不破関

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不破関跡
壬申の乱の時に大海人皇子が兜をかけたとされる兜掛石

不破関(ふわのせき)は、古代東山道関所である。

東海道鈴鹿関北陸道愛発関とともに、畿内を防御するために特に重視され、これを三関という。三関から東は東国または関東と呼ばれた。

歴史

  • 789年(延暦8年)、天皇・太上天皇の死や病などを契機として三関封鎖され、廃止される。非常時に関の封鎖を命じる「固関」(こげん)の儀式が江戸時代まで続いた。徳川幕府により東山道中山道として整備されたころと推測される。その以前から関所の機能はなくなっていた。

現在の状況

不破関資料館
  • 現在の岐阜県不破郡関ケ原町松尾が不破関の所在地である。岐阜県と関ケ原町の指定史跡[1][2]
  • 発掘の結果、藤古川揖斐川の支流である牧田川の支流の一つ)の左岸の自然の要害を利用した関所であり、北、東、南には土塁が設けられ、広さ12万m²に及ぶことが判明している。
  • 敷地の一角には不破関資料館が設置され、発掘された和同開珎や陶器が展示されている。

その他

  • 古くから和歌俳句などにも歌われている。
    • 「人住まぬ 不破の関屋の 板庇 あれにし後は ただ秋の風」(藤原良経
    • 「秋風や 藪の畠も 不破の関」(松尾芭蕉

などがある。

脚注

  1. ^ 不破の関跡”. 岐阜市. 2012年8月4日閲覧。
  2. ^ 関ケ原町の文化財”. 関ケ原町. 2012年8月4日閲覧。

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度21分32秒 東経136度27分30秒 / 北緯35.358969度 東経136.458461度 / 35.358969; 136.458461