保坂正紀

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ほさか まさき
保坂 正紀
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 山梨県甲府市
生年月日 (1958-01-17) 1958年1月17日(66歳)
最終学歴 法政大学社会学部
勤務局 テレビ朝日
部署 報道局ニュース情報センター(2010年現在)
活動期間 1980年 - 1999年
担当番組・活動
出演経歴 本文参照
その他 高校生時代に山梨放送ラジオの番組(番組名等詳細不明)にレギュラー出演していた。

保坂 正紀(ほさか まさき、1958年1月17日[1] - )はテレビ朝日の元アナウンサー。1980年代に『ワールドプロレスリング』の実況を担当していたことで知られる。

来歴・人物

山梨県甲府市出身。山梨県立甲府第一高等学校[1]法政大学社会学部を卒業[1]し、1980年にテレビ朝日入社。同期には松苗慎一郎がいる。

小学生時代から放送部員[1]。高校生時代には地元の山梨放送ラジオの番組にレギュラー出演していたことがあった[1]。大学生時代にはアナウンス専門学校に通っていた[1]

ニュースからスポーツバラエティー番組で活躍し、1999年にアナウンス部から広報局に異動となりアナウンス職から離れた(広報局には同じくアナウンス部から異動となった川北桃子がいる)。2010年現在は報道局ニュース情報センターに在籍し、部長待遇で芸能文化デスクを務めている[2]

『ワールドプロレスリング』では、初代タイガーマスクの試合実況を数多く担当。リング上で展開される技に合わせて、タメを作るアナウンスメントを行っていたが、古舘伊知郎の「間」を空けずに実況し続ける個性的な実況に対し、保坂は「試合をジックリ見て欲しい」との考えから、タメを作っていた。古舘が番組を卒業し、番組が『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』にリニューアルした後の1987年4月から1年間はメイン実況を務めた。

2006年には所属は広報部のまま、古巣とも言える『ワールドプロレスリング』のオープニング・エンディングの提供ナレーションを担当した。

過去の担当番組

高校生時代

  • 山梨放送ラジオの番組(番組名等詳細不明)

テレビ朝日入社後

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f 河北新報 1984年3月11日 20面「登場」コーナー
  2. ^ ベースボール・マガジン社『初代タイガーマスク30Years 上巻』より。