リワードウイング
リワードウイング | ||||||
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2007年6月17日 うらかわ優駿ビレッジAERU | ||||||
品種 | サラブレッド | |||||
性別 | 牝 | |||||
毛色 | 栗毛 | |||||
生誕 | 1982年4月26日 | |||||
死没 | 2008年1月15日(26歳没)[1] | |||||
父 | グリーングラス | |||||
母 | フクインデアナ | |||||
母の父 | インディアナ | |||||
生国 | 日本(北海道浦河町) | |||||
生産者 | 川崎清 | |||||
馬主 | 宮崎忠比古 | |||||
調教師 | 鶴留明雄(栗東) | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 20戦4勝 | |||||
獲得賞金 | 9458万8000円 | |||||
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リワードウイングは日本の競走馬。1985年のエリザベス女王杯を制した、グリーングラスの産駒として、唯一のGI勝ち馬である。主戦騎手は内田国夫(現・調教助手)。
戦績
420キログラム前後の小柄な馬。デビューは1984年10月14日京都競馬場の新馬戦で内田国夫が騎乗し2着。その後も勝ち切れず、初勝利は5戦目で翌年2月の未勝利戦であった。
そして小島貞博に乗り替わりチューリップ賞に挑戦するも5着。さらに忘れな草賞も2着と、オープンクラスで善戦はするも本賞金の加算を逃す。5月、鞍上を内田に戻し、後に挑むエリザベス女王杯と同じコースとなる京都競馬場の芝2400メートルで行われた、自己条件(400万円下)の特別戦(端午賞)でようやく2勝目を挙げた。その後もオークス出走を見送り、無理をしない程度に月1走ペースで自己条件のレースに出走するが、3勝目は9月の長月特別までお預けとなった。
ようやく10月に初めて重賞(ローズステークス)に挑むも、後方待機のこの馬にとって先行馬有利の流れが災いし、8着と完敗。そして20頭立てで6番人気で臨んだエリザベス女王杯では、桜花賞馬エルプス、オークス馬ノアノハコブネ、1番人気アサクサスケールを相手に、後方追走から直線では大外から一気に差し切り、当時のレースレコードとなる2分26秒8で快勝。内国産種牡馬不遇の時代の中、父グリーングラスの名をさらに高めた。
同年にエルプス、ノアノハコブネはターフを去ったが、リワードウイングは翌々年まで引き続き内田を背に現役を続行した。しかし大原ステークスの3着が最高で、結局エリザベス女王杯以降、1勝も挙げられず引退。通算成績20戦4勝。
引退後
引退後は繁殖牝馬となる。これという代表産駒は出なかったが、孫の世代でリワードフォコン、リワードアンセルを出すなど、地道ながら血は続いている。
高齢のため繁殖牝馬を引退し、2002年2月より功労馬として観光施設(うらかわ優駿ビレッジAERU)に移り余生を送る。ほかの仔馬を見守るなど優しい一面を見せ、ファンも多く訪れたというが、2008年1月15日、老衰のため死亡した。
血統表
リワードウイングの血統(ハイペリオン系) / Nearco4×4=12.50%、Gainsborough5×5=6.25% (父内) ) | (血統表の出典) | |||
父 グリーングラス 1973 鹿毛 |
父の父 *インターメゾIntermezzo 1966 黒鹿毛 |
Hornbeam | Hyperion | |
Thicket | ||||
Plaza | Persian Gulf | |||
Wild Success | ||||
父の母 ダーリングヒメ1964 栗毛 |
*ニンバス | Nearco | ||
Kong | ||||
ダーリングクイン | *ゲイタイム Gay Time | |||
ダーリング | ||||
母 フクインデアナ 1968 鹿毛 |
*インディアナ 1961 鹿毛 |
Sayajirao | Nearco | |
Rosy Legend | ||||
Willow Ann | Solario | |||
Court of Appeal | ||||
母の母 フクミノリ1955 鹿毛 |
トサミドリ | プリメロ | ||
フリツパンシー | ||||
ニユージランド | ダイオライト | |||
レデイライモンド F-No.4-d |
- 祖母フクミノリの半兄に天皇賞(春)馬・ミツハタがいる。
脚注
- ^ “エ女王杯馬リワードウイングが死亡”. 競馬ブック. 2021年11月11日閲覧。
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ
- リワードウイング - 競走馬のふるさと案内所
- リワードウイング - 引退名馬(名馬.jp)[リンク切れ]