ロレンソ・バルセラータ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロレンソ・バルセラータ
Lorenzo Barcelata
出生名 Lorenzo Barcelata Castro
出身地 1898年7月24日
メキシコの旗 メキシコベラクルス
死没 (1943-07-13) 1943年7月13日(44歳没)
メキシコの旗 メキシコメキシコシティ
職業 作曲家、俳優

ロレンソ・バルセラータスペイン語: Lorenzo Barcelata, 1898年7月24日 - 1943年7月13日)は、メキシコベラクルス生まれの作曲家俳優

人物[編集]

音楽を好んだ家庭に生まれた。14歳の時に"Arroyito"という題の曲を作曲した。のちにタンピコへ転居し、そこで作曲家のエルネスト・コルタサルスペイン語版とともに"クアルテート・タマウリペコ(Cuarteto Tamaulipeco)"というカルテットを結成した。

彼らの名声は国中に広まり、メキシコ政府がキューバに演奏旅行に送り出すと、国際的な名声を得た。その際に彼らは52週間のアメリカ合衆国での演奏旅行の契約を結んだ。メンバーの二人が自動車事故で重体になると、バルセラータはメキシコに帰国した。彼の名声は高まっていたので、彼はカルテットを再結成した。

1932年に入ると、メキシコの映画産業にも進出し、亡くなるまでメキシコでの著名な映画音楽家であった。いくつかの映画には俳優として出演している。

彼のもっとも有名な作品は「マリア・エレーナ("María Elena")」で、これはメキシコのエミリオ・ポルテス・ヒル英語版大統領の妻のために作曲された。「マリア・エレーナ」は同名の映画にもなっている。そのヴァージョンはまたアメリカ合衆国の映画ボーダータウン英語版サウンドトラックにも含まれている。それはのちに、英語に訳され、ローレンス・ウェルク英語版 オーケストラによって演奏された。もう一つの英語版はジミー・ドーシー英語版によってレコードになった。ドーシー版は1941年のチャート1位となった。

ウェイン・キング英語版はまた英語版のレコードを出しており、これは6月14日の週にドーシー版の次の2位につけた。トニー・パスター英語版によるヴォーカル版はその月のトップ10につけた。以来「マリア・エレーナ」は複数の異なる音楽家によって国際的にレコード化されてきた。1958年、ブラジルLos Indios Tabajarasがレコード化し、ラテンアメリカ一円で人気を博し、のちに1962年のアメリカ合衆国のチャートでは6位につけた。

「マリア・エレーナ」の人気はバルセラータにアメリカへの演奏旅行の機会を再びもたらした。メキシコに帰国するとラジオ番組の制作の調整がなされたが、コレラに罹患し、録音開始前の1943年7月13日に死去した。

生涯で214の楽曲を残しており、それにはPor ti aprendí a quererEl Cascabelがある[1]

"El Cascabel"のレコードは ボイジャーのゴールデンレコードの中におさめられた「地球の音」の一つになった。このバージョンはマリアッチのための編曲がAntonio Maciel y Las Aguilillasとマリアッチ「エル・マリアッチ・メヒコ・デ・ペペ・ヴィッラ(El Mariachi México de Pepe Villa)」によって演奏されたものである[2]

"El Cascabel"は、日本の人気テレビドラマ『踊る大捜査線』のメインテーマ「RHYTHM AND POLICE」の原曲となった[3][リンク切れ]

関連項目[編集]

注釈[編集]