一条通

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現在の一条戻橋

一条通(いちじょうどおり[1])は京都市の主要な東西の通りの一つ。平安京一条大路(いちじょうおおじ)にあたる。東端は烏丸通。西は右京区花園付近までだが、さらに西に延長して嵯峨野清凉寺(嵯峨釈迦堂)までを一条通と呼ぶこともある。また宇多野で分岐して周山街道にも通じている。

平安京の北端の通りであったが、平安中期以降は一条大路を越えて北へ市街地が拡大した。御所の北端の大路という位置付けは現在、その北側を走る今出川通が果たしている。現在は市中心部では一方通行の狭い通りである。堀川にかかる一条戻橋が有名である。

東一条通

東一条通、京都市左京区

東一条通(ひがしいちじょうどおり)は鴨川を挟んで一条通と中立売通の間に相当する位置にあり、西は川端通から東は吉田神社鳥居前まで。東大路通から東は吉田神社の参道であり、節分祭の折りになると露店でにぎわう。またこの区間の両側は京都大学吉田キャンパスであり、正門も東一条通に面している。4月の入学シーズンには京都大学の課外活動へ勧誘する立て看板が林立する。

吉田参道は幕末期に現在の京大吉田キャンパス(本部構内)に尾張藩下屋敷が置かれた(これにより荒神口を起点として東北に延びる志賀越道が中断された)時、吉田神社により春日造の社殿へと続く参道として整備されたものである(従来の参道は神社内の太元宮に至る南側の道であった)。明治時代終期から大正時代初期に掛けての京都市三大事業として鴨川対岸から架橋のうえ東一条通を拡築するとともに市電を敷設する計画があり、拡幅工事が途中まで実施されたが結局のところ実現しなかった。東一条通が川端通から鞠小路通までの区間でやや広い幅員になっているのはこの時の名残である。

2017年より、東大路通から京都大学正門までの約70mの区間で、通信ケーブルを直接地中に埋める電線類地中化の実験が行われている[2]

交差する道路

  • ここでは、市中心部の一方通行の狭い通りについては記述しない。
  • 上側が東側、下側が西側。左側が北側、右側が南側。
交差する道路 交差する場所 路線番号
市道181号京都環状線
<西大路通>
北区 西大路一条 府道101号
<馬代通> 馬代一条
市道183号衣笠宇多野線
<きぬかけの路>
金閣寺方面
府道130号花園停車場御室線 右京区 仁和寺
府道101号
市道183号
国道162号
<周山街道>
福王子
府道29号
<山越通> 一条山越通
府道136号大覚寺平岡線 - 大覚寺門前
<清滝道> 府道29号宇多野嵐山山田線
<清滝道>
- 府道29号宇多野嵐山山田線
長辻通>
嵯峨釈迦堂
府道50号京都日吉美山線

脚注

  1. ^ 京都市内の通りの名称は「通」となっていて「り」を送らない。例外として道路標識では「通り」として送る表記を採用しているが、印刷資料で送るものは極めて珍しい。京都市内の通り#表記の差異参照
  2. ^ 電柱なくそう 「そのまま埋めちゃう」新工法の効果は?”. 京都新聞 (2018年11月4日). 2018年11月4日閲覧。

関連項目

京都市内の東西の通り
西は
右京区花園
まで
北隣の通り:今出川通笹屋町通武者小路通 東は
烏丸通
まで
一条通
南隣の通り:中立売通