リワードウイング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Kani9zu (会話 | 投稿記録) による 2022年7月5日 (火) 23:48個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

リワードウイング
2007年6月17日 うらかわ優駿ビレッジAERU
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1982年4月26日
死没 2008年1月15日(26歳没)[1]
グリーングラス
フクインデアナ
母の父 インディアナ
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産者 川崎清
馬主 宮崎忠比古
調教師 鶴留明雄栗東
競走成績
生涯成績 20戦4勝
獲得賞金 9458万8000円
勝ち鞍
GI エリザベス女王杯 1985年
テンプレートを表示

リワードウイング日本競走馬1985年エリザベス女王杯を制した、グリーングラスの産駒として、唯一のGI勝ち馬である。主戦騎手は内田国夫(現・調教助手)。

戦績

420キログラム前後の小柄な馬。デビューは1984年10月14日京都競馬場の新馬戦で内田国夫が騎乗し2着。その後も勝ち切れず、初勝利は5戦目で翌年2月の未勝利戦であった。

そして小島貞博に乗り替わりチューリップ賞に挑戦するも5着。さらに忘れな草賞も2着と、オープンクラスで善戦はするも本賞金の加算を逃す。5月、鞍上を内田に戻し、後に挑むエリザベス女王杯と同じコースとなる京都競馬場の芝2400メートルで行われた、自己条件(400万円下)の特別戦(端午賞)でようやく2勝目を挙げた。その後もオークス出走を見送り、無理をしない程度に月1走ペースで自己条件のレースに出走するが、3勝目は9月の長月特別までお預けとなった。

ようやく10月に初めて重賞(ローズステークス)に挑むも、後方待機のこの馬にとって先行馬有利の流れが災いし、8着と完敗。そして20頭立てで6番人気で臨んだエリザベス女王杯では、桜花賞エルプスオークスノアノハコブネ、1番人気アサクサスケールを相手に、後方追走から直線では大外から一気に差し切り、当時のレースレコードとなる2分26秒8で快勝。内国産種牡馬不遇の時代の中、父グリーングラスの名をさらに高めた。

同年にエルプス、ノアノハコブネはターフを去ったが、リワードウイングは翌々年まで引き続き内田を背に現役を続行した。しかし大原ステークスの3着が最高で、結局エリザベス女王杯以降、1勝も挙げられず引退。通算成績20戦4勝。

引退後

引退後は繁殖牝馬となる。これという代表産駒は出なかったが、孫の世代でリワードフォコン、リワードアンセルを出すなど、地道ながら血は続いている。

高齢のため繁殖牝馬を引退し、2002年2月より功労馬として観光施設(うらかわ優駿ビレッジAERU)に移り余生を送る。ほかの仔馬を見守るなど優しい一面を見せ、ファンも多く訪れたというが、2008年1月15日、老衰のため死亡した。

血統表

リワードウイング血統ハイペリオン系) / Nearco4×4=12.50%、Gainsborough5×5=6.25% (父内) ) (血統表の出典)

グリーングラス
1973 鹿毛
父の父
*インターメゾ
Intermezzo
1966 黒鹿毛
Hornbeam Hyperion
Thicket
Plaza Persian Gulf
Wild Success
父の母
ダーリングヒメ
1964 栗毛
*ニンバス Nearco
Kong
ダーリングクイン *ゲイタイム
Gay Time
ダーリング

フクインデアナ
1968 鹿毛
*インディアナ
1961 鹿毛
Sayajirao Nearco
Rosy Legend
Willow Ann Solario
Court of Appeal
母の母
フクミノリ
1955 鹿毛
トサミドリ プリメロ
フリツパンシー
ニユージランド ダイオライト
レデイライモンド F-No.4-d
  • 祖母フクミノリの半兄に天皇賞(春)馬・ミツハタがいる。

脚注

  1. ^ エ女王杯馬リワードウイングが死亡”. 競馬ブック. 2021年11月11日閲覧。

外部リンク