地主[1998]
  7. ^ 京都府指定・登録等文化財”. 京都府教育庁. 2015年2月16日閲覧。
  8. ^ この段落、地主[1998]による。

参考文献

  • 地主 智彦、1998、「珍皇寺参詣曼荼羅」、『京都の文化財』(第15集)、京都府教育委員会 p. 30
  • 『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社、1979
  • 『国史大辞典』第9巻、吉川弘文館(「珍皇寺」の項)

関連項目

関連項目