下内田
下内田 | |
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国 | 日本 |
都道府県 | 静岡県 |
市町村 | 菊川市 |
人口 | |
• 合計 | 909人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
439-0034 |
下内田(しもうちだ)は、静岡県菊川市の大字。2010年10月1日現在の人口は909人[1]。郵便番号439-0034。本項では1889年(明治22年)の町村制施行時に同区域に存在した下内田村(しもうちだむら)についても記す。
地理
菊川市中西部に位置する。東で菊川に面した田園地帯である。東で月岡・土橋・東横地・上平川、北で中内田・耳川、西で掛川市岩滑と隣接する。静岡県道79号吉田大東線、静岡県道386号小笠掛川線が下内田交差点で交差する。菊川市内田地区センター、菊川市立内田小学校が立地し、内田地区の中心となっている。
河川
歴史
しもうちだむら 下内田村 | |
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廃止日 | 1942年6月1日 |
廃止理由 |
新設合併 中内田村、下内田村 → 内田村 |
現在の自治体 | 菊川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 静岡県 |
郡 | 小笠郡 |
隣接自治体 | 中内田村、横地村、平田村、岩滑村 |
下内田村役場 | |
所在地 | 静岡県小笠郡下内田村 |
ウィキプロジェクト |
沿革
- 「旧高旧領取調帳」[2]の記載によると、明治初年時点で旗本太田氏・宮城氏、丹波篠山藩の相給であった。
- 1868年(慶応4年)5月24日 - 徳川宗家が駿河府中藩に転封。それにともない遠江国内で領地替えが行われ、府中藩の管轄となる。
- 1869年(明治2年)8月7日 - 府中藩が静岡藩に改称。
- 1871年(明治4年)
- 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により静岡県の管轄となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、近世からの下内田村が単独で自治体を形成し、城東郡下内田村が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡制の施行により所属郡が小笠郡に変更。
- 1942年(昭和17年)6月1日 - 中内田村と合併して内田村が発足。同日下内田村廃止。大字下内田となる。
- 1954年(昭和29年)1月1日 - 内田村が堀之内町・横地村・六郷村・加茂村と合併して菊川町が発足。
- 2005年(平成17年)1月17日 - 菊川町が小笠町と合併して菊川市が発足。
交通
バス
菊川市コミュニティバスの菊川西循環コースが地域内を通過している。また、しずてつジャストライン浜岡営業所の菊川浜岡線(菊川駅 - 浜岡営業所)上平川停留所が至近に所在する。
道路
施設
- 菊川市立内田小学校
- 菊川市内田地区センター
- 内田郷土資料館
- 上高田公会堂
- 太郎坊公会堂
- 稲荷部公会堂
- 高田区ひかり団地集会所
- 古川神社
- 矢多神社
- 日吉神社
- 文永寺
脚注
- ^ 平成22年国勢調査 小地域集計(人口等基本集計)-静岡県、2012年6月7日閲覧。
- ^ 旧高旧領取調帳データベース