リヴォン・ヘルム

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リヴォン・ヘルム
リヴォン・ヘルム (2004年)
基本情報
出生名 Mark Levon Helm
生誕 (1940-05-26) 1940年5月26日
米国アーカンソー州、マーヴェル
死没 (2012-04-19) 2012年4月19日(71歳没)
米国ニューヨーク州、ニューヨーク
ジャンル ロック
R&B
ブルース
フォーク
職業 歌手
ミュージシャン
俳優
担当楽器 ドラムス
マンドリン
ギター
ベースギター
ハーモニカ
活動期間 1957年 - 2012年
レーベル キャピトル・レコード
モービル・フィデリティ
MCAレコード
ウッドストック・レコード
リヴォン・ヘルム・スタジオ
ヴァンガード・レコード
共同作業者 ホークス、ザ・バンド、RCOオールスターズなど
公式サイト LevonHelm.com
演奏するレヴォン・ヘルム マンドリンの名手でもあった。(1971年)

リヴォン・ヘルム (Levon Helm, 1940年5月26日 - 2012年4月19日) は、アメリカ合衆国出身のミュージシャンザ・バンドのメンバーとして知られる。オリジナル・メンバー5人中、唯一のアメリカ人である。

ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第91位[1]

来歴

初期

1940年、リヴォンは農家の4人兄弟の2人目の子供としてアーカンソー州に生まれた。ドラマーとしての印象が強い彼だが、最初に手にした楽器は9歳のときに父親が与えたギターであった[2]

10代の頃、エルヴィス・プレスリージョニー・キャッシュといったアーティストのライブに接しロックンロールに興味を持つようになった[3]。高校在学時にロックバンドを組んでドラムスを真剣に始める。

1957年、高校を卒業するとロニー・ホーキンズのバンド、ホークスに加入する[2]。1959年、ロニーが拠点をカナダに移すと、ヘルム以外のバンドのメンバーは脱退し、かわりに現地で新たなカナダ人のメンバー4人が加わった。この新生ホークスがのちのザ・バンドとなる。

ザ・バンド

詳しくは、記事「ザ・バンド」を参照のこと

ヘルムにロビー・ロバートソンリチャード・マニュエルリック・ダンコガース・ハドソンを加えた新生ホークスは、1965年、ボブ・ディランのバック・バンドに抜擢され、ディランとともにツアー活動を行う。ツアー途中、旧来のフォークファンのブーイングに嫌気が差し、一時グループを離れたが、のち復帰。

1968年には、名称をザ・バンドに変更し、同年『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でアルバム・デビューを果たした。生まれ育った南部の土着の音楽であるブルースやフォークに通じ、メンバーのまとめ役として重きを成した。主としてドラムスとヴォーカルを担当したが、マンドリンをもこなし、その泥臭くも堅実な音楽性はバンドのサウンドに欠かせないものであった。

1976年、映画にもなったラスト・コンサート、「ラスト・ワルツ」とアルバム『アイランド』を最後に解散。

ソロ活動とザ・バンド再結成

ザ・バンド解散後、ヘルムは、ドクター・ジョンポール・バターフィールドスティーヴ・クロッパードナルド・ダック・ダンらとRCOオール・スターズを結成し、ソロ活動をするようになった。

1983年、ザ・バンドはロバートソン抜きの4人で再結成をし、ツアーを開始した。ヘルムは再結成後も一貫してメンバーとして活動する。アルバムも1993年の「ジェリコ」をはじめ3枚リリースするものの、1999年にリック・ダンコが死去したことに伴いザ・バンドとしての活動は休止状態となった。

1993年、ヘルムはザ・バンドについて綴った「This Wheel's on Fire: Levon Helm and the Story of the Band(邦題『ザ・バンド 軌跡(音楽之友社』)」を出版した。この中で、ヘルムはザ・バンド解散をロビー・ロバートソンの責任とするなど彼への批判を前面に押し出しており、両者の軋轢が表面化することとなった[4]

1996年にヘルムは喉頭ガンと診断され、以後歌うことは困難になっていったが、ミュージシャンとしての活動は続け、ドラムス、マンドリン、ハーモニカなどを演奏し続けた[2]

その後彼の声は奇跡的とも言える回復を見せ、2007年には久々のスタジオ・ソロ作「Dirt Farmer」で元気な歌声を聴かせている。尚このアルバムは2008年の第50回グラミー賞に於いて、ベスト・トラディショナル・フォーク・アルバムを受賞した。

2009年もウッドストックにある自身のスタジオにて、月に数度の「Midnight Ramble Sessions」と銘打つライブ活動を中心に活動した。

2010年には第52回グラミー賞に於いて、「Dirt Farmer」の続編とも言える「Electric Dirt」でBest Americana Albumを受賞した。

2012年4月19日、ニューヨークにあるメモリアル・スローン・ケタリング癌センターで死去[5]。71歳没。

俳優としての活動

ヘルムは俳優としての活動も活発であり、「エレクトリック・ミスト 霧の捜査線 (2009年)」、「ザ・シューター/極大射程 (2007年)」、「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬 (2005年)」、「沈黙の断崖(1997年)」、「ライトスタッフ (1983年)」、「歌え!ロレッタ愛のために (1980年)」など多数の映画に出演している[6]

ドラマーとしての特徴

リヴォン・ヘルムのドラムは、重心の低いどっしりとしたサウンドが特徴である。

一聴するとシンプルなビートでもスネアのゴーストノートを多用していることが多く、他に類を見ない独特のグルーヴを生み出す。

一般的なロックドラマーと比べて(奏法としての)クラッシュシンバルの使用頻度が低く、オープンハイハットをやかましく鳴らし続けるといったことも無いため、相対的にスネア、タム、キックが目立っている。

歌えるドラマーとしての評価も非常に高い。

長らくレギュラーグリップを用いたが、晩年はマッチドグリップを用いるようになった。リヴォン曰く「(手癖で)余計なことをやり過ぎてしまうことを防ぐため」。また、手への負担の軽減の目的もあったようだ。

ディスコグラフィ

  • 1977年 Levon Helm & the RCO All-Stars (Mobile Fidelity)
  • 1978年 Levon Helm (Mobile Fidelity)
  • 1980年 American Son (MCA)
  • 1982年 Levon Helm (Capitol)
  • 1998年 Levon Helm & The Crowmatix, Souvenir Vol. 1 (Woodstock)
  • 2006年 The Midnight Ramble Music Sessions, Vol. 1 (Levon Helm Studios)
  • 2006年 The Midnight Ramble Music Sessions, Vol. 2 (Levon Helm Studios)
  • 2006年 Live at the Palladium NYC, New Years Eve 1977 (Levon Helm Studios)
  • 2007年 Dirt Farmer (Vanguard)
  • 2009年 Electric Dirt (Dirt Farmer/Vanguard)

参考文献

  1. ^ Rolling Stone. “100 Greatest Singers: Levon Helm”. 2013年5月26日閲覧。
  2. ^ a b c http://www.levonhelm.com/biography.htm Archived 2012年5月9日, at the Wayback Machine.
  3. ^ Levon Helm - AllMusic
  4. ^ This Wheel's on Fire: Levon Helm and the Story of the Band (Chicago Review Press), ISBN 978-1556524059
  5. ^ Levon Helm dead at age 71 recordonline.com 2012年4月19日閲覧
  6. ^ http://www.imdb.com/name/nm0375629/

外部リンク